君が書いてくれないか

どうも山ぱんだくんです。花粉症がすぎて鼻の皮がボロボロです。神は残酷なことをなさるな、マジで。

さてさて、山ぱんだくんと月曜の理屈
第五十一回は「君が書いてくれないか」
文フリに出店するに至ったお話。

第五十一回 君が書いてくれないか

昨年の代数系の授業中のことである。群だの環だの体だの、わけが分からなさすぎて発狂直前だった僕の頭に霹靂のようにある考えが思い浮かんだ。

あ、そうだ同人誌つくろう。

そんなわけで文学フリマに向けて走りだしたのである…というと経緯も何もなくゴールに至ってしまう。そこにはちゃんと前日譚がある。

話はさらに前の年に遡る。僕が教習所の古株であった頃のことだ。(九か月という期限めいっぱい使って卒業したため卒業することには私が最長在籍者だった)

クラクションは霧の中で鳴らすものだと座学で教わった時、不思議な気持ちになった。現在町中で攻撃的に鳴らされるあの機能が本来は視界が制限された山中で自分がここにいると知らせるためのものだということに、人に苦情を表明するための機能が最初から乗り物に実装されるわけがないのだという当たり前の事実に、虚をつかれたような驚きと感動のような安堵のような何かを覚え、そして霧の中で遠くに鳴るクラクションの音を思った。

その不思議な気持ちに名前が付きそうもなく、名前がないから日常の中の些細な出来事としてすぐに記憶から消えてしまいそうだ。そう思ったら悲しくなって、慌てて私は手帳に書き留めたのだ。
「クラクションは霧の中で」

書き留めなければ忘れてしまうようなことは重要ではないから残しておく必要なんてないと言うけれど、書き留めなければ忘れてしまう些細なことだけど忘れたくないことだってあるはずだ。土曜の朝、窓から差し込む朝の光が100円のボールペンを透過して綺麗だったこと。大学でふと中学の友達の筆跡を思い出したこと。

なんだか、そういう感情を丸ごと本という形にして閉じ込めたいと思った。文学は「今」の詰め合わせ、感情のホルマリン漬けであると、いい。

しかし問題はその感情を出発点に何を書けばいいのか僕にはノーアイディアだったこと。とっておきたい「今」がある。でも、それで何を書けばいいか分からない。そんなこんなでその感情を放置して一年が経った。

数学の時間に思いついたのは、こういうことだ。

自分が書くより、書いてもらった方が面白い。

幸い僕の知り合いには優秀な物書きが何人かいる。僕が大好きな彼らに、僕が閉じ込めたい題材で書いてもらう。その贅沢な思いつきに、僕はとりつかれたように授業の九十分の間に文学フリマの申し込み手続きを済ませ、振込み、原稿依頼のメールを送った。(その日の代数系の授業内容はもうあきらめた)。

僕が本当に欲しかったのは協力であり、共感だったんだろう。「分かるよ、その感情」と言ってほしかった。そのうえで自分よりも圧倒的に才能のある物書きたちに言葉の中に閉じ込めて欲しかった。共感と協力。同人誌とはすばらしいものだな。

そんな感じで、今、作っています「クラクションは霧の中で」。結局自分も小説を一本書き下ろしたのですが、それはきっとサークルのメンバーが出来て、プロジェクトが動き出した高揚感がなければ書けなかったと思います。あと一か月、少しでもいいものが作れるよう頑張りますのでよかったら文学フリマ足をお運びください。

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#エッセイ #文学フリマ

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