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濱野ちひろ『聖なるズー』(集英社)、わたしたちはお互い、どこまで他者に寄れるのか

一部ですごく話題になっていた濱野ちひろ『聖なるズー』(集英社)を読んでみた。読む前から少し怖くて、読んでいる間も怖くて、読み終わってもまだ怖い。
これは、動物性愛(zoophilia)という、愛情の持ち方についての研究の導入の過程を描いた本である。
「動物性愛とは、人間が動物に対して感情的な愛着を持ち、ときに性的な欲望を抱く性愛のあり方を指す。動物性愛は性的倒錯だとする精神医学的見地と、動物性愛は同性愛と同じように性的指向のひとつだとする性科学・心理学的見地とに、現在はどうやら分かれているようだ」(pp15-16)というところから、作者の探求の旅は始まる。

そもそもが、「私には愛がわからない」(p.6)という文から、この本は始まる。若い頃、10年にわたってDVを受け続け、その負の連鎖からようやく逃れた作者が、大学院でセクシャリティ研究という文化人類学アプローチから、愛やセックスについて研究し、理解しようとする。
自己救済、ということではないのかな。自分を解放するためのセクシャリティ研究。
直截に自己の体験とは重ならないが、一定数の人間が持ちうる愛情の在り方について考えることで、わからない愛について、少しでも理解しようとしている。

動物とのセックス、と言われると嫌悪感を持つ人、反感を持つ人、糾弾する人も多いと思う。
わたし自身は、子どもの頃から動物を飼った経験すらないため、動物との共存ということ自体が理解出来ない。
ペットと共に暮らしている人も多いし、ペットは家族である、と思っている人も多いが、それは、人間が保護者(上位者?)であり、ペットは庇護され、猫かわいがりされる関係性である場合が多い。それに対し、zoophiliaは、人間と「ペット」の対等性を重んじていて、性愛も、人間が動物に強要することはなく(勿論そういう性愛もあり、それはbestialityと言われる。bestialityのイメージがあるため、動物性愛は動物虐待として糾弾される)、生活空間の中で、ヒトも動物も満ち足りた状態で暮らしているのがzoophiliaの人たち(ズー)だ、ということを、作者はドイツで、動物性愛を擁護する団体(ZETA)に所属する人々たちと会い、彼らの生き方を取材する中で理解していく。

動物に対して、性的な要素も含む愛情を抱くことについて、カミングアウトすることは、ドイツにあっても困難なことであり、興味本位の取材に対する警戒感も強い。そんな中、作者は焦ることなく、じっくりと対話を繰り返し、自らをさらけ出すことによって、当事者たちの信頼を勝ち得て、何名かのズーの生活を見せて貰うことが出来た。
人間と動物の対等性を重んじる結果、彼らの住空間は、相手に対する気遣いが一日中充満した、濃厚な状態になっている、という。
そして、相手の嫌がることはしない、ということで、実際のセックスの頻度は部外者の興味本位のイメージとはかけ離れて低い模様である。
(すべての動物性愛者がそうであるかは、たぶん誰にもわからないけれど)
「私が見てきたズーたちにとって、ズーであることは、『動物の生を、性の側面も含めてまるごと受けとめること』だった」(p.249)
ZETAに属するズーたちは、パートナー動物の意志の尊重が傍目にあまりに強いため、他のズーたちから「聖なるズー」と揶揄的に呼ばれたりすることもある。それをタイトルにしている時点で、まだzoophiliaの全貌がこの本だけで見えている訳ではない、ということも想像に難くない。

人間の持つ性質には、本人が生まれ持った、自分一人で確立した「キャラクター」と、自分が他者とかかわるその関係性によって生まれる「パーソナリティ」がある、と作者は論じる。それは多くのズーが「動物にはパーソナリティがある」と言うことをきっかけとした考察である。動物ならなんでもいいとか犬ならどの犬でもいい、ということではなく、自分との特定の関係が成立しているパーソナリティを愛するのがズー、らしい。そして、ズーの生き方を見せてもらうための作者のアプローチもまた、相互的な新たなパーソナリティの発見である。

一部の人(或いは多くの人)がアブノーマルであるとして糾弾する愛の形は色々ある。LGBTQがこれだけ市民権を持ち始めている時代でも、性的少数者への偏見や迫害は未だに強い。
自分が持っていないキャラクターを、その人との関係性を築くことでパーソナリティとして理解できるようになる可能性はあるが、扉を閉じている人は多い。
扉をすべての人に対して開放することも不可能だが、扉を開けたら見える世界もあり、それが作者を前進させている、ということをこの本は教えてくれる。

学術的な研究への取り掛かり、のその前段階のような著作(これは論文ではなくノンフィクションだ)だが、だからこそ手に取る機会を持てたのだと思う。
自分で踏み込む勇気のない世界の物語、と思って読んでいるからわたしは怖がっているのかな。
解決がつかないなりに、考えてみる。

#読書 #聖なるズー #ズー #濱野ちひろ #集英社 #パーソナリティ


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