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花火を待って

「わたしは行けないからあなた行ってらっしゃい。」残念そうでも嬉しそうでもなく、母は遊園地のペアチケットを私に手渡した。時折思い出したように「使わないともったいないから」と言って家族に配る商品券や優待券。一体いつ、どこから手に入れているのだろう。今週末という期限に少し戸惑うが、元より予定していたデートの場所が変わるだけで特に問題はない。

 「ここ、閉園直前の花火が有名らしいよ」「人混みは苦手だけどな」「たまには閉園までいようよ」「そうだね。思い切り楽しんでみようか」と心を決めて朝9時、開園直後のエントランスを通った。

 「さすがにこのご時世だとみんな遊園地で遊ぼうなんて思わないのかな。」エントランスからメイン通りの様子が見通せる。「アトラクションも人がいない!貸切だ!」と、少しの不安と珍しい状況に少しワクワクする気持ちが湧いてきて、思わず写真を撮り、母に送る。「チケットありがとう!すごい!誰もいない!」「楽しんできて」と簡単な返信。

 しばらく歩いていくと、併設されているプールに人が吸い込まれていく。不思議なもので、人がそこにしかいないとなると気になる。まるで『朝はプールから』という暗黙の了解でもあるかのようだ。水着をレンタルし、しばらくプールを楽しむことにした。二人の目を引いたのはウォータースライダーだった。長い登り階段が人に埋まることもなく、ひたすら「高いね!」「ドキドキする」と登っては滑り、「次はもっと高いところから!」と言葉を交わしながら登り、また滑る。コースが7つある大規模なものだったが、1時間もかからずに走破してしまった。達成感と、並んでいる時のドキドキ感が欠けているようなモヤモヤした気持ちが入り混じる。流れるプールや波のプールにも入ったが、人が少ないと不安な気持ちになる。閑散とした流れるプールの写真も母に送ったが既読すらつかなかった。

 プールから出て時計を見ると10時半。ほとんど時計が進んでいない。混む前に店を探して昼食でも食べようという話になった。食事ができる場所は遊園地中に散らばっているので、一通り巡って選ぶだけでも丁度いい時間潰しになりそうだ。とはいえ、やはり人がいない。『昼時は混むので早めに!』だとか、『穴場の昼食場所!』だとか調べたんだけどな。どの店もすぐに入れる状況だったので結局『大盛り無料』に惹かれて店を選ぶことになった。午前11時。並ぶこともなく、先客は1組。仲間を見つけて嬉しくなる。食べた料理は見た目もよく、美味しかった。ここでも写真を撮って母に送る。すぐに「美味しそう!」と返信が来る。なるほどグルメ番組の視聴率が高いわけだ。時間は12時。遊園地でプールを楽しみ、昼食を食べてこの時間というのは奇跡だ。

 「まだたっぷり時間もあるし、アトラクション全部乗ろう!」と店の外に出ると、午前中プールにいた人が移動したのだろうか、朝よりも人がいる。とはいえまだ並ぶこともない。入り口近くのメリーゴーランド、パイレーツ、ジェットコースター。高い丘の上の展望台、観覧車。中央広場のよく分からない子供向けの乗り物。待ち時間5分以内でどんどんと消化していく。全てのアトラクションを楽しんだ頃には地図なしで遊園地を歩けるようになる。半日でこの遊園地の達人だという達成感を分かち合う。

 プールとアトラクションを制覇し、時間は午後3時。花火まで残り5時間。とにかく時間の進みが遅く感じる。遊園地の並びが長過ぎて恋人が別れるという話があるが、並びがない方が別れる可能性が高い気がする。途方に暮れ、喫茶店に入る。名物のパフェと、かなり早い夕食のようなカツサンドを食べる。母に送ったパフェの写真には既読がついた。返事はない。「どうしようか」「あ、お土産買わなきゃ!」

 時間が十分あったおかげで家族・友人を含め満足なお土産を買うことができた。お土産の写真には既読もつかない。時間は6時。人がずいぶん増えた。「花火は中央広場がお勧めらしいよ」「人混みは嫌だな」「じゃぁ他の場所探そうか」

 『花火の時間帯は立ち入り禁止になります』の看板は観覧車方面にはないようだ。「どうしようか」「観覧車の上から花火を見下ろすのもいいね」「それ、いいね」

 観覧車前のベンチに座り、花火の時間を待つ。今日は疲れたね。たくさん歩いたね。いいお土産買えたね。他愛ない話。「喜んでくれるといいね」「花火楽しみだね」

 花火が打ち上がる10分前、中央広場にはいつの間に大勢が集まっている。観覧車の列に並ぶ。

 ちょうどいいタイミングですよ。と送り出され、観覧車が高く登っていく。中央広場の人が小さくなる。ドーンと音がなる。パッと上が明るくなる。既読のつかない母への写真。見下ろそうとした花火を目の前にし、苦手な人混みを離れて見下ろし、今度は混み合ったところで花火を見上げようと思った。

#2000字のドラマ

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