“推しは推せるときに推せ” - 私が本名も出自も明かしながらSNSを再開した理由
私に何かができるわけではない
ただ「好き!」であるならば、積極的に発信し続けることが、利己的には自分を守ることに繋がるし、利他的にはその対象のためになると気付いたのである
眉を顰める方がいるのは感じてる
しかし伝わなければ一切の意味がないことをこれまでの分人生活で感じたからこそ、例え外野から何か言われても、そのことを私は引き受け、発信し続けることに決めたのである
そして、何よりそれが対象のためとなり、SNSの最たる効用の一つであることを私は信じている
なお、独白の形で「好き!」と発信し続けることはSNSでは雑音になってしまうかもしれないし、そう感じる方が離れて行ってしまうことは身をもって知った
それでも、その「好き!」という想いは態度であれ言葉であれ、対象に伝わなければその一切の意味は全く無いのだ
その対象が消えて無くなってしまってからでは、その「好き!」を届ける機会は未来永劫訪れず、永遠に閉ざされてしまうのである
“推しは推せるときに推せ”
本名も出自も明かしながらSNSを再開し、「好き!」と積極的に発信し続けることを決めたのは、そのことに気付いたからである
私は、“SNSは人類に早すぎた”のでは決してない、と信じている
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?