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ヒトリのススメ

(注意)以下は、不妊治療などをもってお子さんを望まれている方には向かない内容です。








「結婚をして子育てをする」ことは勿論結構なことだ。
他の人や存在に手間を掛けて、自分の時間を誰かに共有出来ることは少なくとも嬉しいのだろう。

けれども、少子高齢化のための政策として、個人の幸せの在り方を刷り込むのはやめて欲しい。

世の中には未だに「結婚して子どもを育てることこそが幸せ」だという風潮が席巻している。

と言うと、言い過ぎなのだが、そういう考え方しか出来ない人が大多数いるのは事実だ。

ただ、子どもを望まなかったり、1人で居たいという人に結婚や子育てがしたくて焦ってるなどという話を持ち出すのはそろそろ社交マナーとしてやめにしないか。

当人やマスメディアはそのつもりがなくとも、それはある種の脅迫に近い。

「女の子1人で経済的に大丈夫?」
「自分の子どもが欲しくないなんて変な人。」

そう言われているような気がして、かなり鼻持ちならない。

今どき女でも1人で生きていける働き方は男以上にあるし、子ども産むとしてもいっぱいお金をかけるべきと考えて慎重になっているだけのこともある。

兎に角、焦って行動しても愛もへったくれもないじゃないかと思うのだ。
本当に政治家の言う「子ども製造機」に近いものになりはしないだろうか、、、
それでも、望んでもいない人々に大衆的な幸福論を振りかざしますか。

少々過激に書きすぎたかもしれない。
けれど、これくらい倫理観を危ぶまれる言い方をしなければ、
僕や自分たちの生き方をじっくり見つめたい人の思うほっといて欲しいという気持ちは伝わらない。

では、そのネガティブな考え方は置いておいて、「独り」を望む人に言いたい。

全然「独り」で生きていくことは悪くないですよ。と

コスパは良いし、自分の思うままに行動しやすいし、広く経験できるし。

そして何より、自分を愛せる。

矛盾しているような気もするけれど、多くの人と接していく方が自分を愛せる。

特定の誰かだけではなくて、世の中にいるありとあらゆる人と交流を持つことで視野が広がり、自分の立っている場所やどう生きたいかも見えてきやすい。

目標が明確だと、自分のことも好きになれる。

自分のことを好きになって初めて誰かへの「本物の愛」が分かる、かどうかは分からないけれど、
少なからず、互いに本当に好きかも分からないまま焦って関係性を優先して結婚や子供を産むところまで踏み切るよりは苦しくはないだろう。

「独り」の響きはついついネガティブな印象を持たれがちだけれど、「独り」だからといって変なわけではないし、生きる上で何かが欠けているわけでもない。

人と時間を共有しないのは幼稚だと形容されることもあるかもしれないけれど、裏を返せば自分の気持ちに対して誠実に向き合ってる結果なのではないかと思う。

世の中の論調に焦らなくていいし、負けないで欲しい。

幸せのカタチは本当に沢山あるはずなので、みんな急いでないで、まずは足を止めて一つ一つを眺めて見てはいかがか。