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運命の転換期

    運命論者でも、占い師でもないのですが、以前、何かの折に、運命の転換期は誰にもあるというような事を書いたことがあり。あり!と言い切るのですから、記憶にあります。書いた記憶が。

あちこち、公私共々、いろいろな場面で書いているというか、書かされている場合が多いので、何月何日、どこそこに書いたまでの記憶はないのですが。

ただ、人間はみな、転換期はある。
運命の転換期とも云えるような、その人本人には大々的なイベントとも感じるような転換期は、必ずあるものだと、私は考えていることは事実でして。

🌻🌻🌻

今日は本格的に暑い1日になり、外から戻るとみな、

「暑い、暑い!」

と嘆息していたので、私は家から出ませんでした。

読書をしたり、フローリングの床を水拭きして、ワックスかけたりしていました。

午前中で洗濯物は乾き、気持ちいいなぁと、それでは、さてさて昼寝でもと考えているところへ、

ピンポーン、ピンポーンと。

画面に映る人は、はあ!!なぜ、ここにいるのかしら?と訝る先輩女子でした。
アメリカにいるはずで、アメリカの人と結婚したはずで。

で、、運命の転換期。

先輩は私のブログも、このnoteも、ほか詩作、創作、などのサイトや、大学関係のサイトなど、常に目を通して下さっているらしく。

運命の転換期は、
先輩が知るだけでも、3回は書いているとか。

は~ん、書くことって、ちょっと大変、無責任に書けないなぁと、感じてしまいましたが。

私は、運命の転換期は必ずある。
そして、その転換期を良い方向へもっていくか、悪い方向、下手をするとどん底にまで、堕ちるやもしれないのだけれど、

それは、その人が接する人により変わるだろう。

悪くなりそうな転換期を、翻って良いほうへ、もしかすると、はじけるくらいに、大躍進となる場合もある。

それは一般的な尺度ではなく、世間では嫌われ者であっても、その人は、その世間の嫌われ者と仲良くなり、暗かった人生がはじけたという場合もある云々・・・

それは持論ですから、書くとなると書いているのでしょう。

あの人に出会って、私は救われた。
あの人のせいで、私の人生はメチャクチャ。
あの人に出会っていなかったら、今の僕はいない。

等々、いろいろな場面で耳にすることですが、

人と人との出会いほど、面白くも、大切でもあり、用心もしなければならない。

先輩は離婚して、郷里に戻ってきた。

あの人は、自分を破壊してしまう人と気づいた。気づいた時に、私の運命の転換期云々の文章を思い出したとか。

嬉しいような、悲しいような。

お金持ち、資産家、社会的地位、優しい、外見の素晴らしさ、服装のセンスの良さ、
言葉遣い、、

良い良いばかりは、かえって危険もある。

自分にとって、自分の価値観に一致した価値観の人、

もしくは正反対の人、

いずれが、

自分の運命を転換させる人なのかは、

知る由はない、ないので、

あ、先輩の言うには、

無欲に、心澄ませて、人を見なければ!

ということだそうで。

暑い日、昼寝は出来ませんでしたが、

書くことも、話すことも、

いい加減ではいけない、適当はよくないと、
考えさせられた1日でした。