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身体に刻む ということ

私の身体にはたくさんのタトゥーがある。
同年代では偏見がなくなり手軽に彫れるものになってきた(正直それはそれでちょっと思うところはある)

ファーストタトゥーは自分への戒めみたいなものだった。
彫らなくても忘れないけど、記憶にはあっても常日頃からずっと同じことを考えているわけではないので、ふとしたときにそれを見て思い出せたらいいな と思う。
私の、責任で覚悟で戒めで愛みたいなもの。

20歳の頃、職場の店長にタトゥーのことを聞かれたので話したことがある。彫った経緯はかなり重い話だったので私としても勇気のいることだった。
返ってきた言葉は、
「大事なことは刻まなくても忘れない、一生消えないんだよ?」だった。
知っている。そんなことは知っていて入れている。
否定されたみたいで涙がとまらなかった。
悪気はないと思う。
きっと大人としての世間一般的な意見かもしれない。
だだ、私にとっては他人に否定されていいものではない。私の身体で私の人生なのだから。

それ以降他人のタトゥーを見ても軽々しく意味を聞くことはしない。もちろんオシャレで入れている人もいる。でもそうじゃないものもきっとある。

私の身体に刻まれたものたちはどれも意味がある。
それがいいとか悪いとかではないが、だからこそ自分の身体を愛せる。
みんなも好きな服着てる日の自分はなんか強くなった気がしない?
お気に入りのリップにキラキラのアイシャドウ、綺麗に上がったまつ毛、一日を頑張るモチベーションにならない?

「自分のことを愛せるかどうか」は人生においてとても大事だと思う。全ては自己愛の元にある、と。

TPOに合わせて隠すこともあるけど、本当はそれも含めて私なので…と思う。わざわざ隠してるときの自分はなんかちょっと面白くないなと思う。タトゥーが怖いという価値観はそろそろ古いのでは、、、?

タトゥーがはいっていても、ピアスがあいていても、髪色が派手でも、服装が派手でも、私はそこらへんの落ち着いた服装をしている人達よりも愛に長けているよ❕と声を大にして言いたい。
正直、いい大学を出て、中小企業に就職して毎日スーツを着て死んだ目で満員電車に乗るような人よりも修羅くぐって好き勝手生きてる私の方が思考出来るしでっっっかい愛を持っていると思う(これは完全に主観です、すみません)

こういう見た目をしていると、不便なことないですか?とか痛いですか?とか働けますか?とか聞かれるけどやりたいならそれでもやったらいい!に尽きる。不便ならやめとこう…と思うのならその程度です。人の目きにするよりも自分の好きな自分で生きたらいいよ、もっと。
それで自分のことを今以上に愛せるなら幸せなのでは?

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