新型コロナでMIS-C(ミスク)という概念が欧米から入ってきて思ったこと

MIS-C(ミスク https://ejje.weblio.jp/content/mis-c)は、新型コロナの感染が世界的に拡大して以降、初めて確認されました。

特に欧米で、感染の数週間後、発熱やおう吐、目の痛みを訴える子どもが相次ぎ、当初は原因不明の病気とさえいわれていました。

その後の研究で明らかになった代表的な症状は、次のとおりです。
▽発熱
▽おう吐
▽腹痛・下痢
▽目の痛み・充血
適切な治療をしないと、心臓など複数の臓器の働きが悪くなることも

アメリカのCDC=疾病対策センターによりますと、去年11月末までにMIS-Cと診断された子どもは全米で9000人あまり。亡くなった子どもは74人に上ります。

MIS-Cの子どもは、日本にもかなりいるのではないか。
松原医師をはじめとする専門医でつくるグループは、約2000の医療機関を対象に初めて全国調査を実施。その結果、少なくとも全国で64人がMIS-Cと診断されていたことがわかりました。

さらに、全国調査の過程では、現場の医療機関に戸惑いがあることもわかりました。
それは、MIS-Cの診断の難しさです。
原因不明の乳幼児の病気「川崎病」と区別がつかないというのです。

実は、MIS-Cか川崎病かを診断する難しさは、日本特有の問題ともいえます。
川崎病は、欧米にくらべ、日本を含むアジアで患者が多いからです。

正しく診断をつけなければ、適切な治療につながらないおそれもあります。
MIS-Cと川崎病では、治療に使われる薬が違うこともあるためです。
こうした状況を受け、全国調査を行った松原医師たち専門医のグループは、MIS-Cのわかりやすい診断基準の作成に向けた取り組みを始めています。

読んでいて思ったのは、例えば新型コロナワクチン死亡者の話が出ると、未知と混沌を嫌う日本では「大丈夫」で蓋をする傾向があり、その問題と真摯に向き合うことから逃げがちだということ。

そんな日本で、もしも世界に先駆けてMIS-Cに出会った医師がいたとして、新しい概念を作ることができたのだろうか?という疑問です。

外から「正解」として新しい概念をコピーしてもってくることはタイプ6なら得意です。そして、それを受け入れるためにいろいろと行動することもできます。

つまりタイプ6な日本は、「ゼロから1を作ることは苦手」
でも「(コピーしてきた正解である)1を10なり100にすることは得意」
ということです。

こういったものはお国柄なのかも知れません。

もちろん日本は川崎病という概念を作っています。
これは個人の資質によるところが大きいでしょうが、それでも日本の中から新しい概念が出て来ています。
ただし、短期間で混沌の中から概念を取り出すことは失敗の可能性もあるのでタイプ6社会ならより慎重であることを求めるように思っています。

また、MIS-Cとよく似た症状としての川崎病があった場合に、前例踏襲で同じものとする動きがタイプ6日本には出てきます。
「似ているけど違う」となると判断が必要になってくるので、何もない中、タイプ6な日本だけで川崎病と(新型コロナに関連した)MIS-Cの明確な違いを打ち出すのは特に短期間だと難しかったと想像します。


ウィキペディアより

川崎 富作(かわさき とみさく、1925年〈大正14年〉2月7日 - 2020年〈令和2年〉6月5日)は、日本の医師。医学博士。専門は小児科臨床。川崎病の発見者として知られる。

東京府東京市浅草区浅草出身。 1948年(昭和23年)に、千葉医科大学臨時附属医学専門部(現在の千葉大学医学部)を卒業。

1961年(昭和36年)1月に、診察を受け持った4歳児の未知の疾患に遭遇した。翌1962年、非猩紅熱性落屑症候群の名前で千葉県小児科学会で報告、さらに1967年に自験50例をまとめた論文を雑誌『アレルギー』に発表し、注目を浴びた。

最初は単純な疾患と考えられたが、病理学的に冠動脈に動脈瘤が見られ、死亡例も多かったので、川崎病(Kawasaki disease)が定着した。1970年に厚生省が組織した川崎病研究班に参加。1990年(平成2年)に日赤医療センターを定年退職。川崎病に関する情報を収集・発信する日本川崎病研究センター理事長。東京都台東区に「川崎富作小児科診療室」を開く。久留米大学客員教授。

2013年(平成25年)に小児科外来医を引退。理由は、90歳近くなり、足腰に衰えが出て来たためという。

この中の「最初は単純な疾患と考えられた」の部分。これはタイプ6が未知や混沌に出会った際の拒否反応である「大丈夫」や「矮小化」であった可能性があります。

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