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#002 【物語の作り方】修辞的表現(エモ表現)をいっぺんやめなさ〜〜い!!!!

例え話をします

 いいですか、例え話をします。クソわかりやすい例え話をしますよ。

 そこに川があり、丸い小石と砂からなる川原がその川のそばにあり、さらに周りには木々があり、それらはどうやら森を構成しており、木々の間からは青い空が見えており、太陽があり、遠間に見える大きな雲を見るにどうやら季節が夏であり、日差しは熱く、とはいえ川から流れ来る風は心地よい涼しさをはらんでおり、目の前には生物学的にメスのヒューマンがひとりおり、そいつが頭には大きめの麦わら帽子をかぶっており、さらには白いワンピースを着ており、お顔もたいへん整っており、あなたに精神的距離の近さからくる微笑みを投げかけている――。

 さあどうだ、この状況はエモか。エモであろう、おそらくそんな感じである。この文章には特徴があり、それは「物語の中で読者の目の前に表現したいものを順番に羅列しただけ」というものだ。

 つまり単純にこういった状況であればエモがあり、つまるところこうした事実を述べていくだけでもエモい文章は書けるということで、つまるところ今日は「身体を包み込むようなうんたらの熱気がどうだらこうだら」とか「まるで心までも洗い流してくれるような涼しい風とかそういうアレが」と「そこにはユリの花のような笑顔がどうのこうの」とかそういうのに心を砕くよりも、そこにある何かだけをきちんと書くことによってもっと深い効果が出てくる可能性がありますよというお話をします。

また、核心部分はここまでで全部実は説明しており、詳しい実践法とか本質とか構造的仕組みについての解説は今回試みとして有料にしてみます。

気になる方や実践方法を知りたい方は以下〜〜〜〜〜〜〜!!

2023/06/23追記
 だいぶ公開から時間が経ったので無料範囲を広げました。

文章に自信を持てるようにしようか!

 はい、ここからはかなり手加減なしにしっかりと理順を書きます。

修辞的表現という単語それだけを共有した場合「私はこう思ってた」「俺はこうだと思ってた」という意見思想その他なんやかんやが絡み合いほんのりやわらかい事故を起こす場合がありますためまず言葉の定義をやっていきますが、端的に修辞的な表現というものは、このnoteでは「修辞法(※1)を用いたもの」とします。
 ※については一番下で解説しておりますので各自クロール読みをしてください。

 では写実的表現というものはどういう意味かという点ですが、これは前述の修辞的表現よりはもう少し具体的で、人間が外界と感覚(※2)によって接触した際の現実認識を想起させるものとでも書けばわかりやすいと思います。もう少し砕けた言い方をすれば「見たまま感じたままを表現することによって前述した現実認識を成立させる」ものということで理解をしてください。

 さて、ここまで認識のすり合わせがそれなりに終了したところで、僕が修辞的表現を使わなくてもエモーショナルな文章が書けますよと述べ、その上でnoteの表題にある通り「修辞的表現(エモ表現)をいっぺんやめろ」となぜ言っているか、という点についてお話するんですが、この主張の根底にあるのは「不安を抱えないで済むような基礎を身に着けようぜ!!!!!」という提案です。



 多くの場合、端的に物事や風景、事象を書き記そうとしたとき、過度に修辞的表現を用いてしまう理由はシンプルで、それは「伝達が叶っていないかもしれないという不安」です。
 「これで伝わるのかなぁ、もうちょっとよくできるんじゃないかなぁ」といった「不安」が、修辞的表現を使って文章を補強しようというという誘惑を呼ぶわけで、その誘惑のままに過度な修辞的表現を繰り返すと、修辞的表現で満ちた文章でないと満足できなくなってしまい、最終的に伝わりやすさが死滅したり文章そのものが稚拙になります(※3)

 つまるところ、文章を書く上で「これで伝わるのかなぁ」という不安を文章を書く初期段階で払拭してしまえばいいわけで、その方法はシンプルに「写生」(※4)を鍛えればよく、それによって「伝わる文章を書いている」という自信をつけ、そうした文章に対し修辞法を適切に与えれば過度に飾り付ける必要はなくなるわけです。(※5)

2023/06/23
ここまで広げました

伝わる文章とは

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