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治療日記Ⅰ

「私を見放して下さい」と伝えて早1週間。
毎日を独りで過ごしています。
何も楽しくありません。
あんなに楽しみだった実験でさえ、興味がありません。

彼に私を見放すよう伝えると、彼は「分かった」と一言言いました。
そこには戸惑いなど何もありませんでした。
とても清々しかったです。

当たり前でした。
この二年半の間に遺書を渡した回数は4回、自殺を仄めかした回数など数え切れない。
こんな私を今まで面倒を見てくれていた方がすごいです。

私は最後に「辛い」と弱音を吐いてしまいました。
彼は「分かるけど、自立しなあかんって主治医にも言われてるんやろ?」と言いました。

分かるけど?
貴方は何も分かっていない。
分かるはずもない。
見放されるかもという不安も縋り付く辛さも、貴方には分かるはずもないのです。
簡単に「分かる」なんて言って欲しくなかった。
貴方は人望もあり、頭も良くて、かっこよくて、経験もある。

貴方と違って私には貴方しかいなかった。
貴方は私如きがいなくなっても何も変わらない平凡で穏やかな日常を送れるでしょう。
沢山の論文を書き、多くの人の役に立つでしょう。
私の存在なんて、貴方の人生においてモブキャラでしかないのです。

まるで、独り宇宙に放り出されたような気持ちでこれからも生きていかなければならないのでしょうか。

私はただ、その辺にいる同じ大学生のように「今日授業終わった後、遊びに行こうや!」とか「卒論めんどくさいよなー」とか言い合いたかっただけなのに。

普通になりたいって贅沢ですか?

「境界性パーソナリティ障害」と診断されるまで、この不安は全人類持っているものだと思って生きて来ました。
でも、そうではないと判明した瞬間、他の人はそんな気持ちを抱かないと知った瞬間、急に「自分は病気なんだ」と思いました。
上手く言葉に出来ないけれど、一気に辛くなりました。
皆平等に持っていると思っていたものがそうではなかった。
あの時の衝撃は今までに感じた事はありませんでした。
孤独を感じました。

これからも枕に顔を埋めてただ叫ぶ日々が続くのか。
涙を拭い過ぎて顔が乾燥する毎日が続くのか。
もはや誰でも良いんです。
誰か私を愛して下さい。
愛とは何か、教えて下さい。

到底生きたいとは思えません。
よく「病気で生きたくても生きれない人がいるのに死にたいなんて言うな」と聞きますが、病気の方が強く「生きたい」と思うのと同じように「死にたい」と思う人もいるんだと私は声を大にして言いたい。

日本での安楽死を可能にして下さい。
死にたい人を無理矢理生きさせて楽しいですか?
誰の得になりますか?

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