相撲協会について考えさせられた 「たった一つの評価軸」問題

そもそも相撲界って、中学を卒業したぐらいから入門するから、社会経験がゼロみたいな人たちだらけなんですよね。
その猿山社会が、そのまんま協会の理事長や理事に横滑りするんですよ。大横綱だった人が理事長、大関が理事って具合に、番付そのままにマネジメント機関の地位が決まっていく。あいつは前頭止まりだったから、理事はここまででしょうと、全部連動しているんですよ。
実は競技でトップに立っちゃう人というのは、ある意味、視野の狭い人ですからね。それこそ、余人の追随を許さぬほど、その道に精進したわけだから。
そういう人は、そりゃマネジメントには向いていないですよ。

より

この記事を読んで、相撲協会について考えさせられました。

日本の国民性だと言われているエニアグラムのタイプ6には一択癖があるんですよね。
だから、価値観も一択になりやすい傾向があるのです。

何が言いたいのかというと、相撲協会において、現役時代の強さと、引退してからの地位を別尺度にできるのか? 二つの価値観(評価軸)を取入れることができるのか? と言えば、難しいだろうということです。


こういった「たった一つの評価軸」問題は、相撲協会以外でもあると思います。

2019/01/01追記
以前に『功ある者には禄を与えよ、徳ある者には地位を与えよ(エニア話ではないです 今日は選挙なので・・・)』という文章を書いていたのを忘れていました。

相撲においても、
横綱という功績は、禄(お金)で評価して、
相撲協会理事という地位には、それまでの功績とは別に、徳のある人を選んだほうが良いと思います。

こういう言葉が残っているのは、
放っておけば、功ある者に禄だけでなく地位までも与えてしまうタイプ6社会に対する戒めが必要だからなのかも知れません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?