文学で学ぶ英語は社会で役に立ちません 読解・情報収集編
おことわり ここでは、文学で学ぶ英語が実社会で役に立たないことを、武蔵大学文学部教授による献血ポスターに関するツイートやブログ記事「献血ポスター問題について」を題材に説明します。
文学で学ぶ英語が社会で役立たないからといって、文学が悪いわけではありません。文学のために学んだ英語は、文学(大学の中)で活用するものです。文学で学んだ英語が実社会で役立つと期待して、進学後にその期待が裏切られても、受験前には戻れません。また、文学部の学生や卒業した社会人に、英語の能力を期待して失敗したとき取り返しがつかないこともあります。このエントリは、進学先を選択する高校生などや文学部で学んだ人と応対する人などのための事前情報として、公共の利益に資するものです。
武蔵大学文学部教授の主張「医療にかかわるプロセスに無条件ですごく高い倫理性を求める」
武蔵大学文学部教授の北村紗衣先生は、日本赤十字による献血ポスターを発端として、医療にかかわるプロセスに無条件ですごく高い倫理性を求めました。この理由として、ご自身の母親が輸血で病気に感染したと述べています。
注:献血の広告に高い倫理性を求めるためには、「医療にかかわるどんなプロセスにも無条件で高い倫理性を求めます」が前提にないと論理的に破綻します。また「献血についてはすごく高い倫理性を求めたい」と「私は献血の広告に高い倫理性を求めたい」とあるように、献血と献血の広告の区別ができていません。論理的な議論においてこの2つはまったく異なるものです。
英語がわかれば、その主張の反例「倫理は医療に反する例」に気づく
しかし社会で役立つ英語がわかる学力があれば、北村先生の主張「医療にかかわるすべてのプロセスにすごく高い倫理を求める」ことで医療が阻害されること、具体的には社会における次の4つの事実に気づくことができます。A、Bは北村先生の主張の反例になっています。
A 倫理が医療を阻害する例(倫理が社会的弱者の病気発見の機会を奪う)
B 医療のために倫理をあきらめる例(倫理がワクチン接種拒否、ワクチン開発阻害につながるので、倫理を妥協する)
C Aよりも倫理的でない献血ポスターをアメリカの赤十字が容認した例
D 有償の献血が医療の安全性を損ねないという主張の例
Aは北村先生がご自身の主張の裏付けとして示した、倫理の点で批判された論文に関する事実です。その批判では、倫理が守られるなら社会的弱者への医療、つまり彼らの健康は失われてよいものとしています。北村先生は、ご自身の母が輸血で罹患したことからすごく高い倫理を求めていますが、この論文の批判は倫理のためなら健康を犠牲にするという正反対の主張です。後で引用するこの論文の英語が読めるなら、主張の裏付けに示すはずがありません。
BはAの逆で、(自分の健康につながる)医療のためなら倫理的に許されない行為を容認する例です。倫理を大事にしていたら、感染から自分の身を守れないという単純な理由です。英語圏のニュースでたびたび取り上げられている(カトリックの倫理が医療に反する)話題を情報収集できる能力があるなら、(医療を阻害する可能性のある)すごく高い倫理を医療に関するプロセスに求めるはずがありません。
Cでは(Aで倫理的に問題だと北村先生が批判している)膝上スカートの白衣を着た看護師の献血ポスターをアメリカの赤十字は容認している事実を示します。つまり、赤十字における倫理に関しても、献血の安全性についてもミニスカートの白衣は問題ないので修正されませんでした。
Dは、倫理に反する有償での献血は倫理的な無償の献血と安全性に違いがないと専門家が主張している書簡です。献血において、倫理は安全性に関係ないという主張の例です。
北村先生の主張に反するこれらの実例は英文読解やニュース、ネットなどからの情報収集といった社会で役立つ英語の能力が身についていれば、理解、発見できるものです。もし教授が理解、発見できないのなら、社会で役立つ英語を学生が学んで習得できるはずがありません。もし大学受験生が以下に示す例に納得するなら、こういった社会で役立つ英語はできなくても、文学のための英語だけを身に着けるために文学部に進学すると良いでしょう。
A 倫理が医療を阻害する例(倫理が社会的弱者の病気発見の機会を奪う)
ここで対比されるのは次のすごく高い倫理と医療です。
すごく高い倫理 (北村先生が評するところの)ややセクシーな看護師の服装を着てスタッフが健康診断受診を促すことの禁止
医療 社会的弱者に健康診断受診を促して病気を発見する機会の提供
北村先生が「ややセクシーな看護師の服装で健康診断をすすめる効果についての研究が厳しく批判され」たと参照した論文は次です。
Naoki Kondo, Yoshiki Ishikawa. Affective stimuli in behavioural interventions soliciting for health check-up services and the service users' socioeconomic statuses: a study at Japanese pachinko parlours. Journal of Epidemiology and Community Health. 2018 May;72(5):e1
批判されることをした理由は、論文の冒頭にある Background に書かれています。
出てくる英単語の偏りはありますが、それを辞書で調べてしまえば、この部分は平易な英文なので理解できます。社会的弱者は健康診断のような健康維持に関心がなく、喫煙、飲酒などの(健康を損ねる)ストレス解消や快楽を好み選ぶ傾向にあります。そのような快楽を選択する人たちに健康診断受診をうながす刺激は、倫理的に推奨されないものになってしまいます。こういった背景が現実にあるときに、社会的弱者を健康診断にうながす刺激に快楽とは正反対の高い倫理を要求すれば、その刺激の効果、つまり社会的弱者の健康診断受診は期待できません。
そして、北村先生の求めるすごく高い倫理によって、社会的弱者の女性の健康が損なわれます。Discussionの1つ目のパラグラフにその説明があります。
倫理を求めることで、社会的弱者の女性を健康診断にうながす機会、つまり病気の早期発見、早期治療の機会が奪われました。
Cで参照するために、クリエイティブコモンライセンス BY-NC 4.0 に従いこの論文に含まれる、北村先生が倫理的に問題だとした白衣の画像 (A) を転載します。
B 医療のために倫理をあきらめる例(倫理がワクチン接種拒否、ワクチン化開発阻害につながるので、倫理を妥協する)
ここで対比されるのは次のすごく高い倫理と医療です。
すごく高い倫理 中絶胎児に由来する細胞株がかかわるワクチンの接種(医療の)禁止、その細胞株がかかわらないワクチンの開発
医療 感染症の蔓延、ワクチン開発の負担増(時間、費用、手間)
中絶はカトリックにおいて殺人に相当する反倫理的行為です。2022年末において、世界の総人口7,785,769,000名に対してカトリック信者は1,375,852,000名いるというカトリックを布教する通信社による統計があります。北村先生のように、カトリックの宗教的指導者が10億人を超える信者にすごく高い倫理を求めれば、大量の信者がワクチン接種を拒否することで感染症が蔓延するのとともに、ワクチンの開発もままならなくなるでしょう。しかし、現実は正反対でした。
例えば、アメリカのテレビネットワークのひとつ ABC による記事でこの対比が取り上げられています。
「中絶」という倫理的でない行為に反対して、そこから得られるワクチンも拒否すれば、病気に感染し健康を損ねる可能性が増えます。また、中絶胎児由来細胞株を用いないワクチン開発は、ワクチンの安全性の確認などにより多くの時間、費用、手間がかかり、用いたワクチン開発より完成が遅くなります。このため、宗教的指導者は倫理をあきらめ倫理的でない医療を選んでいます。
この倫理と医療の対立は新型コロナに対するワクチンでも起きている、欧米では身近な話題です。この対立を取り上げているニュースの例として NBC News Now の動画を示します。
映像の中でカトリックの関係者は「中絶胎児由来の細胞株はすでにあり、将来の中絶を引き起こすことがない」という理由で、過去の中絶のことを忘れてその細胞株を用いたワクチンの接種に妥協しています。現実の倫理はこのように、よく言えば柔軟で臨機応変です。
一方、北村先生と同じく、妥協せずにすごく高い倫理を求める人がアメリカにいます。ドナルドトランプ前大統領です。
C Aよりも倫理的でない献血ポスターをアメリカの赤十字が容認した例
ここでの対比は次の2つです。
すごく高い倫理 Aでの膝上スカートの白衣を着た派遣スタッフによる健康診断勧誘の禁止
アメリカ赤十字の倫理 献血ポスターで、開いた胸元と太ももが見える丈の白衣に修正なし
献血の「胸元の開いた膝上スカートの白衣の看護師」という「刺激的な宣伝」をアメリカの赤十字が確認したうえで修正しなかった実例を示します。この例から,献血の「刺激的な宣伝」は献血の安全性に影響を与えないとアメリカの赤十字が認めたことがわかります。この事実を踏まえると、献血ポスターの倫理について事実を抑えていないのは、日本赤十字なのか北村先生なのか、わからなくなります。
映画「SAW」シリーズの会社が行っている献血イベントのポスターに関するニューヨークタイムズの記事があります。
この記事では、トランスジェンダーのドラァグクイーンなど8人が看護師に扮した献血ポスターの公開(現在は削除、アーカイブ)が紹介されています。そして、映画「SAW」シリーズはこのときだけでなく、2009年にアメリカ赤十字社から賞が与えられるほど長年に渡って献血に貢献してきました。そこで過去のポスターを調べると、過去 SAW3 の献血ポスターには、胸元の開いた膝上スカートの白衣の看護師が登場しています。
この記事の5つ並んだ修正前/修正後の献血ポスター画像が示すように、その修正では開いた胸元や短いスカートはそのままで、赤十字の記号が白衣、ナースキャップから消されただけでした。北村先生が倫理的に問題だとしたAの白衣と同等(スカートの短さ)かそれ以上(開いた胸元)に倫理的に問題のあるはずの服装による「刺激的な宣伝」をアメリカ赤十字は修正しなかった事実がありました。この事実にもとづけば、北村先生が倫理的に問題だとする日本赤十字の献血ポスターも修正の必要はないでしょう。
付け加えておくと、この修正の後の SAW 4, SAW 5 の献血キャンペーンのポスターも、胸元が開いていたり、膝上丈の白衣を着た看護師が登場しています。
D 有償の献血が医療の安全性を損ねないという主張の例
献血は無償であることが倫理の前提になっています。これは北村先生だけでなく、国際輸血学会による「献血と輸血に関する倫理綱領」(PDF ファイル)でも「移植用造血組織も含めて,献血はいかなる場合も自発的かつ無償でなされるべきである」となっています。
これに対して、有償の献血は安全性を損ねないと主張している具体例として、経済学者アレックス・タバロック氏のコラム Dear Canada: Don’t Ban Paid Blood Plasma Donation,” Marginal Revolution, on January 17, 2018(日本語訳 カナダさん、有償の血漿を禁止しない方がいいよ)を紹介します。
このコラムでは、アメリカやカナダのいくつかの州では有償での献血が法的に認められていることや、NPO団体カナダ血液サービスCEOによる「有償での献血から得られた血漿が安全面で劣ったり危険であったりするという話は虚偽です。無償の献血から得られた血漿と同じく安全です」という主張、インセンティブと血液提供の関係を研究してきた経済学者や哲学者などが署名した「有償の献血を禁止すべきではない」という書簡などが紹介されています。
この主張の正しさはさておき、北村先生が「倫理的ではない」とする有償での献血が実際に行われていて、安全だと主張する専門家がいることは事実です。何より有償での献血がアメリカ、カナダだけでなくそこから輸出された輸血が輸入国の医療を支えています。
北村先生による「実用的な英語の運用能力」とは
北村先生は出版社アルクのサイトで、TOEICやビジネス英語で「実用的な英語の運用能力」が獲得できない理由【北村紗衣:大学の英語教育②】という文章を発表しています。その文章では、TOEICのような資格試験の英語を教えない理由として、それを求める人が「何が実用的な英語なのかについてのはっきりとしたヴィジョンを持っていない」と指摘し、英文学を学び文学的素養を身に着けることで、ディズニー映画のセリフがロミオとジュリエットを元ネタにしていることがわかる、と英文学を教えることの重要性を説明しています。
このため、上の実例で引用した英文はTOEICの長文読解のようなものであり、文学部で学ぶ英文学のための英語とは異なります。
まとめ
武蔵大学文学部教授の北村紗衣先生は、輸血用血液の安全性を理由に、医療にかかわるすべてのプロセスに献血の広告に高い倫理性を求めました.しかし、倫理は医療に反することがしばしばある事実を、実用的な英語を読めれば具体的に理解できることを示しました。
つまり、実用的な英語の読解、情報収集能力があれば、これらの事実を知り、すごく高い倫理を無条件で医療に関するプロセスに求めることはあり得ません。医療に無条件ですごく高い倫理を求めるというのは、実用的な英語の読解、情報収集能力が欠けている可能性を示唆しています。さらに文学的素養とは無関係のこれらの能力が文学部で教えられることがないのは、北村先生のアルクでの文章から明らかでしょう。
正しいかどうかわかりませんが、もしこの考えが正しいのなら、実用的な英語の読解、情報収集能力を文学部で学べることはあり得ないといえるでしょう。実用的な英語を忘れて、文学的素養のために英文学を学びたい大学受験生は文学部に進学すると良いでしょう。