体があることの辛さ
父が今年88歳で亡くなってから、父の使っていた数珠を火葬の時に持たせずに一人娘の私がもらい受けた。私の家には仏壇とか無いので、その数珠を手にして朝晩父に話しかけている。
毎日願い事を繰り返していると、だんだん言葉も選び抜かれてきて、「私の願い」が煮詰まった形に固まってくる。特別に心配事がある日は、ちょっとそのことも追加でお願いする。
祈るのはいつも、
父が心地よく過ごしているように。
残った母が寂しくないように。
私と二人の子供たちが、幸せで長生きでき、仲良くいられるように。
ペットの老犬が、苦しまないように。
そして、私がもっともっと自由にストレス無くなるように。
ってこと。
私が大事に思っている全員が、酷くつらい思いをしないで、心地よく過ごして欲しいってことですね。心身共に。
そして、父にはもう痛いとか苦しいとかいろいろあった肉体が無くて、心だけになって開放されたんだろうなあと考える。羨ましい。
肉体が無かったら、どんなに快適だろう。
若いころには、体の存在はほとんど感じなくて、たまに「疲れて死にそう」って口に出すときも、今のような深い、絶対に消えない疲れじゃなかった。
もしかしたら、体から解放されるまで頑張るのが、今の人生で、肉体が消えてからが、楽しい時間なのかも。あの世に行く方が本当の幸せなんじゃないか、と考えたり。
もし、体が消えてからも心は残っていて、心地よく過ごしているんじゃなく、本当に跡形もなく父が消えてしまったとしたら、もう何も父を喜ばすことが出来ないとしたら、親孝行できなかった自分を許せなくてつらいから、その考えは頭から追いやって、絶対に見守っていてくれる、私が幸せなら喜んでくれると思いこんで、拝んだりお供えしたりしている。
朝晩祈るのは、父のためじゃなく、私が救われるため。いつか体から解放される日までたぶん続けていくだろう。
疲れる毎日を誰かの文章で癒されたい。そして、私も誰かを癒したいです。いつかできたらいいな。