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ウィーンが生んだ若き天才 エゴン・シーレ展@東京都美術館

2月23日(木・祝)に、上野の東京都美術館で開催中のエゴン・シーレ展を見に行ってきた。ウィーンのレオポルド美術館の収蔵品を中心に構成された、19世紀末~20世紀初頭のウィーンの芸術動向を一望できる、充実した展覧会だった。
東京都美術館は今回も日時予約制。9:30開館で、10:00からの回に入館したが、そんなに混雑して見にくいということもなく、間近に寄りたいときは少し待ったりもしたけれど、ストレスなく見られた。館内の案内員がずっと、順路は設けておりません、好きなところからご覧ください、と連呼し続けているのがちょっとうるさかった。あんなに言わなくてもいいと思う。ちなみに、順路はないので好きなところから、という案内は、2016年の怒濤の伊藤若冲展の時(しつこくリンクを貼るぞ)も言っていた。あの時はちょっと殺意を覚えた。今回はちょっとうざいのでは?、と思った程度。コロナは美術館に余裕を与えた。
絵の配置はおおむね適正で、角のところで人が滞留して進まないとかそういう感じはなし。ちょっと気になったのはライティングで、角度によって反射がきつくて絵がよく見えず、左右に動き回って全貌がきちんと見えるスイートスポットを探さなくてはならない作品が結構あった。額縁にガラスがはまっている作品で、ガラスの存在が余程しげしげと見ない限り分からない作品が多かったので、ガラスの反射を避ける効果は結構あると感じたが、絵が見えにくいのはそれと関係あったのかな? ちょっと謎。

展覧会の構成は、第1章がエゴン・シーレのイントロダクション、第2章がクリムト、コロマン・モーザー、カール・モルなどによる世紀末前後の作品群、第3章がウィーン分離派、第4章がクリムトとウィーンの風景画、第5章がコロマン・モーザー、第6章がリヒャルト・ゲルストル、第7章が1910年代前半のシーレの試行錯誤の軌跡(この賞がとても興味深かった。今回のポスター等に多用されている「ほおずきの実のある自画像」もこの賞だった)、第8章がシーレの女性像、第9章がシーレの風景画(この章だけ撮影OKだった)、第10章がオスカー・ココシュカ、第11章が、シーレがアカデミーを抜けた後一緒に活動をしていた新芸術集団の仲間たちの作品、第12章がウィーンのサロン文化と、シーレのパトロンたちの肖像など、第13章がシーレの裸体図、第14章が晩年(って28歳で死んでる晩年のあまりの早さよ)の作品群。未完の作品もあり。

荷造り部屋。軍隊に行っていた時のデッサンらしい。
クルマウの家並み
モルダウ河畔のクルマウ(小さな街IV)
ドナウ河畔の街シュタインII
丘の前の家と壁
吹き荒れる風の中の秋の木

なんとなく、シーレって赤貧洗うがごとき生活をしていて(石川啄木的な?)、スペイン風邪でころっと死んでしまった薄幸の人、というイメージだったが、官吏の息子として生まれ、父の死後は伯父の庇護を受け、若くして絵の才能を認められて、異例の若さ(16歳)でアカデミー入りして、既存の芸術に背を向け仲間たちと新芸術集団を作ったりするけれど、何人もの支援者を見つけ、あ、実は順風満帆とまで言うと言い過ぎにせよ、それなりに恵まれた芸術家生活を送っていたんじゃないか、と認識させられた展覧会だった。クリムトとシーレって、ついついセットで語られがちだが(同じ年にスペイン風邪で死んでるし)、世代も違うし、シーレの絵画の恐ろしいまでにきりっとした描線は、クリムトの描くラインとは全く違う。クリムトの闘いと、シーレの闘いは全く別のものだったと思う。
なんでこんな絵が描けるんだろう、という驚きはどちらにもあるけれど、驚きの質が全く違う。

展覧会グッズのショップはかなりの大行列。遅い時間だと更に待ち列が長かったのでは、と推察。
絵はがきは定形外の形のものが多数。クリムトが正方形キャンバスを好んだ影響が他の作家に波及していたのがわかる。
カード5枚買うと黒のエゴン・シーレシール、10枚買うと金のシールをプレゼント。うかうかとカード5枚買っちゃったよ。このシール貰ったからってどうよ?、5枚ためるとおもちゃの缶詰がもらえるわけでは...ない。

一番下のが貰ったシール。



会期2023年1月26日~4月9日、ざっとネットで見たところ、地方巡回はない模様。

このAERAのMOOKは売っていて、公式図録よりお手軽で、入門書として役立ちそうでした。


戦争が終わったのに、その途端死んでしまうなんて…

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