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小屋を探し続けたら、小屋のない場所を訪ねることになった

各地の小屋の写真を撮り歩いている中で、小型漁船を陸に揚げるためのウィンチを収納する小屋が気になりだし、それ以来機会を見つけては漁港を訪ねるようにしています。

事の始まりは2020年1月に秋田県男鹿市の海岸沿いで見かけた小屋群でした。そこは砂浜と同じような傾斜を残した港で、1〜2人乗りの漁船が陸揚げされていました。
小屋はいずれも、漁師が背をかがめ膝を折ってようやく入れるほどの大きさです。内部には船を巻き上げるウィンチと動力源の小型エンジンが収納されていました。時折り薄日のさす空模様と冬の日本海の風景の中に、高さ1.5mほどの小屋が身を寄せ合うように並んでいる様は、厳しい環境を生きる人々を表しているようでした。

漁船を陸揚げするウィンチ小屋。
バス停と比べると小屋の低さが分かる。扉がミニチュアのよう。
窓ガラス越しに見えた、昭和50年前後に生産されていたヤンマーディーゼルの4馬力エンジン

それからしばらくして神奈川県鎌倉市の漁港で、一回り背は高いですが全く同じ構造のウィンチ小屋に出会いました。

鎌倉市の漁港で見かけたウィンチ小屋
ウィンチからワイヤーが伸びて船(右端)につながっている

この時、その場にいた漁師さんがウィンチ小屋の内部を見せてくれて、ウィンチが導入される以前の浜の様子を聞かせてくれました。そのお話によれば、浜にはかぐら桟という曳き具が設置されていて、それと船とを綱でつなぎ、人力で船を浜へと巻き上げていたそうです。しかし護岸整備が進んだ今から40年ほど前の1980年ごろには発動機とウィンチが使われるようになりました。その格納用に漁師が各自で小屋を建てたというのが、この浜での小屋群の成り立ちです。
つまり、ここの漁港に限らず、ウィンチが普及する以前の浜には、かぐら桟のような曳き具が置かれていたことになります。そして、各地の浜辺に船を陸揚げする小屋はなかったという推測ができます。産業の近代化で動力の担い手が人や牛馬、水力などからモーターやエンジンへと移行し、それに伴って出現した小屋があることに私は気付かされました。同じ例として田んぼのポンプ小屋が挙げられます。

今も日本のどこかの漁港でかぐら桟が一つでもいいので現役で使われていないだろうか。ウィンチ小屋が建つ以前、コンクリートで固められる前の浜辺の風景を見てみたいと、私は思うようになりました。神奈川県横須賀市の漁港で、使われなくなったかぐら桟が放置されているのを通りがかりに見かけ、その思いは一層募りました。
そしてある日、Google Mapのストリートビューで日本海側の舟小屋を探していたところ・・・、なんと!!
偶然にも1台のかぐら桟が現役で使われているのを見つけたのです!

船をロープで繋ぎ止めている木製の台がかぐら桟(写真中央)

ひとつあるのなら、周辺のほかの漁港にも残っているのではないかとさらに探していたところ、小さな入江の集落を写したストリートビューに、かぐら桟がずらっと10台ほども並んでいる画像を見つけました。しかもそのうちのいくつかは現役で使われている様子です。撮影されたのが2015年7月で、私がそれを見たのが2021年。この風景が失われていても不思議ではない時間が経過していました。これは行かねばなるまいと思い続け、先日ようやくのこと、正月休みを利用して行ってきました。
前置きが長くなってしまいました。ここからがようやく本題です。
今回は、ウィンチ小屋が建つ以前の風景を求めて訪れたという話です。

2022年元旦に山梨県の実家を訪れた足で、そのまま中国地方に車で向かいました。
別れ際に妻からは「正月早々に家族を置き去りにするのに嬉しそうな顔をしている」と恨み節を言われましたが、確かにそれは否定できません。自分でも嬉しそうな顔をしているのは分かりました。家族よ、スマン・・・。
出発したのは16時過ぎ。片道約800kmを夜通し1人で運転するのはまぁまぁハードですが、車旅のいいところは、走り続ければ確実に目的地に着くことです。今回は1月2日深夜1時過ぎに宍道湖SAに無事に着きました。ここで仮眠をとり、目的地の漁港に早朝向かいました。

関東に住んでいると、西日本の日の出の遅さに気付かされます。日本海側は山側から日が昇ってくるので尚更です。しかしその分、明け方の空は太平洋側とは全く違った美しさを見せてくれました。太陽が山の稜線から顔を出す少し前から、雲が淡いオレンジ色に照らされ始めます。その光と色は太平洋から昇ってくる日の出ではついぞ見られない柔らかさで、思わず見とれてしまうきれいさでした。
出雲は「美しく雲がわき出る姿から名付けられた」と島根県の観光情報サイトに書かれていますが、それもうなずける朝日の瞬間でした。

宍道湖に昇る朝日

海岸沿いに舟小屋を見つけたために寄り道をしながらも、目的の浜辺に徐々に近づいてきました。
かぐら桟は今もあるだろうか? 砂浜がコンクリートで塗り固められ、ウィンチ小屋が建っていることになってはいないだろうか?
小屋を探して写真に撮っているはずなのに、小屋が建っていないことを願う気持ちが自分の中に芽生えようとは、思ってもいませんでした。
一刻も早く着きたいと急く気持ちと、見るのが怖いという気持ちがまさか同居しようとは・・・。

・・・・・、あった!

かぐら桟が並んでいるのが見えました。正月なので、あいにく浜辺には誰一人いません。漁も休んでいるため、ほとんどの舟も浜に揚げられています。

浜にはかぐら桟が並んでいた

数棟の小屋が建っていますが、これは漁船を収納するための舟小屋です。
かぐら桟の写真を撮ったり眺めたりしていると、男性が向こうから歩いてきました。新年の挨拶を交わし、お話を伺いました。

「こんにちは。全国各地の小屋の写真を撮っているのですが、こちらの浜にはかぐら桟がたくさん残っていますね」
男性「あぁ、そうですね」
「かぐら桟がこんなに残っているのは、すごく珍しいです。しかも現在もこれだけ使われているのは、多分、全国的に見てもここぐらいではないかと思います。どこの漁港も今ではコンクリートで固めていますが、こちらでは砂浜を残していますね」
男性「かぐら桟がそんなに珍しいかな? ここは板ワカメの産地でね。春先がシーズンなんだけど、そのときには都会に出た人も戻ってきてワカメ刈りをするんですよ。砂の上にコモ(ムシロのこと※筆者注)を広げて、その上にワカメを干すの。水洗いをして、ちょっと塩分が残るぐらいに塩抜きをしてね。砂浜のままなのは、そのためかな」
「板ワカメですか。すみません、お恥ずかしいことに聞いたことがないのですが、地元のスーパーやお土産屋さんで手に入るのですか?」
男性「うーん、どうだろう。以前は沢山採って出荷していたけど、最近は家族や親戚で食べる分ぐらいしか採らないからね。スーパーなどでわざわざ気を付けて見たことがないからちょっと分からないな」
「そうなんですか!都会に出た人も戻ってきて採るワカメって、とても貴重ですね。4月が板ワカメのシーズンとおっしゃいましたが、その他にはどんなものを獲っているんですか?」
男性「ここはサザエやアワビがよく獲れるね。もちろん天然ものでね。あとは、普通に魚の漁をしているよ。でも温暖化の影響かどうか分からないけど、サザエもアワビも獲れる量は減ってきているというよね」
「ご自身でも漁に出られるんですか?」
男性「うん、他に仕事をしているから毎日ではないけど、たまには出ますよ。親父は漁師で船を2隻持っていて、今も現役で漁をしています」

いつかはこの男性もお父様の後を継がれる日が来るのかもしれません。ここでかぐら桟についても聞いてみました。

防波堤の向こうに日本海が広がる

「ところで、かぐら桟は木製なので、いつかは朽ちてしまうと思うのですが、今でも使っているのは理由があるんですか?手巻きの金属製のウィンチもあるし、電動やエンジンのウィンチもあって、そちらの方に切り替えられても不思議ではないと思うのですが」
男性「うーん、実は手巻きのウィンチと比べると、かぐら桟の方が船を巻き上げるのが楽なんだよね」
「ええっ、そうなんですか!?」
男性「力点と支点の関係って分かるかな? かぐら桟の方が棒を長くできるから力が少なくて済むんだ。一周で巻き上げる分が長いでしょう。手巻きウィンチは構造上どうしても棒が短いから、半径が小さい分、案外力を必要とするの。ウィンチに切り替えたけど、かぐら桟の方がよかったという人もいるね」
「なんと!想像もしていないような答えです。新しい道具がいいとは限らないのですね!でも、かぐら桟は新調できないのではないですか?以前に神奈川の漁港で、もう船大工がいないから新しく作れる人はいないだろうと聞きました。今でも作れる船大工さんはいるんですか?」
男性「うーん、どうだろう。 構造はそんなに難しくないから、材料さえ揃えば大工でも作れるんじゃないかな。だって、この中のいくつかはまだ新しいよ」

ボルトやナットが使われている、比較的新しいかぐら桟。

どれも同じように見えますが、そう言われてみれば、確かに比較的新しいかぐら桟があることに気づきました。見比べると古いものも新しいものも形にほとんど違いが見られません。ストリートビューで見たかぐら桟も神奈川で朽ちていたものも、ネット検索で見た博物館に収蔵されたものもほとんどが同じです。改良の余地の少ない、それだけ完成された道具だということでしょう。
道具としての良さを知っている人がこの浜にいる間は、コンクリートで整地されない限り、かぐら桟は現役で使われていきそうです。

手巻きのウィンチも並ぶ

「こちらの浜では何世帯が漁をされているのですか?」
男性「船にエンジンが付いているのが今も漁をしている人の数だから・・・」
「そうですか。えーっと・・・、13隻ですね」
男性「そうかな。あなたが言ったように電動やエンジン付きのウィンチで船を揚げるところもあれば、ここみたいに手動でやっているところもある。場所によってはタイヤ付きの台車を海に入れて、そこに船を載せて、車で引っ張り上げるところもあるよ。やり方はいろいろだね」

冬の寒い中であまり長くお話を聞くのも申し訳ないので、最後にもう一つだけ気になったことを伺いました。

今は物置として使われている舟小屋

「小屋がいくつか建っていますが、これは舟小屋ですか」
男性「そう。でも今はもう船を入れるのには使われていなくて、物置になっているね。目の前の防波堤ができたのが15年ぐらい前かな、それ以来海が荒れても港に波が直接入って来なくなったの。船を陸には揚げるけど、小屋にしまわなくても大丈夫になったんだ。だからもう使っている人はいないね。
それはそれでよいことなんだけど、防波堤ができたことで潮の流れが変わったんだ。自分が子どもの頃にはそこの岩場から海に飛び込んで遊んだんだけど、防波堤ができたことで普段から波が弱まって、砂がさらわれなくなったんだな。それで岩場の下の海底が浅くなったんだ。今の子どもたちは海に飛び込んで遊ぶことができなくなってしまってね。それがちょっと残念だね」

男性が飛び込んで遊んだという岩場から浜を眺める

今から40年近く前の海遊びの様子を話してくれたとき、48歳だというその男性の表情が初めて柔らかくなったことが、マスク越しにも分かりました。浜辺から海に突き出た岩場の方に視線を向けて話す様子からは、真冬にも関わらず、子どもだった男性が同級生や年齢の入り混じった友だちと歓声をあげながら夏の海に何度も飛び込んでいる映像と声までもが私にも伝わってくるようで、思わず話に聞き入ってしまいました。

日本各地で小屋の写真を撮り、様々な人にお話を伺っているうちに、機械化によって出現した小屋があることを知りました。それでは、小屋が建つ以前の風景や人が体を動かす様子はどうだったのだろうかという疑問が頭に浮かび、それを知りたくて東京からおよそ800km離れた島根県までやって来ました。実際に現地に足を運び、どのような風景が広がっているのかを確かめて、その場にいる人からお話を伺うことでしか知り得ないことがあります。
私はかぐら桟が使い勝手の悪い時代遅れの道具だとばかり思い込んでいました。しかし一概にそうとは言えず、理にかなった道具だということが分かりました。ならば、なぜ全国の漁港からかぐら桟は姿を消してウィンチに取って代わられたのかという新しい疑問が残ります。その答えは次の旅の宿題になりそうです。

防波堤から浜を眺める

そしてもうひとつ、目の当たりにして分かったことがありました。それは、浜に漁具などが置かれておらず、風景がさっぱりしているということです。私がこれまで見てきたウィンチ小屋の周囲には、多少の差はあれども物が置かれておおよそごちゃごちゃしていました。ここのかぐら桟の周囲にはそれがありませんでした。
本来誰のものでもない共同所有の浜辺で、個人が各々に小屋を建てると、その周囲も自分の土地であるかのような錯覚を覚えて物を置くようになるのではないか、という疑問が頭に浮かびました。この記事の冒頭に載せた秋田県と神奈川県の漁港の写真とここの浜辺を比べれば一目瞭然です。
収納の役割を果たすべき小屋があることで、逆に物が周囲に溢れ出てきているのだとしたら、、、なんだかとても複雑な気持ちになります。
人と小屋と領有の意識という新しい角度からの疑問が芽生えた旅になりました。

2022.01.26

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