『「介護もしないうちから偉そうにするな(笑)」(2017/10/02 日経ビジネスオンライン)』での対談を読んでの感想です。

 日本人は、エニアグラムのタイプ6の性格タイプと言われています。
 タイプ6は、未知や混沌といったもの、予測不可能なものが嫌いです。

 そんな日本人にとって、介護というものは、他の性格タイプ以上に、ストレスのかかるものになることが、対談を読むと想像できます。
 ただ、一方で、タイプ6は家族思いでもあります。
 日本においての介護とは、ストレスに感じつつも、家族が大切なので逃げられない、そこが大きな問題なのだと思います。

 以下、対談の抜粋です。

平川:(略)疫学者の三砂ちづるさんに言わせると、「下の世話をしていない介護は介護じゃない」そうですが、僕もやっぱり下の世話が始まったときからが格闘の始まりでした。
(中略)
 介護の最中、親の病室を出て、病院から出るとそこに呑川があって、川の上に立って、タバコでも吸いながら川をずっと見ていると「いったいこの日々はあとどれだけ続くんだろうか」と、呆然とする気持ちになるんですね。
(中略)
考えてみると、我々は人生の中で、「まったく予定の立たないこと」をする経験が基本、ないわけですよ。何らかの計画が立てられて、自分でもある程度制御できるのが当たり前で。ところが、親の介護、まったくあれだけはコントロール不能で、明日何が起こるか、全然分からない。
(中略)
―――しかも、状況が改善することは基本的には……
平川・松浦 ない。
松浦:(略)変な話ですけど、やっている最中に思ったのは、「これを辛いと思ったら、世の多くの女性の皆さんにこっぴどく叱られるな」ということでした。ただ、介護の場合、その積み重ね方がやっぱり半端ではない。
(中略)
一つひとつはたいしたことはない。ただし、それが延々と続いていく間に、老化と病状の進行で徐々に負荷が増し、手間がかかり、気が重くなるようになっていって、しかも終わりがなくて、ふと1日を振り返ってみると、「え、こんなにやったの」というぐらいの量になって積み重なっているという。

 今の日本は、介護の公的支援が比較的充実しているようです。
 ただ一方で、医療費削減の動きがすでにあり、
 また、
自民党の改憲案・第24条にある
「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」
のように、「その苦労は家族だけで負担してね」という動きもあります。

 悪い予想を言えば、こうなると、自分たちの安心・安全・安定"だけ"を守る動きが出てきて、未知や混沌の押し付け合いが起きる。つまり、親もしくは、祖父母の負担について、家族内での押し付け合いが起こる可能性がでてきます(え?今の時点で起こってる? なら、それが激化するでしょう)。


 ここから、話が脇道に入ります。

 死に方は、人によっても違うようです。

平川:いやいや、それもどの年代に生まれたかということにすごく関係があると思います。内田樹のお父さんがそうだったんですね。最後は自分で絶食して、そのまますっと亡くなった。

というのがあるかと思えば、

自分で自分の首を絞める高齢者差別(2017/08/17 和田秀樹 日経ビジネスオンライン)』にあるように、

しかしながら、実際の医療の現場にいると、意外に寝たきりの高齢者でも、医療をありがたがって受ける人が多い。以前、何かの番組で北野武さんとご一緒していたときに、休憩時間に「先生、寝たきりになってまで生きていたくないというのは嘘だよな」と話しかけられたのを今でも鮮明に覚えている。「うちのババアは『たけし、寝たきりになったら殺しておくれ』と言っていたのに、いざ寝たきりになると「たけし、医者に包んでいるか?」と言うもんな」と冗談めかして言われたのが当時の私の実感とフィットしたからだ。

 普通に考えると、安心・安全・安定を求め、判断が嫌いなタイプ6社会の住人が、自分から死ぬなんて判断をするとは思えません。ですから、多くの日本人は、介護が必要になっても、そのまま生きていきます。そして、その数は当分増えます。これが、日本の近未来の姿です。

 たぶん、怖いものが嫌いなタイプ6日本人は、介護する側もされる側も、この問題に直面するまでは、怖いものを見ないことにして、生活していくのでしょう。
 そして、その問題に直面して、はじめて、急に騒ぎ出したり、慌て出すのだと想像しています。
 つまり、ここでも日本は、「いつものパターン」におちいると私は見ているのです。

参考
人は誰しも障害者になる

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