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「能率」という言葉で思ったこと

新聞の読書欄で、教育社会学者の本田由紀氏が
『「能率」の共同体』(新倉貴仁)という本を取り上げていました。

  大正デモクラシ—が興隆した20年代には、文化住宅や文化包丁など「文化」といろ概念が前景化し、その中核にあったのは生活や生産の「能率」を上げることの重要性だった。満州事変後から40年代の戦時期にかけて進んでいたのは、国土、身体、労働、経営体などのすべてを国防や戦争遂行に向けて再編・動員する動きであったが、ここでも目標とされていたのは「能率」であった。獄死した反体制思想家らも、同じ語彙で社会と人間を論じていた。
 複雑な論点を含む歯ごたえのある本書を、ここで要約することは難しい。そして歯ごたえがある本こそ読む価値がある。

要約が難しい本だそうなので、私が読んだら何も感想が書けないような気がしています。
それで、「能率」という単語のみに反応して言えば、この言葉はエニアグラムのタイプ3的です。

そして、日本がタイプ6の国民性だとすると、タイプ3は分裂の方向にあたります。
ストレスがかかると分裂の方向の性格タイプが顔を出すことを考えると、大正デモクラシ—が興隆した20年代といえどもストレスがかかっていたのかな?と、そのような感想を、この「能率」という単語から思ったのでした。

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