ロリータが好き 感情移入
ロリータが好き
あなたは、読んでいる本に主導権を握られたことがあるか。物語の登場人物に感情移入し、ふと我に返って恐ろしくなったことがあるか。
私はある。ロリータが好き。
初めてこの作品を読んだ時、私はまだ中学生だった。ロリータとそんなに歳の変わらないガキだった。
この物語の語り手であるハンバート・ハンバートは、純新無垢でもなんでもない、残酷で普通の女の子・ロリータに振り回され、彼もまたロリータを振り回す。外堀を埋めて唆して逃げられなくする。最悪のこの2人の間に漂う耽美な閉塞感は、われわれ読者を盲目にする。
ウラジーミル・ナボコフの代表作の一つである『ロリータ』は、「ロリコン(ロリータ・コンプレックス)」という言葉の元ネタとなった小説としてよく知られている。中学生当時(今もだが)円城塔に傾倒していた私は、円城氏の影響で、ナボコフに興味を持つことになった(彼が芥川賞を受賞した作品『道化師の蝶』は、ナボコフの『道化師をごらん!』をきっかけに書かれた)。どうせなら代表作をということで、私は『ロリータ』を読むことにした。「ロリコン」の文学ってなんだ……?という好奇心があったのは言うまでもない。その点では全くの期待はずれだったが。
Case1:博士の異常な愛情
この物語の語り手のハンバート・ハンバートはハンサムな中年の文学者で、9歳~14歳の少女「ニンフェット」をこよなく愛していた。
前回(ずいぶん前になるが)感情移入したのはハリーという良くも悪くも普通の、等身大の少年だった。しかし今回はわけが違う。ハンバートは普通の人ではない。ただの小児性愛者というよりもむしろ、まさに彼こそが、たった一人の・紛れもない・「ロリータ・コンプレックス」を持つ男なのである。
ロリータに執着するハンバートは、様々な手を使い彼女と過ごせるように画策する。ロリータ含めた周囲の人物は、外面も頭もよいハンバートの掌の上で転がされる。はじめは私も、そんなハンバートに嫌悪にも似た感情を抱いていた。
しかしロリータが成長するにつれ、すなわちハンバートと過ごした時間を積み重ねるにつれて、ロリータはハンバートの「思い通り」にはならなくなる。これは傍目からみればよいことだといえる。大人に唆されいいように扱われていた子供が、その毒牙から逃れようと試行錯誤を始めた証拠だからだ。ハンバートはもちろん、ロリータのこの傾向に対していい顔はしなかった。彼は焦りにも似た苛立ちを覚えていたと思う(読んだのが6年ほど前なので記憶が曖昧)。
私も苛立ちを覚えた。それが恐ろしかったのだ。ロリータとたいしてかわらない歳なのにも関わらず、私がそのとき感情移入していたのはハンバートの方だった。ロリータという少女は、ある意味で、読者である私もろともを絡め取っていた。
われわれは誰に感情移入するべきか
ここで注目したいのは、誰からも本の読み方を教わらず、ただ自己流で読書を重ねていく内に「読書時の感情移入は主人公(語り手)に対してするもの」という癖がついてしまっていたのではないかという点だ。それ以外の読み方を知らなかったがゆえに、と付け加えるとより実情に近い感じがする。
大抵の人間がそうであるように、大抵の語り手は犯罪者や精神異常者ではない(ミステリあたりに反例は山ほどありそうだが)。その上一定の美学に基づく気持ちのいい悪党でもない、という場合はもっと少ないだろう。ハンバートは狡猾で異常な犯罪者だ。最もたちの悪い部類に入ると思う。語り手に感情移入して後悔の念や気まずさを覚えるという貴重な経験を読者に与えてくれる、それがハンバート・ハンバートという男なのだ。
本を読み、映画を鑑賞し、音楽を聴くに際しての正しい方法などない。少女に翻弄され中年のハンサムな犯罪者に共鳴しかけるという危うい経験も、自由な鑑賞の醍醐味といえる。つまるところ、本を読むとき(主人公や語り手に限定せずに)誰に感情移入してもよいのだという当たり前の事実を、感情移入の危うさへの気づきによって教えてくれた作品が『ロリータ』だったのである。
最後に
おそらく『ロリータ』を読んだことがない人の中には、この作品をポルノ小説か何かだと考えている人が少なくないと思う。残念ながらポルノ小説ではない。ポルノ小説だと思って避けていた人は安心して読んで欲しいし(そして同時に不快な思いもしてほしい)、ポルノ小説でないと知って残念に思った人は一縷の望みにかけてぜひ一読して欲しい。どちらにせよ読まないのはあまりにも勿体ない作品であると思う。じっとりとした不快感、苛立ち、さまざまの展開の生々しさへの嫌悪感、ナボコフのレトリック、そして読後に残る淋しさのすべてを、この文学の裡に味わって欲しい。
結局なにが言いたいのかというと、『ロリータ』を読まずにロリコンを語るな。本物のロリータ・コンプレックスに触れろ。それに尽きる。
※英語に抵抗がない人はぜひ英語版で読んでください。
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