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若き日に見た恵那川上屋のあるべき姿

先月の「気づき」の続きです。
※前回の内容は こちらからご覧いただけます。
 
体に鞭を打ちながら蓄えたお金とユーレイルパス(ヨーロッパ各地の列車を利用できる鉄道チケット)、国際ユースホステル会員証(世界80カ国にあるユースホテルを経済的な宿泊料金で利用できる会員証)を持ち、フランスに渡り、そこで様々なお菓子屋さんを回り見分を広げていきました。
 
そんな中、多少の仕事もさせてはいただいたのですが、ビザやら何やらと全く準備をしないで行ったため、仕事の対価としてのお金は一切いただけませんでした。
 
1か月ほどが経つと財布は見る見る痩せ細り、気づけば残り10万円ほどに。
さらに半月後には底を尽きました。

次の目的地はスイスのチューリッヒ。
ユーレイルパスがあれば列車は利用できますので、夜行電車に乗り、たどり着いたのは手前の町ベルンでした。
 
朝4時ごろに到着したものの、もちろん宿代はありません。
 
寒さがとても厳しい中ではあったものの、旅の疲労が勝り、駅のホームのベンチで可能な限り体を球体に近づけ、自分の体温で暖を取りながら横になりました。
 
寒さと体の痛みで目が覚め、時計を見ると朝8時。
ホームにはたくさんの人が行きかっていました。
 
被っていた帽子を寝ている間に落としてしまっていたことに気づき拾おうとしたところ、その帽子に沢山の人がお金を入れてくれていました。
 
ジャンバーはボロボロ、ジーパンは破れ、髭は生え放題。
不憫に感じ、施しをくれていたのだと思います。
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施しは本当に有難くいただきましたが、宿に泊まるほどのお金はありません。
1週間くらい駅で過ごしていました。
 
ある日、「いつまでそんなことやってるの!ちょっと家に来なさい!!」と、日本語で女性が声をかけてくれました。
 
その方が現在の恵那川上屋の包装紙や袋のデザインをしてくださった横井照子画伯でした。
(当時、スイスでは一番の画家と言われていたようです。一回の個展でも数千万は売れてしまうほどファンが多く、超売れっ子の作家だと後から聞きました。)
 
アトリエに着くと「冷凍庫の中にすき焼きの残りがあるから温めて食べなさい」と言われ、久しぶりに米を炊き、みそ汁を作り一緒に食べました。
 
身なりはボロボロのこんな私を招いてくれたのが不思議でしたが、その時に2つの言葉をいただきました。
 
「ボーイズビーアンビシャス」
「パイロットランプをともせ」

 
私は絵の才能も見る目もありませんが、壁にかかっていた白い油絵を見て感動し、


「ぜひ私が商売を始めたらあなたに包装紙と袋のデザインをしてほしい。そして、こんなに素晴らしい作家がスイスにいて日本では知られてないなら、いつか私が日本に美術館を作る」と言ってしまいました。
 
ボロボロの身なりをした男が語る夢のような話でしたから、彼女は「できたらいいわね」と微笑みうなずきながらも、聞くというよりは通り過ぎる風の音を感じるように、私の言葉に耳を傾けてくれていました。


その日から数年が経ち、あの時語った夢のような話は2つとも実現することができましたが、横井さんは2年前、96歳でお亡くなりになりました。
 
20歳で出会い、40年間スイスへ通ってはお話を聞いたことが、横井照子美術館の資料となっています。
 
『スイスで日本人が絵を描いて、たくさんの人を喜ばせている』
 
恵那川上屋の理念は「環喜・貫喜・大歓喜」です。
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多くの方々と出会い、頂いた優しい気持ち、そして喜び。
 
喜びの気持ちは人を伝わり円環し、思いを貫くことでより大きな喜びへと繋がり、そして巡ります。

恵那川上屋のあるべき姿がここにあったのだと思います。


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