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「知識は主観的な解釈として顔の見える関係を通じて流通する」という仮説を実証するための個人的な実験です。詳細はこちらの記事を御覧ください→ https://note.com/enf…
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#西洋と東洋

ユング心理学と東洋思想 (河合隼雄全対話) (第三文明社)

最近また読む機会が増えてきた河合隼雄の著作。この一冊は、若松英輔さんの講座で「生と死の接点」を読む機会があり、そこで紹介されて出会った。 特に秀逸だったのが、河合隼雄、井筒俊彦、ヒルマン(著名なユンギアン)の3者の鼎談。 ヒルマンは、西洋文化の中からユングを読み解いてきた人であり、彼の来日に合わせて行われたこの鼎談では、ユングを東洋と西洋からどのように読み解くか?という話をしている。 冒頭、ヒルマンが「京都で色々な庭を見た中で感じた全体としての視点」の話をするところから始

老子 (岩波文庫)

老荘思想に興味を持って、Amazonでポチってみたものの、意訳されすぎているか、解説の範囲が広すぎるなと思ってどれもしっくり来ず。 大型の書店に行って、それっぽいの片っ端から読み比べて選んだうちの1冊。 道徳経の全81章について、訳文、訓読文、原文、解説、がほどよいバランスで書かれていて、老子が書いたことそのものを知るのにちょうどよかった。 老子の思想で一貫している「道」とは、あらゆる物事の道理の根底であり、顕在化して認識しやすいわけではなく、しかし「道」に従っていること

昔、言葉は思想であった 語源からみた現代(時事通信社)

「日本的な、これからの組織の姿」を洞察しようとするときに、カタカナでしか表せない言葉に出会うことが少なくない。言葉が表している範囲が違うこともその一因であり、さらには言葉が成立する背景としての世界の捉え方が違うらしい。 そんな問題意識の中で出会った一冊。プロローグに書いてあるこの文章が、端的にこの本の目指すことを書いている。 「昔は、言葉の一つひとつが、物事の感覚、思念そして関与を表すという意味での思想であった」と判明するに違いありません。言葉が混乱に見舞われれば、言葉を

唯識の思想 (講談社学術文庫)

先日のレンマ学に続いて、どう表現するか迷う。それでも、「唯識思想」というものに触れる入り口をもらったとてもありがたい一冊。 私達は、世界を「科学」というパラダイムを通じて解釈することに慣れきっている。「人間」という生き物は60兆個の細胞から構成され、細胞は「原子」から出来ていて、その中には原子核と電子がある。 「物理的に要素還元することによって世界は理解できる」 という前提のもとに世界を認識している。 唯識思想は、その「世界の認識の仕方」が違う。八識と呼ばれる「識」によ

レンマ学(講談社)

この本は、書評のような表現をすることをとても躊躇する。その「書けなかった理由」をあえて表現するならば、 ・内容からものすごく示唆を得ていて、 ・それでも理解しきれている感じがしない、 というのが両立するから。 この本は、「レンマ学」という学問の確立を「提唱する」ために書かれている。なので、決して盤石に体系化されているわけではない。 人の知性は、「ロゴス」という論理的、要素分解的なものと、「レンマ」という直観的、統合的なものに大別できる。現在の捉え方で言えば、ロゴスはより西洋

心理療法序説 (岩波現代文庫)

2年くらい前に河合隼雄の著作を読みまくった時期があったけど、まず1冊選ぶならばこれ。 ノリと勢いで付けた自然(じねん)経営という言葉だったけど、この本の中で心理療法における「自然(じねん)モデル」が提唱されていて、それが自然経営で言い表したいこととあまりに近くてシンクロニシティを感じた。(ちなみに、この心理療法のモデルが必ずしもこの本の主題ではなく、より包括的に「心理療法とは」を語っている一冊ではある) 4つの心理療法のモデルについて以下の4つがあり、上部のほうが「治す」

「空気」の研究(文春文庫)

山本七平の「空気の研究」とか、その前後の日本教の話とか、1980年代とかに色々もう語られてることを今の文脈に読み替えてるだけな気がしてくる。 臨在的把握を絶対化すると「空気の支配」から逃げられない、という文脈で語られるけど、今の時代観だと「複数の空気に分人的・分散的に”私”が存在する」というほうがしっくり来る。 そうなると相対化されて「空気の支配」にならず、でも「(中心がない状態で)空気を読む」ことができる、ということか? 「空気の支配」に無自覚に従わずに済むのは、そこに

身体の聲 武術から知る古の記憶(PHP研究所)

組織を「機械的」「生命的」というメタファで捉えたり、その背景にある「西洋的」「東洋的」という文化の対比にまで考えたり、ということをこの2-3年やってきたが、とても近しい構造から「身体観」という切り口から深く洞察されている。 自分自身の個人的な好みとか知識経験の偏りから、「人」を内面的な方向から掘り下げることが多いけど、同じ構造で「身体」を捉えるというのは、考える範囲が広がるような感覚だった。 著者の光岡さんの武学研究会で直接お話を伺い、武術の簡単な型も体験したが、身体が左