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#35 反対の部屋

#反対します

今日は仕事で大きな会議があった。事前に資料が送られてきて、読んでみると仰天するような内容が書かれていた。こういう時代なので、考えるのは大変だったろうという気持ちは当然あるが、これではいけないと思って、事前に意見書を提出した。

もともとぼくは、あまり全体の前で意見する方ではない。もちろん、いつも思うことがないではないし、意見したくてうずうずすることもある。しかし、今回ばかりは言わないとこのままだ、という危機感があった。

それはさながら、現政権が「検察庁法案」を強行採決するような感じ。これは止めないといけないんじゃないかと沸き起こるものがあった。そんなに大袈裟な話でもないし、特段職場で独裁政治が始まるとか、そういうことではないが、おかしいことはおかしいと言わないと止まらないっていうことが、なんだか最近の内閣を見ていても思うからだ。

当然、先の見えない世界で、行く末を決断するリーダーの心境を思えば同情と応援するところはたくさんある。しかし、アベノマスクの配布率がいまだに半分も行っていないことも、検品に数億追加でかかるということも、お肉券やお魚券が出てきたり、手をあげた人だけ!だったり、10万円給付のオンライン申請が一日100件処理するのが精一杯ということも、まあ、おかしいといえばおかしい。(現場で処理させられる人も被害者だ)

おかしいぞ、と言うことも、ぼくたちの責任なのだと思う。仕事も同様で、上が決めたことだからと言って、無理矢理飲み込んで、本当はそんなことしたくないのにとか言い訳しながらやっても誰も得をしない。

納得をした上でやるということ、愛した上でやるということが一番強いことは今まで色々と見てきてわかったことだ。ぼくが懇意にしているファッションブランドも、まだ小規模ではあるが、心底自分たちが作り出した服と、その思想を愛している。それでこそ、ぼくたちはその熱に打たれて、買います!となるわけで、愛し抜くことが突き抜けることでもあるのだと思う。

最近は、コロナ禍によって種々オンライン化したり、ソーシャルディスタンスなどで、これまでの価値観が見直され始めている。そういう中でこそ、ぼくたちが本当に大事にすべきものはなんなのか。愛すべきことはなんなのかということをしっかり考え抜く必要があるのだと思う。

仕事自体はそう好きなことではないが、やっていれば思い入れもあるし誇りもある。前へ習えよりも、愛のあるところに人は集まるのだと思う。そういうこともあって、今日は声を上げることにした。そうすると、時勢は変わるもので、問題は先送りになった。

大袈裟な話にしたが、こういう一手を打っていくことがきっと大事なことなのだろう。詩を書くにしても、世の中にはいろんな詩の形がある。愛すべき詩はたくさんあるが、自分の詩もまた、そういうところから生まれてこなければ、きっと不幸になってしまう。

と、今日はあまり冷静になれないようだ。

少し興奮して疲れてしまったので今日はここまで。

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