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#26 部屋のなかの部屋

今日も詩を書く。

日曜日だが、午前中から仕事をする。15時ごろに一段落して散歩に出かける。ついでに書き途中の詩も持っていく。最初は印刷した紙を折りたたんで持っていこうとしたが、この際だからとiPadを持っていく。

今日はあまりいい天気ではない。どんよりとした雲が空を覆っている。ムードを出すためにイヤホンをつけて、音楽を聴く。生活に音楽が必要なのは、ストレスと関係がある。

人はストレスがたまると貧乏ゆすりをしたり、指で机をポンポンしだしたり、ボールペンをカチカチさせたりしはじめる。本能的に退屈するとリズムをとりたくなる。そういう生き物だからこそ、原初の音楽は打楽器だったりするのかもしれない。わからないけど。

気分が落ち込んでいるなと思うときほど音楽を聴いていなかったりする。水を意図的に飲むように、音楽も意図的に聴くようにしている。なので、部屋では普段聴かないような縦ノリのダンスミュージックをSpotifyで流すようにしている。自然と下手くそなダンスを踊りはじめるから不思議だ。

そういう「自然」に身を置くことが大事だ。

公園まで歩いていって、テーブルがあるベンチを選んで座る。

一昨日も同じ公園に来て、『戦後名詩選』のわきに詩のスケッチをした。それを、詩にしたものがあったので、その続きを書いていく。やはり、この詩を完成させる場所もここでなくてはならない。

それこそ、詩のスケッチをしている。詩的な瞬間は、本当にたくさんある。が、それぞれは一瞬だ。風景を見ていると、ふと飛び込んでくる瞬間があって、それは、目をはなしたらもう消えてしまう。

カメラをもっていれば写真を撮るのだろうし、絵筆や鉛筆をもっていれば、絵に描くのだろうが、いずれにせよ、そこで見つけるのは「詩」なんだと思う。ぼくはそれをこぼさないように言葉にいれていく。

しかし、書いても書いても、それはザブザブとこぼれおちていく。もはや言葉はザルでしかない。なにもつかみきれていないじゃないか。と落ち込むのははやい。同じような「詩的な瞬間」を言葉のイメージや響きで再現するまでやる。

心をなくしていく。風景に心をとかしていく。そのときの感覚のみに意識を集中する。見えてきたもの、感じてきたもの、内側から聴こえてきたものを、そら!と掬い出す。

これかな、これかな、と何度もやりなおす。

「場所」というのはたぶんぼくにとって大事なのだと思う。「そこ」にしか訪れないものをつかむ。それはその空間の「霊性」のようなものをつかまえることでもあるのかもしれないし、その空間がいざなう「想像力」のようなものに関心があるのかもしれない。

この機会にバシュラールの『空間の詩学』でも読み返してみようか。「部屋のなかの部屋」というマガジンのタイトルや、ツイキャスの「蒼馬の部屋」というのも実はバシュラール的なものからきているのだと思う。

ひとまず今回の作品は投稿用にまわす。これは選ばれなくても、自分が好きだからいいやっていう類の作品になりそうだ。

  *

今夜の「蒼馬の部屋」はモノローグでやります。単純に週に二回対談するのも迷惑なので、もう少しインターバルをとってやっていくことにしました。次にお声がけされる方、どうぞよろしくお願いいたします。それと、お話してみたい方も募集しておりますので、ぜひお気軽にお声がけください。

【蒼馬の部屋 -monolog-】#04
2020.05.10 21:00~
ツイキャス https://twitcasting.tv/ssk_aoma
マガジン『部屋のなかの部屋』
在宅勤務でひとり部屋に引きこもった生活の様相を記録しています。そこから「言葉」がどう変容していくのか、アフターコロナにむけた「詩」の問題を考えています。今のところ三週間毎日更新しています。ぜひフォローしてください。

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