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理想のコミュニティ

こないだから自己は必要か不要かのような話をしてきて、

自己はある程度必要という結論に至ったが、自分を持つ。他者に貢献するはまだ最終形態ではない。

僕が思い描くターゲットの理想像は

スピリチュアルでいうワンネス

量子物理学でいう素粒子

アドラーのいう共同体感覚

仏教の無我

にある。

全員が仲間であるという感覚になり、自分が存在しなくなる。

ここでいう全員とは、人だけとは限らない。

動植物も宇宙も。

この状態になると貢献感で満たされ、もはや貨幣がいらないんじゃないかというくらいに

価値を与えたい。価値の循環が起こる。

山に在るスギたちみたいなイメージ

お互いに干渉しない良い距離感を保ちつつ、めっちゃ近いやつもいて、

それでも完全にくっつくようなことはしない。

元々自分を持っているから堂々と自分の位置に居座っている。

けれど、人間でいうと精神的な、見えない根っこの部分では、繋がっていたり、お互いに与えたいという欲があって、

その欲が高次元(木の一番高い部分)に行き、他のモノたち(風とか)の力を借りて、葉っぱを揺らして、喜んだり、癒しを与えたり、広い心を持つ。

それが今の理想のコミュニティ像。

スギの木=人間の比喩表現

他のモノたち:他のモノたちは人間に対し自然やテクノロジーといった存在


昨日の夜、瞑想をしていた時、目の前に伊勢神宮が出てきて、

無性に伊勢に行きたくなった。

行きたいというよりかは使命感に近い感覚。

自然啓示を受けに明日伊勢に行こうと思う。

それでは!

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