タイプ6のレベル3の記述から

この段階3(=レベル3)までが、健全なタイプ6の状態です。
ただ、タイプ6の国、日本において、健全なタイプ6を示す日本人は、ほとんど見かけなくなってきています。

段階3

健全なタイプ6はまた、自分が創業したり入社した企業に平等主義や共同体福祉への強力な理念を持ち込んで、その発展を助ける。(略)自分の安全は雇用されている場や社会共同体の福利に大きく依存していることを理解している。したがって、他者と力を合わせて働いて、社会共同体を安定させ健全にしている組織や制度を守る。地方の政治問題に関与することも多く、学校理事会とか、自分たちの町や集合住宅ビルの改善のための委員会などに加わったりする。(略)同様に、タイプ6は、いろいろなレベルで政治に関心を示すことが多いが、それは必ずしも国政レベルというのではなく、少なくとも自分の職業か地方共同体での範囲に止まる。自分のことを仕事場での世話役や事務長と考えていることが多く、自分を守り、落ち着きを保たせてもらえるように、自分ができることをしたいと思う。

「健全なタイプ6はまた、自分が創業したり入社した企業に平等主義や共同体福祉への強力な理念を持ち込んで、その発展を助ける」
これで思い出したのが、
『小熊英二さん「もうもたない!? 社会のしくみを変えるには」|平成 -次代への道標|NHK NEWS WEB』
https://www3.nhk.or.jp/news/special/heisei/interview/interview_08.html
で語られていたエピソードです。

戦前の日本の社会は1つの企業の中でも階級差や身分差がはっきりある社会でした。エリートで学歴の高い、ホワイトカラーの事務系の正社員と、学歴の低い現場の作業員で、身分差別ともいえる格差がありました。
それが戦後の民主化運動の中で、労働組合は「同じ企業の中の労働者はみんな平等であること」を望み、交渉の結果それが実現していきました。それまで一部のエリートだけに適用されていた、「終身雇用」や「年功序列の賃金システム」、そして「新卒一括採用」も、同じ企業の社員には全員に適用されるように拡大していったわけです。

一つの企業の内部ではある程度の「社員の平等」が達成された

日本のしくみだと、階級や階層の格差を自覚するのが難しい。アメリカやヨーロッパ、あるいはインドの企業だと、ホワイトカラーとブルーカラーの差は画然としていて、同じ会社の中に階層差があるのがはっきりわかります。日本だと、同じ会社の中ではそれが見えにくい。実際に統計を取ってみると、日本でも格差、たとえば企業間賃金格差や地域間格差があるのですが、一つの社内で生きているとそれが自覚できない。企業というコミュニティーを1歩出ると格差があるわけですが、同じコミュニティーの中でぐるぐる回っている限りはみんな平等にみえます。

日本の雇用慣行は、基本的には新卒一括採用で、社内での経験に応じて、社内でしか通用しないランクで格付けされて出世していくというシステムです。どこの大学を出たかという意味での学歴は、会社に入る時点では重要だけれど、その後は「社内のがんばり」の方が重要になります。いったん同じ会社に入ってしまえば、あとはどれだけ陰日向なく働くかまで含めて、ちゃんと上司が見てくれて評価してくれる。それが日本の労働者の望みだったのだと思いますよ。

経済学者の遠藤公嗣さんが「役職位と学歴にかかわらない企業内の平等処遇が、日本の労働者が理解した戦後民主主義であった」(※ 出典:遠藤公嗣『日本の人事査定』1999.5)と述べています。日本の労働者は、出身と学歴によって差別されないことを望み、実際にそういう会社を作っていったわけです。もちろんその処遇の平等性は、全社会的なものではなくて、個々の会社の内部でしか通用しないものでしたが。

小熊英二さんは、「一つの企業の内部」「同じコミュニティーの中でぐるぐる回っている限りはみんな平等」「その処遇の平等性は、全社会的なものではなくて、個々の会社の内部でしか通用しないもの」と語っていますが、
これはタイプ6の記述の「少なくとも自分の職業か地方共同体での範囲に止まる」と一致したものです。
その上で、「自分が創業したり入社した企業に平等主義や共同体福祉への強力な理念を持ち込んで、その発展を助ける」ことを高度成長期のタイプ6日本人はしてきたわけです。

日本が右肩上がりで、今日より明日が輝いていた時代には、少なくとも大企業ではリソ&ハドソンの言うところのレベル3あたりの動きがあったようです。


同時に、しかも同じ理由から、健全なタイプ6は、自分のまわりで何か不適切なことが起きていることを感じ取ったり、自分が関与している組織の中で他者が力を悪用していることを察知したりすれば、怖れずに疑問を提起する。不正に反対することに支援を呼びかけたり、共同体や環境に潜む問題について他者に情報を流したりすることに努力する。

さきほど、この状態のタイプ6をほとんど見かけなくなったと書きましたが、
『イオンリテール株式会社はサービス残業が横行する化け物みたいな会社|はてな匿名ダイアリー』
https://anond.hatelabo.jp/20220111032158
を書いた人は、もしかすると、この段階に該当するのかも知れません。「共同体や環境に潜む問題について他者に情報を流したりすることに努力」しているのからです。
でも、ただの不満表明であれば、もっと下のレベルになりますね。
これが組織内で動いていたら満点で「健全なタイプ6」と言えるのですが、それを求めるのは酷な気もしています。


家族は「友人仲間」であってもかまわない。家族というのは、実質上は、タイプ6が求めている感情面での支持と安定の象徴である。自分が頼ることのできる人を持ちたいのであるし、その人に無条件で受け入れられてもらい、自分が属していられる場を持ちたい。家族や友人と固い絆を持つことができれば、自分は一人ではないと感じていられる。他者に献身すれば、見捨てられる怖れは小さくなる。

これで状態が良くなってくと、その「友人仲間」が無限に広がっていき、「人類皆兄弟」のようになっていくのでしょう。

タイプ6・レベル3の話でした。

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