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#6 透明な闇のかたまり、の部屋

不安がある。

このさき、いつまで閉じこもりの生活が続くのだろうか、ということと、それでも、外に出ていかなければならなくなったときのこと。孤独のなかにいつつも、少しだけ、それに順応していくなかで、ふたたび、殻を破られること。

いまの仕事は、在宅勤務になったからと言って、一年や二年はなくなることはないと思う、が、いや、二年目に突入したところであやしくなるかもしれない。ぼくが提供しているものは、代替可能物でもある。おそらく、リアルな濃厚接触の場でこそ、現在の労働力として貢献できているところがある。もしも、二年、三年とこんなことが続いたら。あるいは、この一年間で、価値観がひっくりかえってしまったら。ぼくたちの「価値」は。

だんだんと、この生活をつづけていくなかで、自らの「実体」のなさというのが浮き彫りになってくるようだ。次々に飛び込んでくるニュースでは、経済的困窮を抱えた人々の声がする。人々が閉じこもった新世界では、「実体」をなくしてしまう人々が、この世界には数多くいる。

えもいわれぬ不安を抱えたまま、それでも、ぼくは日々を生きようとする。「経済」とほぼ無縁の「詩」を読み、語りもし、書こうともする。おそらく、「実体」のなさを救いだすものが、「詩」をはじめとする「文学」なのだろう。

ぼくはここ数日、野村喜和夫・城戸朱理編『戦後名詩選①』(思潮社)を読んで、戦後詩を少しずつ読んでいる。一篇一篇の詩に、毎度ハッとさせられるのだが、宗左近の詩を読んでいるときに底知れぬ恐ろしさを感じた。

 椅子

坐らなければ椅子はない
動かなければ床はない
きしまなければ部屋はない
部屋がなければ不安はない

  男はしがみついている
  もはやなくなってしまっているから
  しがみついているのか
  しがみついているから
  もはやなくなってしまっているのか

男はみぶるいする

  椅子があっても坐れない
  床があっても動けない
  部屋があってもきしまない
  不安があっても部屋はない

男はふるえることができるだけの
透明な闇のかたまりとなってゆく
もう一人の男がやってきてそれを
椅子だと思って新しくきしませるまで
(宗左近『幻花』より)

最近、「椅子」に座らなくなったこともあって、親近感を持ちながら読み始めたのだが、第一連の「なければ、ない」のくりかえしに、なるほどと思って読んでいくと、第二連で男がなにかに「しがみついている」ことがわかる。なぜなのかといえばそれは「なくなっている」からだと。これは、どの「なくなる」なのだろう。「亡くなる」か「無くなる」か。どちらもか。「生」にしがみつこうとしているということか。

と、第三連で「みぶるい」するという身体がある。そして、第四連「なければ、ない」から、「あっても、ない」に反転される。すると、椅子があっても坐れないから、実体のないゴーストのような存在になったのか、と思われてきて、最後に「不安があっても部屋はない」と言われる。ここで、ぼくはストンと底抜けの闇のなかに落ちていくようだった。まさに、「実体」のない「透明な闇のかたまり」になっていく。

いま、ぼくたちは「透明な闇のかたまり」になろうとしているのかもしれない。部屋のなかで。しかし、やがて、「不安があっても部屋がない」ということになるかもしれないという恐怖。

そういえば、こういう「実体」のない「透明な闇のかたまり」の世界で生きようとしていた人がいた。

この生活に突入するまえに島崎藤村の『春』という小説を読んでいた。なぜ島崎藤村の小説を読み出そうとしたのかはわからないが、一つ、関心事として、この『春』という小説が、明治25年前後のことが描かれており、若くして自殺した北村透谷の死がそこにあったからだ。

ぼくが、はじめて買った全集は北村透谷の全集だった。当時、大学生で、古本屋に行くと、小柄な本だったと思うが、4冊組ほどで2000円もしなかったと思う。文学部の学生として、何を研究対象にしていいか迷っていたころだった。結局、その古くて埃のかぶった全集は、ほとんど読むことがなかったが、なぜか、惹かれるものがあった。

読む機会ができたのは大学院生になって、二年目のことだった。金沢から新しい教授がやってきて、ぼくがティーチングアシスタント(TA)をつとめることになった。その先生の授業で、「文學界」を扱うことになった。それが、いわば北村透谷や島崎藤村といった文人たちの活躍する場だった。

西洋の文学を懸命に翻訳したり、「恋愛」といった概念を取り込んで新たな文学を作っていこうとした人たちだ。そういう縁もあって、この島崎藤村の『春』という小説がぼくの本棚に置かれたままになっていた。そして、このタイミングで、ふたたび北村透谷がなぜ死んだのか、そういうところに関心事が向いていった。

これもなぜかはわからない。わからないまま持っておく。そして、この小説のなかでは北村透谷は「青木」という人物として描かれているが、「青木」が死ぬまえ、ずたずたになっていく場面が描かれる。

「青木」は文学を志して、原稿料などで生活をしているが、はやくから妻子を持って、一軒家で生活していた。「恋愛は人生の秘鑰なり」と言って、「恋愛」を賛美した透谷は、結婚生活を経て、生活の苦しさに絶望していく。その際に、文士として血気盛んであったころに書いた文章を読み、打ちひしがれるシーンだ。

「吾人は記憶す、人間は戦う為に生れたるを。戦うは戦う為にあらずして、戦うべきものあるが故に戦うものなるを。戦うに剣を以てするあり、筆を以てするあり。戦う時は必ず敵を認めて戦うなり。筆を以てすると、剣を以てすると、戦うに於ては相異なるところなし。然れども、敵とする者の種類によって、戦うものの戦いを異にするは其当なり。戦士陣に臨みて敵に勝ち凱歌を唱えて家に帰る時、朋友は祝して勝利と言い、批評家は評して事業という。事業は尊ぶべし、勝利は尊ぶべし、然れども高大なる戦士は斯くの如く勝利を携え帰らざることあり。彼の一生は勝利を目的として戦わず、別に大に企図するところあり、空を撃ち、虚を狙い、空の空なる事業を成して、戦争の中途に何れへか去ることを常とするものなり。
「斯くの如き戦いは文士の好んで戦うところのものなり。斯くの如き文士は斯くの如き戦に運命を委ねてあるなり。文士の前にある戦場は、一局部の原野にあらず。広大なる原野なり。彼は事業を齎し帰らんとして戦場に赴かず。必死を期し、原稿の露となるを覚悟して家を出ずるなり——」
 ここまで読んで、青木は草稿を閉じて了った。彼はその下書の上へ這倒るような風をして、額を畳に押宛て、慟哭した。

文士の戦いは、筆でもって、原稿を書くことである。そして、それは勝利し、帰ることを目的としない戦いである。帰らぬ人となろうと、原稿の一滴となることを覚悟しての出陣するものなのだ、と。おそらく、この生活に疲れ果てた青木(透谷)に、こうした気概はすでになかったか、あるいは、「露」とならざるを得ないことをふたたび悟ったのか。そういうところだったのだろう。

いかに、一時代を作った詩人(作家)であろうとも、この「不安」からは逃れ得ない。とりわけ、この透谷は、「実」世界よりも「虚」世界に生きようとしたゆえに、自滅の道を進んでしまった。

空の空の空を撃つて、星にまで達することを期すべし、俗世をして俗世の笑ふまゝに笑はしむべし、俗世を済度するは俗世に喜ばるゝが為ならず、肉の剣はいかほどに鋭くもあれ、肉を以て肉を撃たんは文士が最後の戦塲にあらず、眼を挙げて大、大、大の虚界を視よ、彼処に登攀して清涼宮を捕握せよ、清涼宮を捕握したらば携へ帰りて、俗界の衆生に其一滴の水を飲ましめよ、彼等は活きむ、嗚呼、彼等庶幾くは活きんか。
(北村透谷「人生に相涉るとは何の謂ぞ」『文学界』明治26年2月28日)

「実体」のなさ。それを「大、大、大の虚界」として立ち上げようと生きてきた。しかし、それは「実」世界に結局破れてしまうのだった。

「透明な闇のかたまり」。

救いはないのか、と求めて歩く。

閉じこもりつつも、ぼくたちの「実体」の薄皮を一枚一枚はがされていくような世界のなかで。

答えは、急がないこと。

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