かつて自殺を考えた人間が、人と自分を救った話

ゴトーです。

かつて自殺を考えたゴトーが、道で倒れた人を見つけ救急車を手配したあと、ゴトーが人間として成長できた、という話です。




コンビニで知人がトイレを済ませている間、煙草でも吸おうと思い、コンビニの外に出ると、男の人と女の人がいました。

最初は何しているんだろう、抱き合ってイチャイチャしてるのかなと思っていました(少し嫉妬しました)。しかし、どうやら様子が変でした。声かけが「大丈夫ですか?」や「薬ありますか?」と声かけしていて、これは変だぞと気づきました。

もちろん煙草は取りやめ、しばらく様子をうかがってましたが、様子を見てるとカバンのなかに薬があるとのことで

「水を買ってきてくれませんか?」

と介助していた男性に声をかけられました。待機していたゴトーはすぐにコンビニで常温の水を買いました。

ペットボトルを開けて介助していた男性に渡し、薬を飲ませましたが、偶然にもそれはゴトーが飲んでいる薬(胃の薬)のうちのひとつだったので、それでは効果がないな、ということには気づきました。

その時スマホが見え、介助している男性が誰かと電話していることにそこで初めて気づき、状況から倒れていたと思われる女性の親族にあたる方になんらかの方法をとり連絡を取り合っていることを察しました。

やがてその親族の方がタクシーで合流し、そこからややパニックが始まりました。母親と思われる女性が適切な頓服薬をざっと探していましたが見つからず、父親と思われる男性に倒れていた女性のカバンを預け、薬のポーチをひとつずつ確認してましたがそれでも見つからず、焦りが出てきた親御さんが

「救急車を呼んでください!」

とゴトーに依頼してきました。

すぐに119番通報をし、救急車を待ちました。



その間、親御さんが水の代金を払わなければということで、何円でもいいから払いなさい、と父親らしき人に頼み、水の代金の十倍をゴトーに支払おうとしました。しかしゴトーは第一発見者である男性に払うべきと主張したのですが、第一発見者は断り、ゴトーは混乱してせめて半分ずつ分け合うべきではと提案するために代金の10倍を受け取ってしまいました。それでもなお第一発見者は断り、そこでゴトーはお金を財布へしまってしまいました。ここがゴトーの後々混乱してしまうきっかけとなったポイントです。



救急車が到着し詳しい説明を叔母に当たる方が(説明を聞いているとそう言っていました)して、倒れていたらしき女性が救急車の中へ収容されました。正しい受け入れ先を探すために救急車はなかなか発車しませんでしたが、やがて運ばれていきました。(ここは後々調べたのですが、非常に長く感じる時間を費やして救急の方は受け入れ先を調べています。もどかしいと感じるかもしれませんが救急の方は命を救うためにやっていることなのでとても必要な時間なのです)

ここからはそれぞれ第一発見者は目的地へ、ゴトーとゴトーの知人は帰るための駅へ、親族の方は救急車で倒れたと思われる女性と一緒に病院へ向かいました。



ここからゴトーの苦悩が始まりました。親族の方から受け取った金額が大きすぎること、第一発見者は人を救ったにも関わらず、それに見合う対価を得られていないのではないかということ、見て見ぬふりをして煙草を吸っていた人への憤り、命の重さ(あるいは金額といってもいいかもしれません)について、などなど。



一緒にいた知人とはとにかく第一発見者は何一つ対価を得られていないという点について話していました。ゴトー自身も混乱していてとにかく第一発見者に報酬を与えたいと主張していましたが、知人は第一発見者にはまた幸運なことが訪れるだろうし、第二発見者であるゴトーには救急車手配や水の用意などの感謝の気持ちも含まれたものだから、どう使ってもいいとのことでした。しかしゴトーはゴトー自身のために使うのは絶対におかしい、何かゴトーが納得できる使い方を探すべきだと言い、そこからは平行線をたどったままでした。

ここで登場するのが別の知人です。帰り道の道すがら、知人にただいま混乱している、この混乱を沈めてほしいとお願いし、事の顛末を電話で話してどうすべきか考えていただきました。結果としては月並みかもしれないませんが、その倒れた病気(叔母にあたる方が薬を探す際、病名を言いゴトーは病名を知ってしまいました)の団体へ寄付してはどうか、というゴトーの納得のいく使い方を提案していただきました。それが思いつかないくらいゴトーは混乱で聞く耳を持たない状態で、一緒にいた知人も救急車を呼んだりゴトーの混乱が伝播したりで多少動揺していたのです。



家に帰って落ち着いた後寝て一日たち、改めて振り返ると、やはり寄付が1番しっくりくるなということで結論は落ち着きました。


しかしそれだけでは収まらない自分の気持ちもありました。ちょうど連休の中日ということですぐに寄付できるような状況ではなかったのもあります。そこでゴトーは色々な人にこのことを話せば色々な人から意見を頂けると思い、本当に様々な人に話しました。家族、知人、医師etc…。

そこで一つ、あの時このことを言っていたんだな、と後から気づいたことを紹介します。それは



『話すは放つ』



という言葉です。


もともと話すという言葉は放つが語源という説があるらしいです(何かの機会に「森田療法」というものを学びました)。極端な話、相手に「好きだ」という言葉を【放てば】、そこから二人の関係は変わります。好きと伝えた方は返事を待つために心臓がバクバクでしょうし、仮に伝えた相手が断りたいという意思を持っていた場合、それをどう伝えるか考えます。

最初に私は非常に混乱していました。それが一緒にいた知人に【放たれ】、知人も(人生経験豊富な方だったので多少はましでしたが)伝播し、二人では混乱は解決しなかったと思います。その場にいなかった第三者の知人によってだいぶましになり、さらにいろんなひとに話すことでゴトーの混乱は最終的には解決しました(多少しこりや気になる点はありますが)


悪意は伝播し、幸運は連鎖します。どちらも人に【放ち】たくなるからこそだと思いますが、色々な人に話すことによってそれは引き起こされると思います。

だからこそ、今誰かに聞いてほしい事がある人はそれを【放つ】べきだと思いますし、受け手はそれについて真摯に耳をかたむけ、もし可能なら助言してあげるのがいいと思います。

ゴトーはかつて自傷しており、それもとある言葉によってぴたっと止まりましたし、引きこもりも(なんと同一人物)脱するきっかけをくれたのもその人でした。とても感謝しています。


今悩んでいる方、自暴自棄になってる方、話したいけど話すことを躊躇っている方へ

それは誰もが持っているものです。1歩踏み出して話してみてください。何かが変わるはずです。ただし医者は医者としての言葉を【放つ】と思います。まずは誰でもいいので【放って】みてください。そうすればもう解決するまでトントン進んでいきます。

誰かから話された方へ

真摯に聞いてあげてください。助言は出来たらで大丈夫です。助言出来ない、と感じたらうんうんと聞いてあげてください。それで充分です。


最後にですがこんな話をしたいと思います。

かつてゴトーは救急車の音が嫌いでした。誰かが傷つき不幸を運んでいる音に聞こえていたからでした。しかし、この経験をして誰かを助けようと頑張っている人たちがいる、という希望の音に聞こえるようになりました。


1人でも多くの方に伝わって欲しいと思っています。長い文章になりましたがここまで読んでいただいてありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?