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一句詠んでみまして

 どうもよなかくんです。先日、スイスイさんとメールしていたら「意外と人間ぽいんですね!いい意味で!」と言われた一時間後に「やっぱ人間味ないですね!いい意味で!」と言われて笑いました。この人のこと好きだなあと思いました。

さてさて、よなかくんと月曜の理屈
第一〇七回は「一句詠んでみまして」


 先日、おじいちゃんおばあちゃんに混ざって初めてオンライン句会に参加した。小説でもなんでも、書くものがどんどん長くなってしまうので短いものが書けるようになりたいと思い、十七文字まで一気に減らすことにしたのだった。舵を切る時はいつだって面舵一杯、自動車教習所の教官には「お願いだからギリギリを攻めるの本当にやめて。」とよく言われた。あと自分の運転に普通に自分で酔う。

 オンラインというから若い人の集まりかと思いきや、60代70代、さらには80代の方ばかりだった。最近の後期高齢者のアグレッシブがすごい。

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多分僕より元気

 四月の頭に兼題が送られて来た。季語が三つと漢字指定のあるものが二つ。並んだ季語の意味がまず分からなくて、意味を調べるところから始まった。


0. 俳句をつくる

 俳句は全くの初めて。小学二年生のころ、草津温泉を前に祖父の前で一句詠んだところ(祖父は歌人だった)「季語がない」「何も言ってない」と一蹴されて以来、俳句には触れない人生を送ってきた。教養があるとすれば、プレバトが好きでよく見ているくらいの知識しかない。

なので

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型から入るタイプ。
「センス0でも作れます」というのが心強い。

 我らがプレバト辛口ティーチャー・夏井いつき先生の本を読み、季語の意味を勉強して、最終的に基本の二通りの作り方を含む四パターンの作り方で俳句を作り、提出。一週間ほどして総評が届いた。

1. 同じ春の夢を見るか

 投句したもののうち、特選に選ばれた句があった。ある選評には「独創的でありながら共感性の高い一句」などと書いてあったが、その隣の選評には「AIが台頭してきた現代において云々…という素晴らしい句である」などと宣われており、AIのことなんて微塵も考えずに作っていた僕は二つの選評を交互に読みながら笑った。共感性ってなんだろう。

 僕の文章がダラダラと冗長になってしまうのは誤解を恐れて言葉が過多になってしまうからなのだけど、そのハチャメチャな選評は不思議と嫌じゃなかった。

 読みかじった知識によると、俳句というのは良くも悪くも共同幻想。季節を表す語が持つ情報量が多い。一つの季語に対して、例えば暗い/明るい、冷たい/温かい、と言ったイメージやそれに付随する情感までが決まっていて、そのルールが十七文字という短さを可能にしている。日本人の強い共感力をフルに使った文学という感じがする(季語の力を信じろと夏井先生もよく言っていた)。
 なので今回の句が俳句の世界で正しかったかというと怪しいところだけど、「春の夢」という季語を使った僕の十七音に読み手がそれぞれ違う夢を見る。その意味のゆらぎは不思議と怖くなくて、面白いと思った。そういうことも、あるんだ。

 他のみんなはどんな夢を見たんだろう。

2. 言葉選びヒリヒリ

 それとは別に「感覚は良し」として添削に取り上げられているものがあった。

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before→after

 

この添削を見た時、ヒヤリとした。なんでバレたんだろうと思った。

 この「暗い部屋」は本当はひんやりとしていた。暗く、ひんやりした部屋から窓の向こうの青々とした夏の山を自分は見ている。そんな場面を俳句で詠みたかったのだけど文字数が足りなくて、「暗い部屋」に。「ひんやり」をあきらめたのだった。

 でもこれを「暗室」にすることで一気にその部屋の温度が下がる。すごい。これが小説だったら「僕は暗くひんやりした部屋の床にぺたりと座り込んで窓の外を見ている。窓の向こうには青々とした山が見えて、その景色はあまりに清々しく健やかな夏だった。」とか書いてしまう(74文字)。僕が雑に選んだ言葉で長々と書いて描く景色を的確な言葉でシャープに立ち上げる。言葉選び一つのスリルにヒリヒリした。俳句ってすごい。

3. じいちゃんに聞いとけばよかった

 祖父は歌人だった。何やら地位のある先生で本も出していたがよく知らない。僕と72歳も差がある祖父は遊びに行っても書斎にこもっている変な人だったし、晩年はアルツハイマー病で誰が誰かも分からなくなっていた。
 家族のことも自分のことも分からなくなってずっと微睡みの中にいるような状態でも、ベッド際で僕が百人一首を音読するとフッと目覚めて「あなたいい歌を詠みますねえ…」と笑った。紀貫之が詠んだものなんだから当たり前だ。そう思いながら、僕は小学生の時に俳句を一蹴されたことを思い出していた。何も分からなくなって記憶が溶け合った世界の中にいても、いい歌は見えているんだな、と思った。この人はお世辞は言わない。

 彼のフィールドは31文字だったけど、その限られた文字数の中でどんな風に遊んでいたんだろう。二十年近く経って俳句に興味を持ち始めた今、生きているうちにもっといろんな話を聞いておけばよかったと思っている。短歌のこととか俳句のこととか、自分が今ものを書いていてうまくいかないところを、ねえじいちゃんはどう思う?と聞いてみたかった。今更どうにもならない話だ。

 次の句会は五月の末。兼題は来ているもののまだ全く手をつけていないので、心の中に夏井先生を呼び起こしながらまた一句、ひねってみることにする。冷ややっこ…冷ややっこかあ…。

祖父の話→