5章-(5) ママ駆けつけ
新聞記事の出たその日の夕方、ママが車でみゆきのアパートに駆けつけて きた。姉の千春もいっしょの、これが初めての訪問だった。スミ伯母さんは布団といっしょに岡山から送った座布団を、初めて客に出すことになった。
ママはスミ伯母に丁寧に礼を言って挨拶をくり返した。
「狭いアパートを探したのね、道夫さんは。こう狭くては、伯母さまにも ご不自由でしょうに」
「これで充分ですよ。何しろ大金を返済し続けなくてはならないでしょ」 スミ伯母さんはママには、岡山弁から標準語に変えて答えた。
台所からは、カレーの匂いがしていた。伯母さんはこうなることを見込んで、午前中から特製手造りルーで作るカレーを仕込み、大人数に対応する よう考えてくれていたのだ。
「借金を背負わされた相手が、もういないというのに、なんとバカバカしい話なんでしょう。最初から最後までバカにされっぱなしのようで、腹が立ちます、ほんとに」 ママは、4ヶ月近い前の時のように、感情をむき出しにして言った。
スミ伯母は穏やかにこう言った。 「腹を立てるだけ、エネルギーを使ってムダですね。相手がいてこそ、腹を立ててぶつけてやる甲斐があるというもの。こんなこともあるのかと認めるしかないですよ」
ママは承服しかねるように、口を曲げた。機嫌は直ってはいなかった。
パパの自転車の音がして、やっとドアから入ってきた。 「車を道の端に停めたままで、いいのかな」 「黄色線じゃなく、白線だったから、かまわないんじゃないの」とママ。
パパは隣の4畳半で、作務衣に着替えて、6畳に戻ってきた。パパの机と 簡易ベッドとテーブルで、5人が座ると満杯だった。みゆきと伯母さんは
台所用の丸椅子を使った。
みゆきは皆がそろっているのが、嬉しくて、ちはる姉の側にくっつくようにして座った。
パパは座るなり、こう言いだした。
「今日一日、銀行や弁護士の友だちにも電話で聞いてみたりしたが、何も変わらないことがわかったんだ。土屋一家が死んでも、うちが背負った補償額については、これからも払い続けなくてはならないそうだ。辛い話だなぁ、ほんとに。ママには会わせる顔がないよ」
「それはもう、言わないことにしましょ。私たち、払うことに決めて、家を売り、家財道具も売って、別暮らしをすることまで決めて、動き出したのだから、その責任は最後まで果たしましょ。それが、あの卑怯な人たちを見返す、一番の仕返しだわ! 生き方の違いをみせてやるわ!」
ママの強い言葉に、スミ伯母さんが大きくうなずいた。みゆきは目を見張って驚いていた。さっきのママがどこへ行ったのかと思ったほどの、力強い宣言に、ママを見直す思いだった。
「ありがとう、雪子。そう覚悟を決めてくれてほんとに助かる。有り難う。実は今日、同僚に息子の数学の家庭教師をやってくれないかと、頼まれてね。兄の方は高校2年、弟はみゆきの行ってる4中の2年生だそうだ。明日返事する約束なんだが、引き受けることにするよ。学校の帰りに、うちへ寄ることになるんだ」
「このへやでですか? ムリだわ、狭すぎますよ」と、ママ。
「でも、引越し賃はバカにならないし、ここでなんとかやって見せるよ。 今は2人だが、3~4人くらいだって、なんとかなるよ」
スミ伯母が賛成した。
「それがいいわ。私は台所べやにいて、みゆきは・・」と言いかけた伯母を、みゆきが引き継いだ。
「私がパパのへやにいて、パパは4畳半にこのテーブルを移して、テーブルと椅子でやれば、できるんじゃないの。椅子をもう2つくらい買って。伯母さんと私が、パパのへやにいるのよ。だってベッドのある横で、よその子が勉強するのも変でしょ」
伯母さんがすぐ賛成した。
「それがいいわ。生徒の来る日は、テーブルを移したり、みゆきの机をこのへやに移したり、動かせばいいのよ」
ママもうなずいて、こう言った。 「伯母さまにはお世話をかけます。お手当ても差し上げないで、お手伝い ばかりして頂いてるのでしょう?」
「いえ、私には年金と退職金もありますし、少しは援助もできますよ。私を役に立たせてくれて私こそ有り難いです。息子同然の道夫と孫同然のみゆきといっしょに暮らせるなんて、どんなに嬉しいことか・・」
「それを伺って、ほんとに安心しました。私も精一杯ピアノ教室と学校を 続けて、借金を減らせるように頑張りますね」
「でも、道夫も雪子さんも、ムリしすぎて身体を壊さないように、くれぐれも大事になさって下さいね。それが一番気がかりですから。みゆきもちはるもこれからの人生が待っているのですから・・」
と、スミ伯母さんがしんみりと、優しく言った。
5人でテーブルに台所の机も引っ張り寄せ、カレーライスとサラダと、 デザートはママが持参のシュークリームで、夕食を終えた。
みゆきには、電撃の朝のニュースから、夕方の家族の集まりでの、穏やかな結末が心に深く残った。これが生きてるってことなんだ、と・・。
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