タイプ4とタイプ9の違い

エニアグラムのタイプ4は、『芸術家(ドン・リチャード・リソ)』『夢想家(ヘレン・パーマー/レニー・バロン&エリザベス・ウエイゲル)』とも言われる性格タイプ、
エニアグラムのタイプ9は、『調停者(ドン・リチャード・リソ/レニー・バロン&エリザベス・ウエイゲル)』『仲介者(ヘレン・パーマー)』とも言われる性格タイプです。

それで、この両者の違いを書いてみたいと思います。
私は、自分のことをタイプ9と語る、(私から見ると)タイプ4に会ったことがありません。
でも、自分のことをタイプ4と語る、(私から見ると)タイプ9に会ったことは複数あります。

タイプ4がタイプ9的な社交性を発揮することはあまりありません。
基本が自分の 自分軸なんで、タイプ9ほど自分を周りと調和させないのです。
もちろん、タイプ4でも協調性があって、しゃべりも上手くて、コミュニケーション能力がある人もいます。4ウイング3が特にそうなります。でもそれは、タイプ3の力を使ったコミュニケーション能力です。

タイプ4は「切る人」でもあります。だから、自分から相手との関係を「切る」ことがあります。
何かあったときに、「つなげる」よりも「切る」ほうが楽なのです。
これは、何も深刻な事態での話でもなく、日常の中、ちょっとしたストレスで、カジュアルに「切る」方向にいくことがあります。

昔、タイプ4のAさんがこんなことを言っていました。
「友達からメールが来ないの」
「仲の良い友達からメールが来ないの」
「いつもは、すごくメールでやりとりしてるの」
「すごく気になるの」
「すごく気にしてるの」
「でも私からは絶対メールしないの」
「すごく気にしているのだけど、私からは絶対メールしないの」
「メールが来るのを待ってるの」

まあ、このような感じです。

だから、「つなげる人」のタイプ2がタイプ4にとって必要な人になるのかも知れません(タイプ2はタイプ4の「分裂の方向」の人です)。
ちょっとでもストレスがかかるとタイプ4は「切る」方向に動きがちです。


このような「切る」動きや心理はタイプ9には無縁でしょう。

ではなぜ、タイプ9が、自分をタイプ4だと間違えるのか?
ここ最近使っているリソ&ハドソンの段階の記述から引き出せば、
タイプ9の段階4に「感傷的」「他人を理想化する」「哲学者ぶる」、段階5に「遊離した」「とりとめのない空想」があって、このあたりで、自分をタイプ4に思うのかも知れません。
自分の世界に入るタイプ9さん、確かにいます。

その上で、私はここにもう一つ言葉を追加したいと思っています。
段階の記述にはありませんでしたが、タイプ9を表す言葉に「喪失」があると、私はとらえています。

周りとの良好な関係性が好きな『調停者』のタイプ9にとって「喪失」は大きなストレスとなります。
「喪失」とは「人との別れから来るストレス」を指しています。これは「失恋」であったり、「死別」であったりします。
タイプ9にとって、これらは、自身が求める良好な関係が断たれた(もしくは、こわれた)状態です。
当人は避けたいものなのですが、自分ではどうしようもないものです。

タイプ9にとっての「喪失」は、ストレスであり、心の傷です。
このときの心の在り様をタイプ9は、タイプ4としてとらえているのではないか?と、私は思っています。



追記
リソ&ハドソンの『鉛の法則』(他人が自分の根源的欲求を満たしてくれない時の対応)のタイプ9に、

人とのつながりの喪失に苦しむことを恐れるため、タイプ9は、さまざまな方法で「関心を示さなくなる」ことにより、自分とのつながりを失ったと人に感じさせる。

とあって、「喪失」がありました。
さすが、リソ&ハドソンといったところです。

本を読まずに、他人の書いたリソ・ハドのまとめから、単語を探していると、こうした見落としが起こってしまいますね。便利で、引用コピペが楽なので、やってしまいがちとなるのですが。。

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