なぜ、日本社会で“わたし”の経験が大きく語られるのか?

読んだことの無い本なのですが、
『「学力」の経済学(中室 牧子)』という本の中では、
教育をデータに基づき経済学的な手法で分析して提言を行っているようです。

そして、その本の項目には、
「少人数学級には効果があるが、費用対効果は低い」
とか、
「目の前の定期試験のために、部活や生徒会などをやめさせることには慎重であるべき」
とかあって、
そういった中に、
「他人の子育て成功体験を真似しても自分の子どももうまくいく保証はない」
という項目があるようです。

最後の項目は、言われてみれば、当たり前にも見えます。
でも、そういった「子育て経験」を書いた本は多いですよね。


そこで、今回は、
「なぜ、日本社会で“わたし”の経験が大きく語られるのか?」
を取り上げることにしました。

日本社会では、“わたし”の経験が大きく語られる傾向があります。
成功者の経験、子育ての経験、子供を良い大学に入れた経験、
そういった本も出ていて、一定数売れているようです。

そして、あちらこちらで、「私の経験」が語られます。

「私はこうしてきた」「俺はこれで上手くいった」

日本は、エニアグラムのタイプ6社会です。
タイプ6は、安心・安全・安定を求めます。そして、安心・安全・安定が損なわれる「混沌」や「未知」を嫌い、「混沌」や「未知」の反対の「既知」を大切にします。

この性格タイプの説明を読めば、「私の経験」が語られる理由も分かると思います。
つまり、「私の経験」とは、「成功事例」という「既知」になるので、それが語られるのも許され、人々もそれを求めるのです。

安心・安全・安定を求めるタイプ6は「怖がり」です。
「石橋を叩いて渡る」性格タイプです。
そんなタイプ6にとって、「私の経験」とは、「橋を渡ったという事実」になります。ですから、その「既知」をありがたがり、右へ倣えで、「自分も橋を渡ろう」「真似よう」とするのです。

野球の野茂英雄選手がメジャーリーグに行った後に、日本人選手が続いたのも、野茂選手が「橋を渡ったという事実」がきっかけになり、「自分も橋を渡ろう」となったわけです。

こういった、「橋を渡ったという事実」を重要視する傾向は、日本の企業においても同じです。

日本企業はクリエイティブになれるのか?
質問を拒む風土が組織を狂わせる(日経ビジネスオンライン)

では、
デザイン・コンサルティング会社IDEO Tokyoの代表であるダヴィデ・アニェッリ氏
が、こう発言しています。

 日本では、「それがうまくいくという証拠を見せてくれ」と必ずクライアントに聞かれます。ですから、組織を変えるためには、成功例を生み出す状況を作ることがまず重要なのです。

「石橋を叩いて渡る」、怖がりなタイプ6日本では、とにもかくにも「橋を渡ったという事実」が重要になってしまうのです。

ですから、橋を渡った「私の経験」が、尊ばれることになります。
たとえそれが、確率的な出来事であったとしてもです。

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