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ぬたあん、と力を抜いて書いてみる。

1.詩が、書けない。

2020年1月。僕の性格はわりと「安定志向」なのだと思う。適職診断のようなもので性格診断を受けても、「安定」をのぞんでいるらしいことが明かになると、いつも少し複雑な気持ちになる。

それは、僕がずっとなんらかのかたちで関わってきた「文学」というものは、どちらかというと「安定型」ではないからだ。これは一般論にすぎないが、「文学」や「アート」は枠組みを破壊・創造していく営みに近いと言われる。当然、これについて論じようと思ったら何年もかかるからこれ以上そこには立ち入らないが、そういう理由で僕はいつも「いや、僕は安定などのぞんでいない……」と言いたくなるのだが、なんだか近頃はそう頑になっていても仕方ないような気がしてきた。

2019年の終わり。僕は詩が書けなくて悩んでいた。自分なりの世界観を存分に表現した、とびきりの詩を書こうと意気込んでいたのだが、実際には失敗に終わった。何度も何度も直しているうちにこれが何なのかさっぱりわからなくなって、何の値打ちもないものに思えてきた。

さて、こんなことで僕は詩人になどなれるのだろうか。詩集を作るなどと意気込んでいたが、果たして、そんなものできるのだろうか。僕は悩み始めた。

2.詩人に、聴いてみた。

実は僕の血縁には詩人がいる。それが理由で詩人を目指しているというわけではないが、2020年になってその詩人と会う機会があって、せっかくだから少し質問してみた。

「詩は、どうやって書きますか」
「どうやって書いたかはわからないね」
「僕は、どうしても書いていると長くなってしまって、なかなか終わらないのですが、詩をどうやって終わらせますか」
「長く書けるのはいいことなんじゃない? ぼくなんか全然言葉が出てこないんだから。ただ、詩の方が終わらせてくれるね」
「詩が、終わらせてくれる」
「うん」

それから、詩人の詩集をたくさん読み返してみることにしたら、なんというのか、力が入っていない。もちろん、手を抜いているというわけではない。どこまでも「自然に」言葉が出てきていて、たしかに詩の方が終わらせている感じがする。なるほど、これが「詩が、終わらせてくれる」かと少し府に落ちた気がする。

僕がこれまで書こうとするとき、小説を書くように、いろいろな文献を用意して詳細に設定を考えたりメモをしたり、そんな儀式をしたうえで書いてきたから、かなり力んで書いている。それは長くなるわけだ。ただ、これはこれで一つの書き方だから間違いではないと思う。しかし、最近はもっと素朴な、といってはなんだが、そういう詩が書きたいと思うようになった。

さっそく、肩の力を抜いて、もう目の前のことを書くことにした。さながら『バガボンド』の武蔵が「ヌタあ」と木の枝をふるようなイメージで。長い詩も書いてみたが、一旦、Twitterに140字で書いてみる。

3.140字で、練習してみた。

新宿駅の西口にあるロッテリアに入って人を待っているとき。ただそれだけのことを書いてみる。すると、このような感想をいただけた。

実際には、そこにいる人たちは人など待っていないのかもしれない。だが、小箱のような席が所狭しとならぶところにわざわざ収納されている人々は、きっと何かを待っている。そういうたしかな感覚は読み手にも伝わったようだ。これなら、と思ってもっと書いてみる。

4.帰り道、シリーズ。

5.帰り道への、反応。

140字におさめることは難しいが、これまで長い詩を書いてきた僕にとってはかなり練習になる。ひとまず、目の前にあることをきちんと、なおかつ力を抜いて書く。なおかつ、「詩情」をどこに置くかに注意しながら、あまり時間をかけすぎずに書いてみる。これが、なかなかおもしろくなってどんどん書いてみることにした。

6.祈り

この詩については実に的確な読解文があるので紹介しておく。

7.おまえの妄想に付き合ってる暇はない。

140字で生活を切りとった詩を書いてみるのは、とても面白い。当然すべてが事実なわけではなく、フィクション化しているものがだいたいだが、それでも「リアル」をベースに書いているのが自分としてはポイントだと思う。これまでに書いてきたものも、もちろん「リアル」をベースに書いてはいるが、気に入らなくなる作品はどうもその「リアリティ」が感じられないものばかりだ。

「いや、そうかもしれないけど、でも、そんなことないじゃん」と、覚めた自分があくまでフィクションをフィクションとして楽しむことさえ拒む。フィクションといっても、そこには「リアリティ」がないと、「おまえの妄想に付き合ってる暇はないんだよ」ということになってしまう。それは自分の作品であってもそうだ。他人のものに関しては、それもう言うまでもない。

だから、他人に読ませるなら「リアリティ」には余計に気をつけなければならないというのが今回の練習で思ったことだ。そして、肩の力を抜く。でも、きっとまた僕は力んで書くことになるのだろうけれども、練習したことはそのときに活きてきもすると思う。

2020年1月末。インフルエンザで倒れてなにもできなくなってしまった。ようやく回復してきたから、そろそろ再始動していきたいと思う。noteも長いこと放置してしまったから、ちょこちょことまた更新していこう。

みなさん、2020年もまたどうぞよろしくお願いいたします。

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アオノカゼ

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アートのこと、生活のこと、旅のこと、風のように吹きすぎるまなざし。詩になるまでを、エッセイや写真で辿ります。

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