日本にスティーブ・ジョブス氏が出現しない理由―だって日本はつまらない国だから―

■ご挨拶
もう何年も前から言われているキャッチ―だが、
「日本にはイノベーションを起こせる人材がいない」
「スティーブ・ジョブス氏のような天才がいない」

2番煎じ3番煎じな内容だが、まずこの事実を認めることができない日本人が多いように思えてならない。


■テクノロジーの普及が時代を変える
近年から見られる兆候だが、『反日』『敵国』という攻撃的なキーワード及び『親日』『愛国』のような親和的キーワードが昨今のSNSで市民権を得ようと躍起になっている。

21世紀に入り、インターネットが普及することで不特定多数、匿名による意思疎通が可能になった。

まだSNSが一般化するまでは2chのような匿名ユーザーによる草の根掲示板による隠れたコミュニティが全盛期であった。彼らはまだインターネット普及前からIT環境を揃え、ネットワーク技術にある程度教養を持つ程度に『大人』であった。

スマートフォンの普及、SNSアプリケーションの登場はインターネット、ネットワークにおける専門性の壁を払拭し
・誰でも
・容易に
・ウェブに参加
という秩序無き世界=混沌を生み出したのだ。

古き良きインターネット・・・なんて呼ぶ気はない。当時から悪質なユーザーは存在したし、悪質な事件事故も発生した。

しかし多くの人間が関われば万物において混沌をもたらす。

SNSで日々いきかっているトラフィックで流れていることといえば
・今日の天気
・今日の食事
・今日の出来事
・他人への誹謗中傷
・嘘か真かわからないゴシップ
・政治雑談

現実空間だろうとネット空間だろうと大多数の人間が発する情報はこんなものだ。しかしその規模が膨れ上がり、以前からそこにいる知識人や伝統は不特定多数の津波に飲まれ、荒らされ、不毛地帯と化した。

それはまるで、食物連鎖のバランスを維持してきた自然系を破壊し、環境を破壊し、自分達に都合の良い環境へ塗りつぶす人類そのものだ。

その結果が「インターネットの利用にはマナーやネットリテラシーが大事です。みんなでルールを守りましょう」である。

何と恥ずかしいことだろうか。マナーやルールなんてものは自主規制ではなく自嘲なのだ。

『自分達は無知蒙昧でルールやマナーを守れない、あらゆるものを好き勝手に破壊しつくす野蛮人だ!』と、堂々と叫んでいることに等しい。

「自分達は愚かだから首輪をつけないといけませんよね?みんなで仲良く首輪をつけてインターネットを利用しましょうね」

「ふざけるな!自分達は上手くやってきたのに、お前らが勝手にやってきて滅茶苦茶にした挙句何がルールを守りましょうだ!だったら最初から来るな!」

人間のやることは、人類誕生以来何も変わっていないのだ。


■人の世で変化するのは時代
時代とはなにか?

この答えをもたらすのは筆者の愛するゲーム、小島秀夫(監督)作 メタルギアソリッドシリーズ(1998~)だ。
※MG1、MG2は除外

本シリーズはゲーム的に、そしてメタ的にも時代を象徴する作品として筆者は見ている。

シリーズ全体としてのテーマは反核であるが、反核もまた時代の変化を示している。

WWIIにおいて日本は米軍機から二度にわたって原子爆弾を投下、使用された。
1945年8月6日、広島。
同年8月9日、長崎。

2発の新型爆弾の威力を目の当たりにした戦勝国連合はこぞって核兵器開発を推進し、他国に負けないよう核戦力の増強にしのぎを削った。

とりわけソビエト連邦とアメリカ合衆国による軍備拡張競争、宇宙開発競争は冷戦と呼ばれた。互いに地球全土を何度も消滅できるほどの核兵器、核戦力を配備した。当時の人々は世界の終わりを覚悟した。

この冷戦に焦点を当てた『メタルギアソリッド3』は、日本のメディアが垂れ流す8月終戦記念プロパガンダ番組より遥かに見る価値のある映像作品に仕上がっている(勿論ゲーム性も素晴らしい)。

そしてゲーム本編でも語っている通り、21世紀になってソ連とアメリカが冷戦を続けることはなく、ソ連崩壊。米国による世界覇権が達成され、結果的に世界は非対称戦=対テロ戦争の時代となった。

続編である『メタルギアソリッド4』では21世紀の新しい戦争(戦争を経済活動に取り入れた、まるで現代をメタ的に紹介するディストピア世界)を描いた、まさに時代の変化を演出している作品であった。

時代は常に変わり続ける。

時代が変わっても変化しないものも存在するが、基本的に人の世は変わりつづけていく。

『現在を生きている人間』が生涯にわたって信じられるものは数えられる程度しかないこと、それを時代は刻々と訴えてくる。

文化、芸術、テクノロジー、教義、社会通念・・・etc。

この10年でコンピューターの性能は飛躍的に向上し、ネットワークは現実世界のいたるところに存在し、ネットワークにつながっているセンサースイーツを搭載したドローンが身近なところで活動している。

誰もがスマートフォンを携帯し、
誰もがネットワークに接続し、
誰もがインターネットにつながり、
誰もが監視・統制される社会。

時代はテクノロジーの発展と共に社会の形を変えていく。しかしそれでも人間は社会に生きている。



■時代に従わない日本
日本製のパソコンやスマートフォン、読者の皆様はどれくらい利用しているだろうか?

できればここで日本人ユーザーによる海外メーカと日本メーカのシェア率を出したいが、筆者の持論はデータを見るまでもない。

日本製が選ばれる理由とはなにか?

『やっぱり国産、国産が一番良い!』
『日本製が世界一!異論は認めない!』
『国産なら安心』

そう、国産至上主義、日本人の大半が【国産教】を信仰しているのである。

確かに、日本人が使うモノなのだから日本人の作ったモノが一番相性がいいはず。筆者もその考えに異論はない・・・。

が、事ここに至って『パソコンやスマートフォンに始まるデジタルデバイス』においてはもうダメ、というのが持論だ。

この辺は、自作パソコンを制作している方やiPhoneユーザー、Androidユーザーの内多機種を触っている方。家電マニア、価格調査マニア・・・etc。

『自分でいろいろと情報を集める方』
『こだわりを持てる方』
『現実指向の方』
等はご理解できると思う。

例えば日本の大手デバイスメーカーである【F社】や【N社】がリリースしているパソコンやスマホを見れば
・とにかくいろんなアプリがプリインストールされている
・自社製品の広告や使い勝手最悪の不人気ツールばかり
・貴重なストレージ容量を圧迫
こんなことばかりである。

筆者が腹立たしいのは『国産パソコン』『国産スマートフォン』という名称を堂々と喧伝していることだ。

一応聞くが、いつから日本はパソコンを構成する個々のモジュールを生産するようになったのだ?

CPUは?
GPUは?
マザーボードは?
OSは?

日本が製造していると言えるのは精々ディスプレイ、汎用品であるストレージやRAM、マザーボードや電源ユニットに用いられるコンデンサ、その他オプション的な負荷製品程度のものだ。

そもそも日本はソフトウェアで負け、液晶で負け、半導体で負け・・・ITデバイス敗戦国である。

メディアはしきりに「IT敗戦国=ソフトで負けた」と吹聴しているが、ハードですら負けているのだ。

時代錯誤な国粋主義者や自民党シンパ、匿名で好き放題騒ぐネット右翼(ネトウヨ)なんかは
「日本のハードは世界最高品質!」
「トヨタは日本の誇る企業!」
「日本の家電は性能で負けない!」
こんな愚かなプロパガンダを騙っては左翼がー民主党がー・・・と録音盤の如く吠える。

誰がどんなモノを使っても構わないが、実態とかけ離れた妄言を他人向かって吐いている輩は見るに堪えない。

時代は常に日本国の外で動いており、むしろ時代に逆行している島国に将来はない。

マイナンバーカードなる国民総監視ツール。
国土の森林を破壊しつくしソーラーパネルを敷き詰めるメガソーラー事業。
漁業資源どころか周辺国の気候さえ変化させてしまいかねない海洋風力発電事業。

日本政府がやっていることはいずれも他国が既に失敗と認め廃止したものばかりだ。まるで失敗政策のシミュレーション結果を他国へ提供するためにあえて愚策を実施しているかのようだ。

筆者が思うに、日本国にはそもそも時代という概念が存在せず、その場その場で甘い汁を吸えればその後は野となれ花となれ・・・利益さえ得られれば一切を気にしない愚者しかいないのだろう。

世界で唯一成功した社会主義国ではあるが、同時に世界で最も多くの失敗をしでかした先進国という汚名を後世の歴史家たちによって授与されるだろう。


■日本でイノベーションが起きないのは『時代感』がないから
時代を見る目、時代を感じるセンス、時代を作る技術力・・・これらを何一つ有していない日本。

革新=イノベーションとは何か?
それは時代の変革そのものだ。

・鉄は、それまでの木や石よりもはるかに優れた材料として文明を進めた。
・法は、それまでの無秩序であった人間達をまとめ上げ「国家」という単位に作り上げた。
・紙は、それまで扱いづらかった石碑や文字盤より記録、保管を容易にし、人類に歴史という最強の武器を授けた。
・火薬は、それまでの人類の戦争の形を大きく塗り替えた。
・産業革命は、人類の生産能力、生産システムを大きく前進させた。
・電気は、人類に普遍的なエネルギーの形を示した。
・電波は、人類に物理的な距離を無視する通信方法を与えた。
・コンピューターは、膨大な核爆発の計算にも堪えうる演算力を生んだ。
・核兵器は、冷戦という軍備拡張競争と核抑止論を生んだ。
・マスメディアは、戦争の形を一変させた。
・iPhoneの登場は小型携帯端末の姿を一変させた。
・・・人類の知らない所で、無数の変革が歴史に埋もれているに違いない。

人類の歴史は、イノベーションが発生することで時代を変え、当時を生きる人々が望んだ希望=需要を満たし続けてきた。

それは、人類に変革という夢を持たせた。

過去のイノベーションの数々には、時代を変える力、時代を導く力、時代を創造する力があったからだ。

彼らにとって、時代こそが戦う相手であり、時代こそが真に価値ある対象なのだ。

なぜ日本でイノベーションが起きないのか?

『日本には時代なんて存在しない』からだ。

1853年、時代から取り残されていた島国に異国の黒船が来航した。海の向こうから来た彼らを見て島の住人は何を思っただろうか?

恐らく何も考えられず、何も感じず、ただただお上である将軍様の御意向を待っていたに違いない。

なぜならその島国には『時代』なんて存在しない概念だったからに違いない。

21世紀もそろそろ4半世紀になるが、きっと今もこの島国に『時代』は存在しない。


■日本が求めているのは変革ではなく怠惰な平和と安定
ITの世界は日進月歩、昨日までの常識が明日には通じなくなっている・・・そんなのが当たり前の世界(と言っても、実際そんなケースはあったのだろうか?)。

しかし今日の日本のデジタル事情と言えば
「パスワードに生年月日やお名前はいれないように」
「机の周りにパスワードを手書きで残さないように」
「パスワードは半角記号数字で」

デジタルデバイドとか情報弱者などと都合の良い言葉で堕落と退廃を賛美する日本(今時手入力の暗証番号より簡易的な指紋認証をどこでも標準化してほしいものだ)。

義務教育課程の学生にクロームブックを配布(という名の有償貸与だったり販売だったり)したものの、教員は使い慣れておらず、某県教育委員会はグーグルメールに文句をつけたり、子供たちのいじめの温床になっていたり・・・これが日本政府の推し進めるIT教育とは呆れて物も言えない。

これらを今日も飯のタネとして嬉々として茶化して報道するメディア。それらに乗せられてストレス発散に勤しむ反デジタル高齢者。

愚か、あまりにも愚かではないか?

今や社会のインフラどころか日常の市場や物流、生産、娯楽・・・あらゆるものがITテクノロジーで動いている。そこに一々水を差して茶化し、
「やはりデジタルはダメ!昔の日本がよかった!」
「子供はスマホ、パソコン禁止!」
一体日本人は何をどうしたいのか?

それもまた『時代感』を持てない以上は何も考えておらず、その日暮らしの感情論だけで一喜一憂・・・それが彼らの平和という姿なのだろう。


■結論:時代を見据えない国はつまらない
「今の最先端技術とは何だろうか?」
「今求められているイノベーションとは何だろうか?」

筆者的には、今何が必要か、何が需要あるのか、それよりも楽しく考えられる方法がある。

それは

『こんなのがあれば面白そう』

たったこれだけである。

小難しい事や技術面よりも、完成図をイメージする方が楽しいに決まっている。なぜなら人々が欲しているのは完成品であって使われている技術にはあまり興味がない。

筆者が必要なソフトやアプリを作る際にも大前提にあったのは「完成品のイメージ」だ。

・この機能をつけたい
・この機能があればいい
・これらの機能を使いやすい画面はこうだ
外堀から固めていき、内側を合わせていく。つまり内部設計からではなく、外部設計から始めていく(ソフトウェア開発現場では当然の話)。

自分で設計し、自分で実装する分には一番楽だし効率的だ。もし後から仕様を変えたくなったら面倒になるが、そうならないためにも「小さく簡単に」を心がければいい。

とにかく自分が「これがほしい」「これがあればいい」を意識すれば、自ずと形が見えてくるし、もしかしたら他の人にも需要があるかもしれない。

『他の人にも需要があるかもしれない』

これがイノベーションの第一歩と筆者は考える。

しかし日本がガラパゴス製品ばかりを生むのはこの考え方がないからであり、総じて日本製品の魅力の無さにつながっているように感じる。

DX(デジタル・トランスフォーメーション)において重要なのはUX(ユーザーエクスペリエンス)であり、つまり利用者ファースト主義であるが、やはり日本製品に反映されていない。

『自社のパテントで』
『自社の強みで』
『自社の得意な手法で』
結果、自社の都合によってできた製品はUXを満足させることができるか否か?・・・言うまでもない。

今は正にDXの時代。いや、DXが追い付いてきたと言える。

生産者目線ではなく利用者目線。しかし日本が変化するのはいつになるのか、そもそも変化できるのか?

「我々がなぜ変わる必要がある?我々は日本にそびえ立つ巨大企業である。我々こそが日本を導くのだ!お前たちは我々に従って我々の製品を使っていればいいのだ!」

・・・そりゃあつまらない国にもなる。



■後記
今回の記事はかなり長くなってしまった。

「つまらない」という主観的な表現をどうにかして理屈付けして伝えるのが本記事の目的だったが、主観的な表現である以上どうしても『グダる』のだ。

・変わらない
・保守的
・前例踏襲

伝統は確かに大事だが、これを競争原理に当てはめてしまっているのが日本であり、大企業病の原因でもある。

WWII戦後、多くの企業が戦後復興に合わせて、または勃興した。

今や音楽はスマートフォンで聞くのが当たり前。しかしスマホ(で音楽サービス)が登場するまでは
・生演奏
・蓄音機(レコード)
・カセットテープ
・CD
・MD
・MP3プレイヤー
・ガラケー
・・・と変遷してきた。

その変遷期に大きく関わってきたのがソニーのウォークマン(Walkman)だ。小型携帯できるミュージックプレイヤーとしてカセットテープ~MP3プレイヤーまでの一時代を築いた。

現在の若年者はCDやDVDを見ても何をするものなのかわからないとか・・・VHSやレコードなら尚更だ。

しかしこれが時代というものだ。

始めは主機能、そして小型へ、大容量へ。

今はスマートフォンという小型携帯端末で大抵のデバイス機能は何でも使える。

日本はガラケーでこそ世界を圧倒できたが、スマートフォン(iPhone)には多機能性を供するためのOSと汎用性が備わっていた。

日本は1980年代、TRONという独自の汎用OSを開発していた。

例の日航機墜落事故と因縁のある話だが、あれでパソコン市場のOSはWindows一色になったと言われている(iMACはニッチながらコアなユーザーがいる)。

しかし現在使用されているコンピュータはパソコンよりも組み込みコンピューター、即ち自販機や改札、工場の機械やドローン等に直接使用されているコンピュータだ。

そのOSはなんとTRONだ。日本のメディアは一切報道しないが、身の回りにある機械を動かしているのはWindowsばかりではなくむしろTRONだ。
(過去、街中の自販機や大型ディスプレイにエラーでWindowsXPや2000と表示されていた。そいつらはwindowsOSで動いていた)

日本でOSが作れないわけではない。

「OSはとても高度な技術が必要で日本では作れない」

浅はかな『センモンカ』と呼ばれる生物の意見だ。多分彼の身の回りの機械は全てWindows系で動いていると思っているのだろう。

確かに日本にスティーブ・ジョブズ氏はいない(もう亡くなっているのだから当然)。ただ天才とよばれるような人間は案外どこにでもいると思う。それこそ居酒屋なり、ラーメン屋なり、ゲーセン(絶滅危惧店舗)なり・・・。

問題は『日本に天才がいない』状況が彼らにとって好ましいと言える社会であることだ。社会主義国家に天才がいれば為政者にとって邪魔でしかないからだ。

我々はまず知らねばならない、多くの事実を、身の回りにあるものの正体を。

もしかしたら、世の中にはひとつくらい『面白い事』が転がっているかもしれない。

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