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#9 「詩か、詩以外か。」悩める部屋

「俺か、俺以外か。」

俺か、俺以外か……。おれか、おれいがいか……。オレカ、オレイガイカ……。

妙にキャッチーなフレーズで、かなりまえに書店で見たときからずっと身体のどこかにこの言葉が刺さったまま、なんだかチクチクしていた。とはいえ、ローランドという人がどんな人なのかはわからないし、流れていく日々のなかで、たぶん「俺か、俺以外か。」って考えている人なんだろうと思って過ごしていた。

しかし、閉じこもり生活をしていると、なにごとも立ち止まって考えるようになる。というか、気になったら調べ出したりする。そこで、Google検索で「俺か、俺以外か。」と検索すると本の紹介などが出てくるのと、YouTubeの動画が流れてくる。

思ったとおりの人だった。

蔑むわけでもなく、いいとか悪いとかじゃなく、「ローランド」という人が、紛れもなく「俺か、俺以外か。」だったのだ。実は、これってすごいことなのではないか。

「ローランド」という人物を余すことなく(かどうかは会ったこともないので実際はわからないが)表す言葉があるというのは驚きだ。詩を書いているぼくたちにとっては、こんなにうらやましいことはなく、これはいわゆる「キャッチコピー」というものにはなるのだが、彼はもしかしたら詩人なのかもしれない。

しかし、今日は別に「ローランド」詩人論を展開したいわけではなく(むしろその方が興味のある人も多いかもしれないが)、単純に「俺か、俺以外か。」という言葉がひっかかり続けていたのはなぜだろうか、ということを考えたかったからだ。

結論から先に言ってしまえば、「詩か、詩以外か。」を考えていたからだということに、ぼくは「ローランド」の動画を見て思った。内容が、ということではないが、なんとなく、ああ、「詩か、詩以外か。」を考えてたから「俺か、俺以外か。」が気になっていたのだなあと腑におちたのだった。

ぼくは、こうして「詩」について考えたり、書いたりしてはいるが、最近はめっきり詩が書けなくなってしまっていた。昨年末には「文学フリマ東京」に出店をして、「詩」を売ったりしていたわけだから、そこまでは「詩」を書いていた。しかし、2020年になり、言い訳にもなるが仕事や事務手続きやプライベートなどがかなりハードになって、まったく「詩」のことを考えたり、書いたりする時間がとれなくなってしまった。

このままぼくは「詩」などなくても生きていけるのではないかと思ったくらいだった。しかし、少しずつ……と思って、短い短い詩を書こうとしていたこともあった。それも長くは続かなかった。

せめて、詩にふれてはいようと思って、過去の自分の作品を読み直していくと、ぼくにはそれらが「詩」なのかまったくわからなかった。そのときの感覚では「詩以外」だった。比較してみようと思って、他の詩人たちの詩集を読んで、ああ、「現代詩」ってこうだよね、という感覚をとりもどしてから、もう一度自分のものを読んでみると、なにかがちがう。

なにがちがうんだろう。

Twitterなどをのぞいていると、なにが「詩」でなにが「詩」でないかだとか、「現代詩」なのか「詩」なのか、「現代詩」なのか「ポエム」かという議論が流れてくるが、おそらく究極すれば「詩か、詩以外か。」ということになるのだと思う。それよりも、そもそもぼくが知りたかったのは、ぼくの作品が「詩」なのかどうかだった。

しかし、それはいくら考えてもわからなかった。というより、そんなことわかるわけもないのかもしれない。誰も「詩」がなにかなんてわかるわけもない。これも以前話したことだが、まだ誰も「詩」など書いたことはないのだ。そういう吹っ切れというのか、あるいは、考えることに疲れただけなのか、ぼくはただ自分が「詩」だと思うもの、書いていてわくわくするものを書こうと決めた。

それが、いま長く長く書いている長編叙事詩「岬のヒュペリオン」という作品だ。ぼくは前々から詩を書いていると、どうしても長くなってしまう傾向にあった。それが、これは詩なのか?という疑いにもつながっていったのだが、かといって「小説」でもないから、これでいいのかなあなどと考えていたのだが、無理してどうにかする必要もないのかもしれないと思い始めた。

それも、これまでの詩人も、これまでの詩を否定し続けてきたからだ。「#7 俗、透谷が生きられた部屋」でもあげたが、大岡信『蕩児の家系』(思潮社)を読んでいるとよくわかる。まず、大岡信は高村光太郎の言葉を引用する。

私は泣菫、有明、上田敏時代に詩を書く気がしなかった。此等の詩人の詩は立派な詩だとは思ひながら、何だか血脈のつながりを感じなかった。何だか別な世界の詩のやうにしか感じなかった。詩がさういふ世界のものである以上、私自身が詩を書かうと思ふのは僭越であるとさへ思ってゐた。
(高村光太郎「某月某日」)

これは多くの人が同意することだと思う。当然、薄田泣菫や蒲原有明らの詩の歴史的価値を疑う人はそうそういないと思うし、現在でも「現代詩」はわからないとか言う人でも、「詩」って高尚なんだなあとか思って、そういうものなら書けないという人は多いのではないか。高村光太郎も同じだった。しかし、なぜ書こうと思ったのかといえば、こう続く。

ところが日本へ帰って来て所謂白秋露風時代の詩を見ると、日本語でも斯ういふ表現の自由のあることが分り、此の両詩人を尊崇して雑誌『スバル』の裏面にその漫画まで描いた。白秋、露風、柳虹といふやうな詩人のおかげで、詩は結局自分の言葉で書けばいいのだといふ、以前からひそかに考へてゐてしかも思ひきれなかった事を確信するに至った。それで私は夢中になって詩を書き出したのである。

そう、結局、「自分の言葉で書けばいいのだ」。

こんなものなら「書きたくない」とか、それは「詩ではない」というところから「詩」を書き始める。これはおもしろいことだと思う。石川啄木も「食ふべき詩」で「前代の詩人たちの詩が詩と呼ばれるもののあるべき姿であるなら、自分は「詩」を書くことができない」と言っているのも、ぼくたちにとって、とても力強い言葉だ。

そこから、大岡信はこのように結論づけていく。これは、『蕩児の家系』というタイトルとも関係している。

戦後詩は戦前の詩の伝統と断絶したところで書かれているとしばしば非難をこめて言われてきた。しかし、いま述べてきたことからもはっきりしているように、日本の近代詩の歴史は、すぐれた詩人ほど、前代の詩への敵対者として出現するものであることをありありと語っているのである。むしろそこにこそ一貫した伝統があったといっていい。伝統の最も生産的な側面がそこにあるということができた。伝統は、新しいものを産み出す力そのものとして、そこに姿を現しているのだ。

そもそもが、連続してきたわけではないということ。詩人たちはみな「蕩児」だったのだ。それよりも前にあった「詩」を否定することによって、常に新しいものを生み出してきた。これは、「詩」だけの話でもないのだが、こうして断絶を繰り返してきたのが詩の歴史である以上、ぼくたちは、自信を持って「それが詩なら書きたくはない」と言うべきなのだろう。それから、書き始める。

きっと、これは「詩」なのか?という問いは、これまでの「詩」を前提にした「詩」なのだと思う。その罠にハマって書けないでいるよりは、自分が「詩」だと思って書いたものを書きつづけていく方がいい。

まさに「詩か、詩以外か。」を決めるのは「俺か、俺以外か。」に他ならない。言ってしまえば「俺か、俺以外か。」は「思考停止」の言葉だが、限りない「行動」の言葉でもあるのだろう。

ぼくに足りなかったのは「俺か、俺以外か。」だったのだ。

しかし、同人にはこんなことを言われたのだった。

「個を究める」。これって、「俺か、俺以外か。」じゃん。

意外とぼくは「ローランド」っぽいのかもしれない。

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