グリーン・ゾーンとバブル 日本(語圏)という「壁」

 気候正義は人権であり、気候正義や人権には民主主義や自由が無くてはならない。どの国や社会でも誰もが自由に発言出来て、民主的な選挙制度が機能し、政治が人権を守ることで、気候危機や生態系危機の対策も実質的に取り組める。日本(語圏)では、そこから説明しないと、相手にうまく伝わらないのかもしれない。

 COP27開催の地で不当に投獄されている6万人とも言われている「政治犯」の釈放を求める連帯が、日本の気候運動の若者たちは、自分たちを支援してくれる「新進気鋭」の哲学者の口からも唐突に発せられたからか、ある種の「強要」と受け止め、焦りを感じているらしい。第三者から見れば、せいぜい「助言」「提言」であっても、本人たちがSNS上で困惑や苦言、忌避せざるを得ない程。

 FFFJなど所属の複数のメンバーのように実際に現地で「軍事独裁」「警察国家」の監視下に置かれている身ならまだしも、彼ら彼女ら仲間を応援するために日本国内にとどまって行動しているのであれば、すでに欧米の首脳やNGOが声明を出していて各国のメディアも連日報じている「政治犯」の釈放を求める声を、上げられない理由が分からない。

 本人たちがまだ若くて11年前の「アラブの春」をよく知らないから?それとも、日本で「脱炭素」化には取り組んでいるものの、それを取り巻く国内外のあらゆる問題には、どんな理由であれ、一様に口を閉ざしてきた周囲の大人たちの影響?COP27後にエジプト国内で弾圧が増す危険性が報じられている以上、事態を改善する行動は今しかない。

 世界的な「下から上」への草の根の運動を通じて、あくまでも当事者の意思決定が政策実現に繋がる。それを他者が勝手に選んだり決めたりすれば、まさに経済的かつ社会的な恩恵という名の「特権」を振りかざしただけの「押し付け」「切り捨て」になる。近年は多くの市民が互いの尊厳を認め、「交差性」のもとで連帯を広げ、それら「不正義」「不平等」と闘ってきた。その歴史を踏まえ、エジプトを含むMAPA(最も影響を受ける人々や地域)の声が本当に聞こえているなら、今更「沈黙」など続けられないはず。

 皆が目指すのは、化石燃料由来の差別や搾取、戦争や暴力から開放された進歩的な社会や文化、実現の先にある未来の生活。「損失と損害」の会議の場や比較的安全な「グリーン・ゾーン」にすら姿を現せない程、弾圧され続けてきた同国内の活動家や団体に対して、日本人はどう顔向けするのか?日本(語圏)という「壁」に囲まれ、世界情勢から隔離された異質な「バブル」の中では、いったい何が「希望」なのか?誰も犠牲にせずに互いに傷つけ合わなくなるには、今どうすべきかを考えてほしい。


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