「再チャレンジ」で思ったこと

進学校に通い、1億もの金が統一教会に流れ、大学にも行けず、資格は取ったものの、底辺から脱出できず、それで後に統一教会を標的に銃まで作成した山上容疑者が、もしも底辺から脱出できて家庭を持てていたなら、統一教会への恨みは晴れずとも、襲撃まではいたらなかったのではないか?とは思う。

ウィキペディアで「再チャレンジ」の説明を見ると安倍元首相の名が出てくる。

この「再チャレンジ」可能な社会を安倍元首相が作っていたならば、山上も罪を犯すこともなかったかも知れないと思うと、なんだか複雑な気持ちとなっている。

例えば、女性の社会進出において、子育ては、出世の道から外れることを意味している。職場復帰や職業復帰も難しかったりする(らしい)。
こういったものも広義の「再チャレンジ」となる。これが解決されれば少子化対策にも少しは良い影響を与えるだろう。

結局、各々の安心・安全・安定が確保されないと、日本においては、起業も再チャレンジも、子育て問題も、その他諸々解決されないのだろうな、とは思う。

そしてときどき日本の安心・安全・安定からこぼれ落ちた者が、こぼれ落ちて、安心でも安全でも安定でもない恨みから事件を起こしているのが日本の現状なのだろうな、とも思う。

だけどこれは、日本が安心・安全・安定だった時代に、それに慢心して将来への対応を怠った面もあるのが辛いところだ。地方に1億を配っていたそんな政治を批判もせずに放っておいた先に現在の日本がある。

少しずつ大きくなっていく問題の風船を誰も受け止めることなく、次の世代に渡そうとしているのは、昔からであり、今でもそうで。

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