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吉村昭『漂流』(毎日読書メモ(530))

ちょっと遠出をするときに、道中の読書用の本、何冊も持っていけないから、と、父の本棚から取ってきた、吉村昭『漂流』(新潮文庫)を荷物に入れて行った。大正解。物語世界にぐっと引き込まれ、眠気もきざさず、途中で寝過ごしたりする心配もなく、手に汗握りつつ読み進める。
家に帰って、面白さを家人にとうとうと語っていたら、「君はこういう、極限状態にいる人が、どうやってその運命から脱出しようとする小説が好きなんだね」と言われる。確かに前にも、アンディー・ウィアー『火星の人』の面白さをとうとうと家人に語ったことがあった...かなり昔だけどな。自分にそういう傾向があるということは、言われるまで気づかなかった(というか、他に読んでいる本で、家人の共感を得られそうな本が特になくて、たまたまお勧めしてみたい本がそういう、苦難を乗り越える冒険譚だったということだと思うんだけど。
導入は、作者自身のモノローグ。高知で、長平という人物の墓参りに行く。小説の主人公だ。漂流者の記録に興味を持ち、その中でも江戸時代の漂流者についての記録を読んできたのだが、読んでいると、第二次世界大戦後、南の島々で投稿せず密林の奥に隠れていた旧日本兵たちのことを連想する、と何人かの旧日本兵の話や、アナタハン事件(これは桐野夏生『東京島』のモデルとなったエピソードだ)が取り上げられている。
わたし自身、子ども時代に、グアム島で発見された横井庄一さん、その後、フィリピンのルバング島で発見された小野田寛郎さんに関する報道は鮮明に覚えている。漂流とはちょっと違うが、日本から遠く離れた南の島で何十年も情報から遮断されて生き延びた人たち。
そして長平。最初に高知にお墓がある、と書かれていることで、生還者である、というネタは割れているのだが、そこまでの道のりの壮絶さに絶句する。
(後半ネタバレあるのでこれから読む方は注意を)

天明5(1785)年、土佐で、海岸沿いをほんの八里、米を運搬して行った船が、帰路、嵐に襲われ沖に流される。楫がへし折られ、方向を制御することが出来なくなり、次に、飲用水をためていた水槽が流失する。船はどんどん沖に流され、黒潮に乗せられてしまう。糧食の米をやむを得ず海水で炊き、喉の渇きと戦う。船のバランスを保つために帆柱を切り倒す。なんとか生き延びた4人の船乗りは、ばらばらになってしまった船で、なんとか南の島に流れ着く。途中火種も失い、火をつけることも出来ない。

流れ着いた島は、伊豆諸島の南端に近い鳥島。火山島で、真水の湧く泉もない。土も限られているので、木も殆ど生えない。人は住んでいないが、島内を探索すると、やはり嵐で流されてきてこの島に辿り着いたと思われる人間が残した遺物や白骨などが残っている。
彼らの命を救ったのはアホウドリだった。これまで殆ど人間を見たことがなく、人を恐れない大きな鳥を殺して、火種がないので干物にして、それを塩水で洗って食べて生き延びる。賢明だったのは、鳥たちのそわそわした様子を見て、アホウドリが渡り鳥であることに気づき、また島に戻ってくるまでの期間、食料を絶やさないように、干物を大量に作ったこと。また、脚気の気配が出てきたので、アホウドリだけ食べるのでなく、浜辺の海藻をとったり、貝を食べたりして栄養のバランスをとったこと。スコールのような雨が降ったら必死に水を貯める。
しかし最大の敵は、故郷に帰れるという希望を失った絶望感だった。気力を失い、身体を動かさなくなった同僚たちが次々と亡くなっていき、長平は一人残される。長平自身も身投げをしようかと思う位気持ちが切羽詰まる。念仏を唱え、必死に食い留まる。

そこに船が現れる。長平漂着から3年目。しかし残念ながら、長平を救助してくれる船ではなく、やはり難破して漂流して流れ着いた、大阪の船頭たちだった。アホウドリの羽毛で作ったマント状の衣類を身に着けた長平の姿に当初警戒心を抱いた大阪の男たちも、長平と共に生き延びる決意を固める。総勢11人。火打石を持っていたので、生活レベルは少しだけ上がる。しかし助けが来る見込みは相変わらずなく、命を落とす者も出てくる。それから更に2年、今度は薩摩の船が難破して島に辿り着き、更に6人の仲間が増える。持ってきた道具が生活のクオリティを上げる。しかし、日本に戻れる算段は全くない。本文418ページのうち300ページ以上が過ぎた。突然アメリカの捕鯨船でも来るのか? でも外国人に救出されると、鎖国の日本には逆に戻れなくなるよな、とか思いつつ読み進め、彼ら一行が日本に帰還するための、あっと驚く工程が最後の100ページ弱で繰り広げられる。それは、多くの難破船の残骸から木材をかき集め、その木材に刺さっていた釘も余すことなくリサイクルして組み上げた船で、船出するというもので、そもそも木材が集まるのに何年もかかり、事実だと知らなければ、そんな夢物語みたいな脱出劇が可能だとはとても思えない。希望こそが最大のエネルギー源であることを強く感じさせるくだり。
また、船出にあたっては、将来的にまたこの島に漂着する可能性のある未来の漂流者たちのために、色々な生活の知恵を書き残し、洞窟に納めてくる。本人は字もろくに読めない長平の生きる力の強さと、それをシェアしようとする気持ちの持ち方にひたすら感嘆する。漂流以来、ずっと日付も自分で刻んで記録し、新たな漂流者が来た時に微調整しながら日付を数えてきたのが、日本に戻っても殆ど誤差がなかったという事実にも驚く。
青ヶ島、八丈島を経て江戸に戻り、そこからめいめいの故郷へと旅立つ漂流者たち。24歳で漂流を始めた長平が土佐に戻った時には37歳になっていた。
すさまじき人生。
孤独にさいなまれつつも、神仏に祈り、精神のバランスを取り、置かれた状況の中で最善のことをするよう尽くす長平に、ヒーローの姿を見る。絶望を絶望のままで置いておかない長平の姿、勿論小説なんだけど、帰還したという事実の前にひれ伏す。



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