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生まれ変わったらゾウになりたい


今年いちばん読んでよかった本の中に、

人間は支配しようとする「力の知性」だけれど、クジラや象は「あるがままを受け入れる知性」だ

出典:「無意識がわかれば人生が変わる」 | 前野隆司/由佐美加子 著

という一文があった。

これは、ドキュメンタリー映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」の龍村仁監督が書かれた記事を、

この本の筆者が要約したものである。


「なるほど。」と思った。

わたしは、動物が全般的に大好きで、人間よりもむしろ動物のほうが好きだなあと思っているタイプ。

「好き」というよりは、動物と過ごすほうが「楽」。

ダメージが少ないからである。

人間と居ると、どうしても無意識のうちに

相手が何を考えているか、何を感じているか、

自分はどう見られているのか、どう思われているのか、

相手の求める「正解」を探してしまう。

そして、消耗する。

「正解」なんて大抵は妄想で、実在しないのに。


でも、人間の中でも子どもと一緒に過ごすのは、比較的気が楽。

ある意味最も消耗しない人種は、子どもかもしれない。

エネルギー量の強さにあてられて疲労困憊にはなるけど。。。(笑)

動物と子どもに共通しているものは何だろうか、と考えてみると、

「受容する力」ではないか、と思う。

ものごとを受け入れるキャパシティ(容量)がでかい。

動物はもちろんのこと、幼い子どもたちには、

まだ「常識」という社会の謎ルールが刷り込まれていないことも関係あると思う。

大人なら「普通」こういうことをすべき。みたいな先入観が搭載されていない。


わたしの親戚の2歳児は、わたしの気分が落ち込んでいるときも、

イライラしてるときも、嬉しいときも、もちろん楽しいときも、

どんな時も同じようにすべてを受け入れて、ただそこに居たり、笑いかけたり、

時には物をくれることすらある。嬉しいときは一緒に喜んでくれたりもする。

寛大である。

動物もそうである。わたしがどんな状態であっても、変わらずに、存在を認めてくれている。

「なにをしてもしなくても、ただそこに居ていい」

という状態が、いちばん安心できる わたしのような人間にとっては、

動物や子どもがいてくれるだけで、そこがわたしの「居場所」になる。

「ああ、ここに居てもいいんや。」と思わせてくれる。

実家で飼っている犬もそうである。

彼らは、わたしがどういう状態にあっても、一定の距離をもって見守ってくれている。

(うちの犬はわたしが変なことをしてると(急に踊りだしたり)、変な顔するけど。(笑))

逆に、わたしも彼らに対して、どんな状態であっても「居てくれるだけでいい」と思える。

それは、本当に豊かな経験である。

実際には、子どもたちや動物たちが、何を考え、何を感じているのかはわからないが、

少なくともわたしは、彼らの存在に感謝することが出来ている。

もちろんいつでもそんな聖人的感覚で居られるわけではないが、

こと、動物や子どもに対してはそう思えることが多い。

あまり求めず、そしてあまり求められない。ちょうどいい。


ではなぜ、数ある動物の中でも、ゾウがいいのかというと、

冒頭の一文に戻る。

人間は支配しようとする「力の知性」だけれど、クジラや象は「あるがままを受け入れる知性」だ

出典:「無意識がわかれば人生が変わる」 | 前野隆司/由佐美加子 著

ゾウやクジラは、大脳新皮質の大きさとその複雑さから、

人間とほぼ同等の精神活動が出来るのでは、というのが龍村さんの説である。

ただ、知性の使い道が全く違う。らしい。

人間は、自分たちがより便利に生きるために自然をコントロールし、

そして支配するために高度な知性を使うのに対し、

ゾウやクジラたちは、自然をコントロールしようなどとは思わず、

自然のもつ無限の多様性に適応して生きるために、その高度な知性を使っているという。

人間の知性を「攻撃的な知性」、ゾウやクジラなどの知性を「受容的な知性」だ、とする表現が衝撃的であると共に、すとんと腑に落ちた。


この説を知るまでは、来世はナウシカになりたいと思って生きてきた。

宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」のナウシカである。

ナウシカは、人間が万物の中で一番偉く、すべてを支配せんとするような世界で、

腐海と共に生きることを選んだ。

どうすれば腐海と共に、世界と共に生きていけるのかを研究し、

自分の身を犠牲にしてでも、世界の調和を保つことに尽力した。

わたしも、そういう風に生きていきたい。

何も支配せず、何にも支配されず、コントロールすることもされることもない、

すべての多様性をありのままに認める、優しい世界を創りだしたい。

どんな人間も、動物も自然も、あるべき姿を受け入れて、受け入れられる世界でありたい。

だが、どうしてもわたしは人間的で、どうしても支配をしようとしてしまう。

コントロールもしたくなる。

全てを受け入れて生きていきたいけれど、どうしても受け入れられないものがたくさんある。

「人間」のわたしは、まずは受け入れられない自分を受け入れる。

支配やコントロールをする自分を受け入れる。

「受容の練習」からのスタートである。

そもそもゾウとはスタートラインがまるで違う。レベチである。

人間として生まれてきたからには、人間にしか出来ないことを。

わたしとして生まれてきたからには、わたしにしか出来ないことを。

だからわたしは、受容的な居場所づくりに従事することを生業にしていこうと思う。


でもやっぱ、最初っから「受容的な知性」を搭載して生まれてきたかったな~~~。

こんなちっぽけな身体で、心で、全てを受け入れるなんて、怖すぎる。

大きな体で、ゆったりと構えて、優しい気持ちで生きていきたい。

だからやっぱり、わたしは 生まれ変わったらゾウになりたい。





追伸

無意識がわかれば人生が変わる」、めちゃくちゃおすすめなのでぜひ読んでください。

まじで人生変わる。と思う。

わたしは、自分を許すことへの抵抗が薄れてきた。読みやすいしね。

なんかうまくいかん、とか、現状を変えたいな~と思ってる方に。

ちょっとだけ、世界に優しくなれます。

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