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 4章-(3) 結城君の用件

人影のないネムノキの森の中だった。学園のその一郭は、木が生い茂り、 小道が縦横に走っている。〈恋人の森〉とも言われて、外部から訪ねて来たボーイフレンドと、語り合う時に最適の場だった。

「ご用はなんですか?」

泣いたせいか、声が自分の声ではないような気がした。固いひびきでよかった。結城君と2人だけというのは、なぜか落ち着かない。黙っているとドキドキが始まってしまう。

「すわらないか。ぴったしのベンチだ」

大きなネムノキの下に、緑色のベンチがあった。結城君は、香織のハンカチをしいて、どうぞおかけを、の仕草をした。

香織が座ると、結城君はすぐ側に、寄り添ってすわった。香織はそっとずらせて遠ざかった。

「君の泣いた理由を聞かなくちゃね」

「そんなこと、結城さんには関係ありません。それより、ご用は?  部活の途中でしょ?」

「ピンポーン。探偵になれるよ。ではまずご用をお教えしよう。6月の第2土曜日に、バレー部で映画会を開く事になったんだ。切符をなるべく沢山 売って、夏休みの長期合宿費用の足しにすることになってね。野郎ばっか じゃ面白くない。花の女性を集めようというわけでね。君の寮なんか、カモが、おっと、客がいっぱいいそうな気がしてね」

香織は口をとがらせた。

「それなら、寮の玄関のベルを鳴らせば、週番が取り次いでくれて、庶務係の宮城千奈さんが、券を売る宣伝をしてくれます」

ヒマラヤスギに隠れて待ち伏せしなくても、用事はすませるのに。泣いてるところを直撃されるなんて、きまり悪くって・・。

「人見知りするんだよね、オレ。千奈さんって、ポールのペアだったろ。 おっかなくって、あの人頭切れるよ」

へえだ、頭のにぶい香織なら安心ってことか。侮辱だな、もう!

「私は切符を売ってるひまなんかありません。たぶん映画会も行けないわ」

語尾がふるえた。ああ、思い出してしまった。私はこんなことしてる暇なんかないんだ。ここにいる私を先生に見られたら、今度こそ、見放されてしまう。香織は立ち上がっていた。

「わたし勉強があるの。1分も無駄に出来ないの。3日後にテストなのに、編み物ばっかやっちゃって、何も準備できてないの。さよなら」

ハンカチを丸めて、ポケットにつっこみ、香織は返事も待たずに駆け出した。後ろから結城君の大声が追いかけて来た。

「わかったわかった、何もかも。誰のための編み物か、誰に泣かされたか、もね。が・ん・ば・れー!」

あんちくしょ、黙ってればよかった。千奈よりずっと頭が切れるんだ。  でも、大きな声で、が・ん・ば・れーだって。背中を押されたみたい、   ようし、がんばるぞう!

羅針盤は〈禁ノック〉に固定。洗濯物がたまろうが、テーブルの上が乱れ ようが気にしない気にしない。髪の毛も編み込みは中止。ブルーの太ゴムでまとめてお終い。耳栓をして、雑音はシャットアウトし、必要な品は机の前の窓枠の棚にずらり並べた。探す手間も惜しいんだ。

「若さまってひどいなあ。オリがあんなに時間を使って、心をこめて編み 上げたのに、受け取らないなんて」

直子は思い出したように、くり返しつぶやいたが、耳栓をして、教科書と 参考書にしがみついている香織は、見向きもしない。

「待てよ、オリをあんな風に勉強家に変えたってことは、若さまのやり方は正解ってことだね、そうよ」

直子は自分の結論に納得したのか、自分の勉強に取りかかった。

その日は7時間、いつもの倍以上、次の日は8時間、試験前日は半日授業とあって、なんと12時間の最高記録の勉強をした。

テスト当日の朝も、掃除当番はあり、6時起きだった。夜中の1時に就寝で、寝不足続きなのに、興奮状態が続いていて眠気は消えていた。とにかく精一杯やった。という思いが、充実感となって、今までのような、テストだ、どうしよう、というおびえる気持ちが消えていた。

直子の方は、毎晩11時には床に入り、7時の朝食までぐっすり眠って  いる。身体が大きいからね、眠りは沢山必要なの、と直子は言う。

寮の中は、徹夜組が何人かいるらしい。あるへやに集まって、夜通し勉強を続けたグループもあって、話し声がどこからか聞こえていた。

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