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【翻訳メモ】INSIGHTS FOR THE JOURNEY

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■全体目次 https://note.com/enflow/n/n51b86f9d3e39 ■「ティール組織」の著者であるFrederic Laloux によるINSIGHTS…
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【6.8】ティールにおける戦略的な計画とは?(How to do strategic planning)

※ティール組織の著者Frederic Laloux によるINSIGHTS FOR THE JOURNEYの日本語訳の個人的なメモを公開しています。 ————————————————————— ■元のURL https://thejourney.reinventingorganizations.com/68.html ■翻訳メモ 前回は、まだ私たちは「戦略的計画」が必要かという問いについて話しました。ほとんどのケースで、答えはノーでした。しかし、ほんの少し、例外的に計画が必要な場合もありました。もし、あなたが、すべてのケースをイエスで答えたいと思う人なら、その古い予測制御のやり方は見直す必要があるかもしれません。では訊きます。感知すること、そしてそれへの呼応ができるようサポートを続けるには、どのような方法があるかご存知でしょうか? スペインには、バスクカントリーというセルフマネジメント組織があります。その組織の運営については、別に話す機会を作ろうと思いますが、今回にかんしては、彼らの「戦略的思考」について取り上げたいと思います。彼らは、感覚に呼応するという私が発する問いに対し、それを掘り下げ実行している、おそらく製造業では唯一の組織です。 一方で、大多数を占める古典的な戦略計画を重要視する組織は、3つのフレームで説明ができます。 1つ目の要素は「センシング」です。いま目の前の世界で起こっていることをただ単に感知するということです。組織内で何が起こっているのか、「事業計画」の中で何が起こっているのか感知するわけです。これは一種の使い古されたやり方です。専門のコンサルタントがヒアリングするのも、そういった現象を追いかける行為です。失われかけた組織の内部知識や集合的知識といったものが対象となります。その意味では、私たちは、「センシング」に慣れています。本来は誰でもできるわけです。もちろん、セルフマネジメント組織では、それは「セルフマネジメント」に切り替えようとしている組織の場合であっても、すでに多くの人は感知・感応に対してオープンになっているはずです。なので、その場合は、耳を傾ける環境は整っているといえます。しかし、本来の意味での「センシング」とは、それ以上の、もっと特殊な、ある「瞬間」のことを指します。どういうものかというと・・・、組織には多くの人がいます。例えば、工場で働く人、サプライチェーンを担当する人など、大勢が様々な場所で働いています。そこで、そういう人たちを巻き込んだ「センシング」パーティーを催してみるのです。それほどまでに人と人があって会話することは重要だといえます。できればそのイベントは数週間、あるいは、数ヶ月続くのが好ましいと思っています。実際に会える人は、会えない人のためにその会話を録画したらよいでしょう。 その会話の中では、きっと、組織における「役割」についても話されると思います。以前紹介したFavi社の例を覚えていらっしゃいますか?外の世界を知りたいという思いを実現した若い機械のオペレーターの話です。彼は毎日、コンピューターに向かっているだけで、彼の開発した商品がどのようにサプライヤーに納品されるのか、そして、そこで働いている人たちがどんな人たちなのか、知る由もなかったという話です。私からその話を聞いたある組織は、Faviのオペレーターの彼に近いポジションの人を選んで、視察旅行に送り出し、そのまま彼を企画戦略責任者に指名してしまいました。その話を聞いて、私は、そういう人事は本当に良くない、二度としないで欲しいと言いました。その彼を責任者に固定することは、組織になんのプラスももたらしません。特に、組織における彼以外の人たちの「センシング」にも、もう期待が持てなくなります。特定の人に権力を集中させてしまうと、それ以外の人から「センシング」を奪ってしまうのです。もし、任命するとしたら、「センシング・リーダー」くらいのものが良いと思います。メンバーを「センシング」の旅にいざなうリーダーという役割です。いま述べたのが1番目の要素です。ここであなたに問いたいのですが、コンサルタントやマネージャー主導の「センシング」から、組織全体の「センシング」に移行するためには何が必要か、考えてみてください。 2番目の要素は「統合」です。いまどこに向かっているのか、定期的に、感じたことを集約していくプロセスのことを指します。環境は常に変化しています。テクノロジーも同様に変化しています。「パーパス」に最も合致する方向について、定期的に振り返りを行います。この「統合」プロセスもまた、可能な限り大人数でおこなった方がよいと思います。オンラインなら何百人もの人を1つの部屋に集めることもできます。そして、感じ取ったものをいくつかの方向へと「統合」していくのです。本にも書きましたが、あらゆる方法のなかでもっとも美しいと思うのが、ホラクラシーの導入を行う小さな組織であるホラクラシー・ワンが採用している方法です。彼らは、定期的に、全員が丸一日同じ部屋に入って、午前中から付箋を使ったセンシングワークを行います。付箋を使うことで、まとめることが容易になります。彼らがそのワークを行うのは、「パーパス」を目指すためにそれが必要不不可欠だと思っているからです。彼らに言わせると、そのワークこそが、現在地を知る上での原理原則だと言います。そんなシンプルなことでよいのかと思われますか?たとえば、私たちは革新を続けてきました。しかし、このやり方は、常に新しいものを求めるのではなく、今あるものに価値を見出そうとするものです。新しいクライアントの獲得に走る場合もあれば、既存のクライアントに対し、手厚いサービスを提供することもありますよね。普段は、デスクトップを使っていても、外にでたらモバイルを使うのと同じです。夜空に輝く北極星、つまり、「パーパス」から、共通の言語が降りてきます。1つの部屋に多くの人がいる利点がそこにあります。すべての人に同じように降り注ぐことで、誰もが進むべき道を感知することが可能になります。私は、今、北極星を例えに出しましたが、それが「行動指針」を与えてくれるという意味ではありません。私たちは、「行動指針」という言葉に慣れすぎてしまっています。「パーパス」を行動を誘発するものとだけに限定して捉えると、きっと人それぞれに違ったものが提示されることになるでしょう。重要なのは、感知したものを見に行くとき、それが「パーパス」に向かう道のりの支えとなってくれるかという視点を持つことです。 3つ目のステップは「計画」です。前回から、私が“やり過ぎ”と言っているその「計画」のことです。それは、未来を予測してコントロールしようとする行為です。すべてを計画表に表し、マイルストーンを置く行為のことを指します。それはすべてを数字に置き換えて考えるやり方です。本来ならば、数字は、意思決定に外せないものだけで十分です。それさえあれば物事は前に進みます。大きな工場を建設するとか、非常に高価な機械を購入するなど、おおきな資本を投資する場合は、事前に情報は定量化する必要があります。どれだけのものを生み出すか、当然それにかかる費用は計算しておかなければなりません。各イベントが複雑に入り組んだ大型プロジェクトでも計画なしには運営できません。その際は工程ごとにワークフローを決めていくことが必要になるでしょう。しかし、一般的に言って、芸術に計画書は存在しません。言うまでもない話ですが、私たちは「計画」にも慣らされ過ぎています。ゆえに、本当に「計画」が必要なのか、その都度、考えてみる必要があります。本当に必要なら「計画」を立てればいいと思います。しかし、たいがいの場合は、「センシング」と「統合」だけで十分です。 ここまでのところで、従来の組織における「戦略計画」を3つのステップにまとめました。感知し、統合し、そして、計画・定量化するといった具合です。しかし、本当に、私たちがすべきなのは、もっと多くの人たちと、もっともっと“感じ合う”ことです。それによって統合された言語の数が増えるということではありません。そうではなく、感じたものを言語化していくには、できるだけ大勢の「人」が必要だという意味です。そうすれば、計画自体も、そもそも立てられなくなるでしょう。もしあったとしても、意思決定に不可欠な最小限のものにとどまることでしょう。 実は、それについて、ワクワクするようなプラクティスがあります。従来の戦略計画では使われてこなかったものです。それをあなたも組織でやってみると、理論上は、あなたは先駆者になれるはずです。しかし、どうやってやるか、詳しいことはここでは触れないでおきます。なぜなら、それをあなた自身で試して欲しいからです。まず、瞑想することで感じ、そして、それを統合していきます。瞑想には視覚化をいざなうガイドをつけてもいいかもしれません。何が湧き上がってくるかにだけ集中してください。これがシステミック・コンステレーションです。あなたがそれに精通しているかどうか私には分かりませんが、一部の組織ではそれを使って、非常に大きな力を得ているのも事実です。こう話すと、どこか怪しく、奇抜過ぎると思われるかもしれませんね。しかし、これを試した一部の組織からは、その“怪しさ”を受け入れるのであれば、驚くべき洞察を得ることができるというレポートが出されています。もし組織に、強烈な「ソース」を持った創設者がいるなら、その彼や彼女がすべての源となるでしょう。巻き込めるだけ巻き込むといったパワーを発揮するタイプが多いのも創始者の特徴です。その「ソース」の力は、決して過小評価してはなりません。このことについては、他のビデオでも話していきます。 フランスにToscana Accompanimentというグループ組織があります。彼らはまた別のタイプの、頭、心臓、腹(腸)のワークに精通しています。彼らは身体を使って、感知し、それを統合しているのです。それは常に3つのアングルから行います。その身体をつかったやり方は、従来からある「感知」は頭による「思考」でしかなかったとしたら、それよりもはるかに多くのことを得ることができます。これが、私が「戦略的思考」と呼ぶものです 今回はこれで終わりです。あなたが、その瞑想による「戦略的思考」プロセスを体験したなら、おそらく過去の事象の意味付けも変わっていくはずです。たとえば セルフマネジメント組織などでそれを1年に1回実施しているとします。そうすれば、1年前に捉えたものが、1年後もそのままの関連性を残しているのか、それとも、アップデートされなければならなくなったのか、それも知覚できるということです。 ■翻訳メモの全体の目次 https://note.mu/enflow/n/n51b86f9d3e39?magazine_key=m3eeb37d63ed1

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【6.7】戦略的計画は必要なのか?(Do we need strategic planning?)

※ティール組織の著者Frederic Laloux によるINSIGHTS FOR THE JOURNEYの日本語訳の個人的なメモを公開しています。 ————————————————————— ■元のURL https://thejourney.reinventingorganizations.com/67.html ■翻訳メモ 今回から2回にわたり、「戦略的計画」のことをお話したいと思います。私は何人かのリーダーと、「計画」を立てることの是非について話し合いました。その際、まるで、触れてはいけないところに触れてしまったような居心地の悪さを経験しました。別の言い方をすると、私たちはいかに無益か有益かを判断せず、盲目的に「計画」という慣習にならされているかが浮き彫りになったということです。当然その一方で、もし、「計画」がないとしたら、業務をきちんと行うことができるか、リスクがあるのではないか、コンパスを使わずに目標地点まででたどり着けるものなのか、そして、そもそもどこに向かって進んでいけばよいのかなど、そういった不安が湧いてくると思います。そのことはよく分かります。今回のビデオでは、リーダーたちに話した、私の考えを共有したいと思います。私は、「戦略的」と呼ばれるような変化は、メンバーが「パーパス」を感知することで起きると思っています。あるいは、セルフマネジメント組織の場合、誰もがそのセンサーになれるわけで、そのことで、変化の受け入れが可能になっていきます。その場合、メンバーの発する弱い信号にも耳を傾けることが重要になってきます。―たしか、フランス語にはそれにぴったりの言葉があったと思います。―そういった弱い信号を聞ける人が多くいる組織がセルフマネジメント組織ということになります。そういう組織は、一つの生命体として、成長とともに、組織自体が新しい方向にシフトしていくものなのです。 私が信じて疑わないことはもう一つあります。それは、明確な目的意識を持っている組織は、外から力が加わったとき、特定の方向にしか進めないということです。今から言う2社と比較するとよく理解できると思います。 まず、ビュートゾルフ社は、今まで一度も「戦略的な計画」を立てたことがない組織ですが、それでも、彼らはとても素晴らしい旅を続けています。本にも書きましたが、Favi社の例も同様に素晴らしいものです。一般的な組織は3〜5年先を見据えて、次の年の計画をしていることが多いと思います。しかし彼らの場合、計画は20年先に置いていると言います。20年先を見据えて翌日することを決めるということです。それを聞いた時、その言葉は私のハートを捉えて離しませんでした。私がクライアントのCEOと会話する際は、必ず、「なぜ、あなたは計画が必要と思うのですか?」と聞きます。「あなたがそれをやらなくてはいけないと思っていることからくるテンションや痛み、そして、問題は何ですか?」とも聞きます。私は、「計画を立てる」という行為が、習慣に支配された行為であることに気付いたのです。すべては「計画」にそって進めるや、計画を立てるのは当然だ、などと思っているうちは、私たちはまだ、不確実性を友として生きる術を学んでいないということです。 「計画」にかんしては、もう一つ、気づきがあります。組織が「セルフマネジメント」に移行すると、すべてが喜びで満たされるだけでなく、同時に苦痛も経験する場合があるということです。すべてが刷新されたということは、新たに学ぶことの重要性が増したということです。そこでしなければならないのは「非難」ではなく「学習」です。つまり、あなたは、新しいゲームを始めるわけです。このように言うと、「計画がなければどこにも行けない」という人は必ずいます。もしくは、「私たちはどこに向かったらいいか明確な感覚を持っているかもしれませんが、すべてが新しいということは、何か起こったとき、それへの対応策は持っていないということですよね」などと言います。「セルフマネジメント」の場合、どこに行くか、もうマネージャーは教えてはくれることはありません。それゆえの「痛み」は必要な経験かもしれません。 ある製造業のCEOとの会話です。彼らは、長年、かなりのオールドスタイルで確立された経営をやっていましたが、4年弱も期間で、見事に「セルフマネジメント」への移行を成功させました。メンバーのすべてが、「正しさ」を感知してそれを実行しただけで、売上げの2倍の負債があった会社が、すべての借金を返済し、しかも売上げが4年前の10倍になったのです。ただ、その時点でも、彼は、計画は必要と考えていました。これはある意味、私にとっても大きなチャレンジでした。私は彼に、「計画を立てる」というのは会社がうまくいっていることを外部にアピールするためなのかと質問しました。その「計画」が、本当に事業に必要なのかどうかを問うたのです。彼は、それはよく分からないと返事しました。私の質問は彼にとって、詰問のように聞こえたかもしれません。何にこだわっているのか、そこにどんなメリットがあるのか、かなりしつこく聞いてしまいました。私は、一般的な組織の場合、戦略的な計画は必要ないと感じていました。彼は、私の言うことを理解してくれて、「吟味する必要はある」と言ってくれました。続けて、ビジネスに方向を与えるために、本当に「計画」が必要なのか、他の組織のことももっと調べてみたいと言ってくれました。 私が思うに、「計画」を捨てる理由は4つあります。まず、1つ目は、市場やテクノロジーに急な変化が起こった時です。突然、まったく新しい世界に放り込まれた、そんな感覚になる時です。何も分からない中であるからこそ明確な指針が必要であると思うかもしれませんが、そうではありません。その感覚を捨てることで、まったく新しい機会に対して未来が開けます。まずは、そこで立ち止まって感じることが必要になります。 次は、高額の投資を行う時です。何も情報がない中で、新しい工場を建てるなど、いきなり大きな投資計画で動く組織があると思いますか?通常は決定を下す前に、立ち止まって、あらゆる情報を集め、それを基に判断を下すでしょう。先に計画ありき、とはならないはずです。 次の3番目は、言葉がまだ出そろわないという場合です。多くの人が、とても多くのことを感じとっている時期は、システムが自己修正をはかる時だといえます。その際、一部の人に対して、多くの人は、その人たちは大きな方向修正が必要だと感じるでしょう。そういう時は、すべての可能性に対してオープンな態度をとって、感覚が湧き上がってくるまで、時間をかけた方がよい時です。 次に、「セルフマネジメント」を始めようとしている時というのが4番目の理由です。その中にいる人は、組織がこれからどこに向かうか具体的な方向感がないことに気付くはずです。それゆえ、「パーパス」が共有できていないと、それがリスクになります。具体的な「計画」は不要ですが、「パーパス」に照らされた方向性は必要だからです。 これらが「計画」は不要だと思う4つの理由です。 振り返って、このビデオにおける私の「問い」は、本当に「計画」は必要なのかというものでした。もう一度、それがあることによって生じる、緊張や痛み、そしてそこから生じる問題などについて思いを巡らせてください。もしそこに何の感覚もないのであれば、あなたは「計画」のパラダイムにどっぷり浸かっていて、もう何も感じられなくなっているということです。私たちの多くは、計画することが当然という古いしきたりに何の違和感も持てないままなのです。その「計画」が本当に現実的なのか、あるいは、単なる絵に描いた餅なのか、それとはまったくお構いなしに、「計画」こそが重要だと言います。「計画」にこだわることにどれだけの正当性があるのだろうと、何回も、何回も、自分自身に問うてみる必要があります。 ■翻訳メモの全体の目次 https://note.mu/enflow/n/n51b86f9d3e39?magazine_key=m3eeb37d63ed1

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【6.6】偽のパーパス(Fake purpose)

※ティール組織の著者Frederic Laloux によるINSIGHTS FOR THE JOURNEYの日本語訳の個人的なメモを公開しています。 ————————————————————— ■元のURL https://thejourney.reinventingorganizations.com/66.html ■翻訳メモ 「パーパス(組織の目的)」という言葉は、最近、特によく聞かれるようになりました。しかし、誇大宣伝効果というか、多く人が過剰に反応しすぎているような気もします。すべての組織は、「パーパス」を宣言する必要があるという考えは、ある意味、最近の流行です。例えば、多くの人は、「ミッション・ステートメント」が必要だとも思っています。企業の付加価値を高めるには、パーパス・ドリブン、または、パーパスフルな組織であることを外の世界に向けて美しく表現せねばならない、という具合にです。そしてそこには社員のエンゲージメントを高めるという目的も含まれています。しかし、実際にその「ミッション・ステートメント」が効力を発揮するかといえば、必ずしもそうではありません。それらは、「偽のパーパス」と呼んでもよいような代物だからです。忘れないで欲しいのは、「パーパス」は宣言するためにあるのではありません。また、何らかの経営的な意図をもって定めるものでもありません。最低限、「パーパス」とは感じるものです。湧き上がってくる声に対しての反応です。そして、その声を、外の世界と共有したいと思う意志です。いま存在している「ミッション・ステートメント」のほとんどは、そのような作りになっていません。 「偽のパーパス」を定義することはいたって容易です。例えば、今あるもの、今の営業活動などを、そのまま「パーパス」であるとして宣言してしまう方法があります。この「パーパス」は「偽のパーパス」です。もしあなたが、あなたの組織の「パーパス」を作ろうとしているとしたら、少なくとも、すでに行っていることを、高額な包装紙を持ってきて、それでくるんでしまうようなことをして平気でしょうか?私はそれが禁止だと言っているのではありません。その組織がそれでいいのならそれでよく、特に文句をつけるのではありません。しかし、もし、あなたの組織がその高額包装紙の方向に進もうとしているのであれば、そこに「真のパーパス」はないということだけは伝えておかなければなりません。「パーパス」とは、従来からある企業活動が目的化したようなものではなく、その組織に重要な選択を差しせまるくらいの、本来は、なにか、掻き立てるようなものです。 最近、世界規模で事業を展開している有名企業の、多くのフォロワーを抱えたあるCEOと会話しました。彼女は「パーパス」について話したいと言いました。誰が聞いても響きのいいものを見つけたいとも言いました。そうは言いつつも、彼女は自分の言葉に何かもの足りないものを感じている様子でした。そして彼女は言いました。「きっとそこに足りないのは具体性だわ」。私はびっくりすると同時に、彼女の抱える問題も理解しました。もし、彼女や彼女の組織が「真のパーパス」にまでたどり着いていたら、その「パーパス」の方から、特定の具体的な事柄に対して「イエス」や「ノー」とは言わないものです。本来、「パーパス」とは、もっと広義に及ぶものです。ですので、私は、彼女に理解できないと告げました。その理由を説明すると彼女は理解してくれたようでした。これはあなたに対する確認のポイントでもあります。「パーパス」は、非常に多くのものを包含し、かつ曖昧なものです。そして、何を選択したらいいのかまで教えてはくれません。もし何かを教えてくれるとしたら、それはおそらく「偽のパーパス」だと言えます。 組織のかかげる「パーパス」を見て、それが偽物であるかどうかチェックする方法はほかにもあります。その「パーパス」が、世界の破壊を継続する理由付けになっているかどうかという視点でチェックします。現実、それはビジネスの世界でだけでなく、非営利団体や教育やヘルスケアの産業でも起きています。それらの破壊活動は、私たちが会話を始めなければならないところまできています。私は最近、組織が世界に利益をもたらしているのか、それとも、世界を破壊しているのかを調べる3つ質問からなる簡単なテストを思いつきました。 1番目のテストは次のようなものです。あなたの会社が世界に向けて発信している広告をすべて止めたら、あなたの会社の売り上げはどうなるでしょうか?つまり、広告が許可されていなければ、マーケティングができなければ、例えば、それがコカ・コーラであったとしたら、その売り上げはどうなると思いますか、という質問です。コカ・コーラの宣伝がなくなったときのことを想定してみてください。コカ・コーラの場合、何億ドルもの売り上げが原資となって、偽りのニーズを生み出す広告を作り出します。消費者は、本心から製品そのものを飲みたいと思っているのでしょうか。つまり、あらゆる意味で破壊的なその製品を世界は本当に望んでいるのかという問いです。 2番目のテストは、製品やサービスを購入する前に、それらの製造工程を映した5分間のビデオを見なければならないとしたら、その製品の売上げはどうなるか、というものです。コカ・コーラの場合、ペットボトルに入れられるすべての糖類が公開されるでしょう。そのペットボトル自体も、何世紀、あるいは何千年もの間、海を漂流するものです。それらが浅瀬に溜まったら、それを取り除く人の大変さを感じてみてください。その動画には、コカ・コーラ社のロビー活動の様子も映っています。ペットボトルの中身をベールにくるんだままにして、子供やほかの人たち販売できるようにするため、表には出ない活動を続けている様子です。購入する前に消費者がそれを見た場合、売り上げはどのように変化するか、考えてみてください。 3番目のテストはあなたへの質問です。製品やサービスにはあらゆるコストが反映されているという事実についてです。コカ・コーラの定価には小児肥満の訴えと戦うためのコストが上乗せされています。水のコスト以外にも環境汚染に対処するためのコストが含まれています。その製品自体の原価は極めてゼロに近いものです。 これらのテストにかんしては、あなたの組織に当てはめて、是非、実施してもらいたいと思います。ひょっとしたら、あなたが疑わしいと感じることがあるかもしれません。このコカ・コーラの行いを知った後でも平気でコカ・コーラを買えてしまうという気質であり行為が、それがまさしく、現在の大企業だと言えるのです。 彼らは世界に発信している「パーパス」を持っているにもかかわらず、破壊的な活動に加担しています。それは一体どういうことなのでしょう。コカ・コーラを例にして、もう一度言います。彼らの「パーパス」は、「世界に幸福とポジティブさをもたらし、そして世界をリフレッシュする」といったものです。何度も言いますが、それは本当の「パーパス」ではありません。とても内側からこみあげてきたものとは思えないからです。コカ・コーラがいま何をやっているかを知った時、世界は本当にその企業を必要とするのかを考えてみてください。繰り返しになりますが、これらはほんの一例です。次は、あなたの組織に目をやってください。 私は、あなたが極端な行動に突っ走ってしまわないよう気をつけながら話しています。しかし、そのテストをすることで、あなたは自分の組織に疑いの目を向けることになる可能性があると思っています。例えば、「パーパス」が、世界に何か前向きなものをもたらすようなものだったとして、それがあまりに食い違っているといった場合です。あなたが自分の会社のことを普段からどう思っているか、私には分かりません。いずれにせよ、答えはそんな簡単なものではないということです。もし、あなたの会社の営業活動が何かを破壊していることが分ったとしても、あなたの生活や生計はそこに依存しているはずです。もし、コカ・コーラが、正義のために、明日で会社をたたみますと言ったら、多くの人が路頭に迷うことになります。いずれにしても、単純な解決法は存在しません。しかし、私たちには、まず、「偽のパーパス」は宣言しないという行動をとることはできます。そして、すべてが破壊されようとしている現実に向き合うこともできます。答えは私にも分かりません。それでも、いま言ったことを続けていくことはできます。そして、「真のパーパス」となりうるような答えが浮かびあがってくるのを、耳を澄まして待ち続けることもできます。 ■翻訳メモの全体の目次 https://note.mu/enflow/n/n51b86f9d3e39?magazine_key=m3eeb37d63ed1

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【6.5】「存在目的」はどうやって決めますか?(How to determine purpose?)

※ティール組織の著者Frederic Laloux によるINSIGHTS FOR THE JOURNEYの日本語訳の個人的なメモを公開しています。 ————————————————————— ■元のURL https://thejourney.reinventingorganizations.com/65.html ■翻訳メモ ここまで進んできたことによって、あなたを呼び続けるこの「存在目的」のことをもっと深く知りたいという感情が、あなたの中に芽生えてきているのではないでしょうか。それに応える形になりますが、今回は、2つの「問い」を用意しました。どのように実行するか、と、誰が実行するか、という「問い」です。 まず、組織の「目的」に対して、どのように耳を傾ければよいのか、そして、それを、どのように決めていけばよいのかという問題ですが、答えは次のとおりです。つまり、「目的」に耳を傾けるという行為自体、ある種、神秘的なプロセスと言ってよいものです。多くの人は、それはとても深い場所から湧き上がってくると言います。奥の方から、急に、フッと浮かび上がってくる感覚です。同時に、それが真実であるという感覚も併せてくみ上がってくることでしょう。気をつけてもらいたいのは、あなたがその感覚を言葉にできるからといって、自分に引き寄せて意味づけしないことです。それは特定の意味だけでなく、実際には、もっと多くのものをあなたにもたらしているからです。 もしあなたが、オットー・シャーマーの理論のことをご存じないのであれば、私がその理論をかいつまんで紹介しましょう。いわゆる「U理論」のことです。最初、あなたは理論の側から世界を理解しようとします。そこには物事を操作しようとする感覚が存在するはずです。理解するために、感覚を理論に合わせていこうとする世界とも言えます。しかし、プロセスのある時点で、あなたはより深い場所を体験することになります。時として、自然の中を歩いている時などにそういった体験をすることがあります。または、黙祷やガイド付きの瞑想をしている時に何かを可視化できる、といったことが起こります。「存在目的」が、あなたをその「深い場所」に導いてくれるといった感覚です。それは突然現れます。そして、また、同時に、その感覚がいかに「正しい」か、を認識できることでしょう。そして、そのカーブは、そこから上方に向かい、いまの世界との関係性が明確になるという一連のプロセスを体験します。そのプロセスは「底」を経ることで前に進みます。ゆえに、浅いところ、そして、深いところ、そして、再度現実と融合していくところ、それら3つ場所が存在します。まず、そのことを理解すればいいと思います。 「目的」は、「心」や、本能が拠り所とする、人体でいう「内臓」に対応するものを持っていると考えるのが分かりやすいと思います。本質的な「目的」は「心」を持っている、ということです。言葉の語源はラテン語らしいですが、その「心」には「感情」が宿ります。その「感情」はあなたの原動力となるものです。そういった意味でも、常に、「目的」の側から声は発せられているのです。それゆえに、あなたの探求は、それ自体が満たされたものになり、「正しさ」が生気するのです。「心」や「内臓」を持つ存在が抽象的な概念であるはずがありません。だから、私は、理論に頼るのではなく、あなた自身の本能である「聞き取る力」を信じるようにと言い続けているのです。まず、自分自身を信頼することが肝心です。そこまで言えば、「組織の目的」が何であるのか、それを見つけるために、あなたは、Uプロセスを知っている良質のコーチやコンサルタントを探し始めるであろうことを信じています。 2つ目の「問い」は、「誰が?」という課題です。誰がその声を聞くかという問題はとても大きな問題です。組織にとって、自らの「存在目的」を受け取ったと知覚できるある特定のタイミングがあります。「存在目的」が認識できたという瞬間を知ることは、それ自体、非常に重要なことです。例えば、「セルフマネジメント」に移行したため、「組織の目的」は従業員の声にしたがって、最大公約数的に決めました、という例もあろうかと思います。それも一つの決め方だと思いますが、それは、本来の「存在目的」とは対極にある考え方と手段です。そこに、「源(ソース)」という考え方が欠落しているからです。 「源(ソース)」については、1.10ビデオの中で、ピーター・カーニックの例としてすでに紹介してあります。それは本当に、執筆後に経験した出会いの中でも特筆に値するものでした。「ソース」とはピーターが言い出したことですが、彼はそれを、世界中の起業家に対して行った何百ものワークショップを通して確信につなげていきました。彼によると、すべての組織には、「ソース」とつながった人がいるということです。その「ソース」の存在は、直感による、より直接的なアクセスを意味します。彼は、そういった役割の人を指して、組織にとって何が正しいことであるかを伝える「情報チャネル」と呼びました。アップル社のスティーブ・ジョブズなどは分かりやすい例だと思います。彼は、明らかに、アップルを未来に導く「ソース」でした。彼がしばらくアップルを離れたとき、組織は迷走しました。その後に彼はアップルに戻り、組織を復活に導きました。 完全に自律分散したセルフマネジメント組織であっても、「ソース」とつながった特定の人物の存在は必要です。そのような組織にも、特殊な「情報チャネル」への優先アクセス権を持った人がいるということです。「セルフマネジメント」に「ソース」は必要ないと思われるかもしれませんが、現実の組織でのあり方は無視すべきではありません。ただし、セルフマネジメント組織では、そのチャネルにアクセスできることと権力を手にすることとは全く別ものであることは忘れないでください。セルフマネジメント組織においては、アドバイスプロセスを通して、組織の意思決定がなされます。そこに階層的な権力は存在しません。特定の個人が決定権を独占することもありません。「ソース」は、いわば、その意味を知る組織にとっては、一つの大きな「資産」とみなされます。そんな彼らは、彼らの「ソース」を本当に大切にしています。そして、常に、「それはソースに対し、明確になっていますか?」や、「そのガイダンスは特定の個人の意見を反映したものではなく、ソースが起源となっていますか?」などと自問自答を繰り返しているのです。 「ソース」について気をつけなければならないことの一つが、それは「ソース」が語りかけているのか、それとも、個人が直感で話しているのかを区別することです。あるいは、特定の発言が、個人のエゴに由来していないか、常にチェックすることです。例えば、経営者が他の組織を買収すべきだと言ったとします。それが、経営者の持つ成長したいという思いから発せられた言葉なら、その言葉は経営者のエゴが発した言葉です。つまり、その言葉が本当に、経営者の深部にある「ソース」に由来したものであるのか判断する必要があるということです。いずれにせよ、「ソース」は組織にとっての純然たる「資産」と言えます。そして、その多くは、すべてのメンバーに力をもたらします。そうでない場合、組織によっては、「ソース」が特定の個人によって、権力と共に独占されている場合があります。そればいま言った組織とは全く極性が異なった組織だといえます。ただし、いずれの場合であっても、その組織にとっての「ソース」は、尊重されるべきものだと思います。 ある組織においては、「ソース」の声を聞くことのできる特別な力を持った人がいる場合があります。別のパターンとして、メンバー全員の声を聞く力を持った人もいます。ですから、最良と言えるのは、それら両方のプロセスを尊重することだと思います。つまり、一つには、特別な声とメンバーの声の集約との間を行ったり来たりする方法があります。あるいは、特別な声を聞き分ける能力を持った人をそのグループの一員としながらも、その人には、声を聞くための特別な時間を持ってもらうという方法もあります。例えば、ジャン・フランソワ・ゾブリストの場合がそれにあたります。オーナーのマックス・ルソーによってCEOに指名されたゾブリストはルソーから引きついだ「存在目的」を組織のメンバーに説明する必要がありました。一方で、Faviでは元々、毎週、金曜日の午後を「組織の目的」に耳を傾ける時間としていました。ジャン・フランソワ・ゾブリストは少なくともグループの一員であり、間違いなく、同時に、「ソース」の声を聞く役割を担っていました。これら2つの方向からの「存在目的」が1つになるためには、各人が、それらの2つの意味をしっかり認識していく必要があります。 前回の6.4のビデオの振り返りをしますが、本気で「組織の目的」を見つけたいという意思がないのなら、(多くの大企業の行いに疑問を感じないのなら)旅に出る必要はありません。準備ができていないのであれば、旅には出ないほうがよいと思います。前回のビデオで触れましたが、多くの組織が掲げているビジョンをそのまま実行すれば、地球は壊滅的な打撃を受けつづけることになります。私はそれに加担できません。耳を貸す気にさえなることはありません。それでも多くの企業は、彼らが提供するすべての製品やサービスと、彼らの既存のビジネスそのものに対して、意味のないミッションステートメントを掲げ続けるでしょう。それらは、ビジネスの「目的」を包含した見栄えの良いもの映るはずです。それらは、どこからの、誰からの声も反映していない、エゴに満ちたフェイクな代物です。 最後にもう一つ、とても大事なことをお話ししたいと思います。Favi社やモーニングスター社のような、私が調査したいくつかのセルフマネジメント組織の「存在目的」は、彼らのビジネスと直結したものではありませんでした。例えば、「存在目的」が一人の脱落者も出さない、というようなケースであっても、実際、現場で行われているのは、車のギアボックスに使う部品の製造であったりします。重要なのは、彼らの「存在目的」がいかにその存在を示せるかは、その組織の中のメンバーそれぞれの関係性と、「セルフマネジメント」がいかに機能しているかにかかっているのです。つまり、組織が生命論的に回っているかどうかということです。私はそのことをとても興味深く思っています。つまり、どこにでもあるような工場などであっても、すべての組織にこのロジックは当てはまると思うからです。多くの組織には、組織によってひどい目に遭わされていると感じて、憤りを抱えた人たちが一定数いるものです。それは、私たちが依然、人的要素を経営資源として活用し、それが枯渇するまで行使し続ける資本主義のパラダイムの中にいることを意味しています。犠牲によって生み出されている製品やサービスを本当に買いたいと思いますか?現在の産業のすべてがフェイクと言っているのではありません。中には真実に基づいて経営している組織も多く存在します。それゆえ、Faviやモーニングスターといった組織の存在は、「組織進化」に多大なる貢献を果たしているのだと言えます。 組織を見る際は、この世に何を輩出しているかという観点のみだけではなく、どこからそれらが生み出されてくるのか、根底にある「存在目的」に注目すべきです。製品やサービスは、人間を機械として扱う経営からではなく、本来は、人間の英知の、その結晶から生まれるべきものだと思います。 ■翻訳メモの全体の目次 https://note.mu/enflow/n/n51b86f9d3e39?magazine_key=m3eeb37d63ed1

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【6.4】パーパス~現実に向き合う勇気~(Do you have the courage to face reality?)

※ティール組織の著者Frederic Laloux によるINSIGHTS FOR THE JOURNEYの日本語訳の個人的なメモを公開しています。 ————————————————————— ■元のURL https://thejourney.reinventingorganizations.com/64.html ■翻訳メモ 「目的」や「存在目的」について語ろうと思えば、そこには見過ごすことのできない、私たちがいままで議論を避けてきた重大な問題に出くわすことになります。それは、私たちの住む世界のビジネスや経済というものは、きわめて破壊的であるという事実です。そして、それらの事実はあまりに衝撃的であるがゆえに、行為の中心となっている組織にしてみれば、「目的」にフォーカスし、その声を聞くことはすでに困難な状況になっていると言ってよいでしょう。あらゆるものが破わされている現実を知れば、今の私たちのビジネスの50%から80%、いや100%近くは、存在すべきでないと思うかもしれません。私はそういった組織で働く人たちに長年、寛容さをもって接してきました。それらの組織というのは、意味のない表面的なビジョンを掲げてきた企業たちのことです。そこの中にいて、すでに建設的な声を聞くことができなくなってしまった人たちのいる組織です。私たちは、いま、現在のそういったビジネス環境に対し、何ができるのか、しっかり向き合わなければなりません。 世界規模で展開している巨大なショッピングモールを経営する企業のCEOと丸一日過ごしたことがあります。そのおかげで、その後、非常に大きなインスピレーションを得るに至りました。彼らのビジネス形態は、過剰消費の最も極端な形であることをそのCEOは理解していました。しかし、むしろ、彼はそれを誇りとしている風でもありました。巨大なショッピングモールと言ったら、人間を幸せから遠ざけるような持続不可能な消費の巣窟を思わせます。しかし、そこの経営者は、それに対し尻込みもせず、あえて言い訳も探そうとしない毅然とした態度をとっていました。それに対し、私は、驚きを禁じ得ませんでした。私たちは、本当に、私たちの意識のないところで、破壊的なビジネスの真ん中で生活しています。ゆえに、私たちは、本当に、私たちの「存在目的」を考えなくてはなりません。そして、これらのショッピングモールのような、何千もの人間がひとところに集まるような巨大インフラが何を意味するかも理解しなければなりません。ただし、もしそこに、何らかの有益な機能を付加することができたらならば、それが未来における「広場」の役割を担う可能性はあります。ただ、現実は、そうなる可能性は極めて低いと思っています。 他の産業に目を移してみても、それらのどれもが、いかに破壊的であるか知ることができます。食肉産業などは、その全体が大きな闇で包まれています。飼育には生産性が重視されます。そのために、彼らは進化でさえも操作してきました。それらの真実を知れば、きっとだれも、二度と肉を食べたいとは思わなくなるほどのショックを受けるはずです。そのくらい、事実が外に出ないよう密閉された中に業界自体が存在しているのです。 肥料や農薬の産業も破壊的と言っていいような産業です。その非持続的な方法はわれわれ消費者を欺くことを前提としているかのようです。今のようなやり方を続けていると、土壌の表面が押し流され、地球上の豊饒な土地はすべて失われてしまいます。 ファッション業界全体はどうでしょう?グラビアのセクシーな女性広告なしでは存在しえない業界ですよね。多くの広告は、未成年を思わせる女性に衝撃的なポーズをとらせることをします。そして、その彼女があたかもレイプされるのではないかと思わせる、思わず目をそらせてしまうくらいのショッキングなビジュアルを多用します。 コカ・コーラのような清涼飲料水の産業はどうでしょうか。彼らの存在意義を確かめる際は、まず、彼らが一般的に使用している「ショ糖」について言及する必要があります。その「ショ糖」を使用するビジネスモデル自体が劣悪なもので、多くの子どもたちの発育にダメージを与えています。ただし、それが事実であっても、産業全体の「存在目的」を問うには、そういった話題になりにくいトピックだけでは非常に難しいのです。そういった研究成果がきっかけになって、多くの人が疑問を持つようになるとはなかなか思えないからです。一部でそれが取り上げられたとしても、彼らは、黙って従来のやり方を続けることでしょう。それでも私は、彼らの時代は長く続かないと思っています。そのうち、次世代の新たな「存在目的」に導かれた人たちに主導権を明け渡す日がきっと来ると信じています。 ではここで、いま挙げてきたような産業が、今後も存在する理由があるかどうかを問う、簡単なテストを行いましょう。それは3つの質問からなっています。 まず、第1問です。今のような持続不可能を前提とするマーケティングが禁止された場合、彼らや彼らの組織はどうなると思いますか?今のマーケティングを捨てても、彼らは存続し得るだろうかという質問です。「消滅する」という以外の答えは、私たちが引き続き、「偽り」を支持することを意味します。私たち消費者の支持によって彼らは存在し続けるということです。コカ・コーラの広告がなくなった世界を想像してみてください?それでもそこに「需要」が残っているとしたら、きっとそこには、「あなたは幸せになる必要があります」とポンプで送り出されたように繰り返されるメッセージがあることでしょう。そして、あなたはそのキャッチコピーを鵜呑みにしてしまうというわけです。 2つ目は透明性についての質問です。もし、製品やサービスを購入する前に、その作り方を正確に写した5分間の動画を見なければならなかったとしたら、あなたはその製品を購入するでしょうか?という質問です。私は大まじめに、食肉業界の現状を知ったら、誰も肉を買わないのではないかと思います。乳製品に至っても同様です。現在、飼育されている牛は、すべて人工授精だという事実は、ほんの一握りの人しか知りません。牧場に行けば、牛の体内に腕を入れ、一頭の父牛の精液を母牛に移す、あたかも人間が牛をレイプしているかのような光景を目撃することになります。そうやって毎年新しい生命が誕生します。しかし、生まれたらすぐに赤ちゃんは母親から引き離されてしまいます。赤ちゃんを奪われた母牛は、1日から2日の間、何時間にも渡って、ずっと涙を流し続けます。このような情景なくしては、私たちはミルクでさえも手に入れることができないのです。購入前に動画を見て、母牛のために、5分間涙を流してください。それでもまだあなたは牛乳やチーズ、アイスクリームを買おうと思うでしょうか。私はチーズが大好物なのですが、それでも買う気は失せてしまいます。これらが、私たちが向き合わなければならない真実なのです。 3番目の質問はコストについてです。一般的な商品価格には、製品やサービスといった本体のコスト以外に、社会的リスクに対応するためのコストも含まれています。あなたは、そういう製品を買いたいと思いますか?学校を例に挙げると、学校も工場とおんなじで、すべてオペレーションによって稼働している、いわば機械そのものです。学童の「不安」に起因する、例えば、うつ病、自殺、中退率、若者の犯罪、これらのすべては学校におけるオペレーションに還元されると言ってよいでしょう。それでも学校はそれらの問題を後に置いて、稼働し続けることを止めません。本来ならば立ち止まらなければならない問題がいっぱい起きているにも関わらずにです。 これらの3つの質問はとても重要な質問ばかりです。今のあなたがかかわっているビジネスに当てはめて考えてみてください。マーケティングという観点を度外視して、また、完全な透明性を示せるのであれば、そして、製品を購入しようとする顧客には、購入前に必ず製造工程の動画を見せる義務があるとすれば、そして、全てのコストの要素が明らかにされていると仮定した場合、いま、世の中にある製品やサービスの内のどれくらいの割合が存在可能なのか、考えてみてください。私はあなたに真剣に考えてほしいのです。あるいは、非常に不快に感じられることもあるかもしれませんが、それでもしっかり目を開けて、現実を見つめてもらいたいのです。私たちは解決策があると聞くと、答えが存在していると知ると、安心してか、その時点で関心は薄れ、他人ごとになってしまいがちです。態度を明確にするというのはたいへん難しいことです。問題のところに留まって、発言するようになるまでには至らないのです。ですので、まず、答えはそんな簡単に出るものではないことを知るべきです。それでも問題に向かって腰をすえれば、新たな答えが見つかるかもしれません。もし本当に、そのような「存在目的」と相容れない、生命のかけらもないパラダイムが続くことを望まないのであれば、蓋を開けて瓶の中を覗き込む勇気が必要です。私たちは私たちの現在の生活を維持するために大きな犠牲を払って、しかも、その人工物にまみれた生活を続けているのですから。 私たちは、もっと、私たちの顧客のことや、地球環境のことを考えなければなりません。そして、さっき、あなたも一度は考えたと思いますが、存続するに値しない負の連鎖を終わらせる簡単な答えはないのです。私にも分かりません。それでも、その答えを導き出すには、まず、問題を直視することから始めなければ何も始まりません。問題と向き合い、腰を据えて考え続ける、そうすることによってしか可能性の扉は開かないのです。もしあなたの組織で、今のようなことを続けていてはいけない、という声が湧き上がったとしたら、その組織はその後、どんな歩みをするのでしょうね?顧客や従業員に相対した時の、高貴な「目的」とは何か、いのちある「目的」とは何かを語り始めるのでしょうか。 ■翻訳メモの全体の目次 https://note.mu/enflow/n/n51b86f9d3e39?magazine_key=m3eeb37d63ed1