ポーランドの女性詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカ

朝日新聞・折々のことば より

絶えず自分に対して「わたしは知らない」と繰り返していかなければなりません。
ヴィスワヴァ・シンボルスカ


「問題が一つ解決されると、そこから無数の新たな疑問がわき出してくる」、それが思考のいのちだと、ポーランドの女性詩人は言う。詩においても、人は最終行を書き終えるやたちまち「ためらいの感情」に襲われる。自己に慢心しないこの一連の不満のしるしを、のちに文学史家が「著作」と呼ぶのだと。

ノーべル文学賞記念講演(沼野充義訳、『終わりと始まり』所収)から。

折々のことば 鷲田清一 2575

「無数の新たな疑問がわき出してくる」のはエニアグラムの『思考者』タイプ5的。
「ためらいの感情」は『芸術家』タイプ4的。


ここで人物紹介です。

ヴィスワヴァ・シンボルスカ(ポーランド語: Maria Wisława Anna Szymborska, 1923年7月2日 - 2012年2月1日)はポーランドの詩人、随筆家、翻訳家。1996年のノーベル文学賞他様々な賞を受賞。亡くなるまで、彼女は存命中の最も偉大なポーランドの詩人だと考えられていた。

スウェーデン・アカデミーのノーベル委員会はシンボルスカを、「詩歌のモーツァルト」、「言葉のエレガンスとベートーヴェンの激情とを調和させつつ、深刻な主題にユーモアをもって取り組む女性」と評している。

シンボルスカの詩はその知的な自己反省、はっきりとした哲学的な文章の根底の意味、スタイル、的確な言葉の選び方によって評価されている。シンボルスカはよく特定の強調のために皮肉、パラドックス、矛盾、控えめな話し方またはユーモラスな距離を用いる。彼女の詩はよく倫理移入の問題へ触れ、人間社会の一部としてだけでなく個としての人について考える。彼女は決して特定の流行や詩の流派と一緒になることはなかった。作品の数は比較的少なく、発表された詩は250に満たない。人としては彼女は内気の一歩手前まで控えめであるとしばしば言われる。また、シンボルスカはフランスの文学作品、特にバロック時代の詩とアグリッパ・ドービニェの翻訳も行なった。ポーランドで彼女の本は著名な散文の著者の作品に匹敵する売行きを見せているが、Niektorzy lubią poezje(「多少は詩を好む」)と題された詩のなかで彼女は、「私の詩集など1,000人中2人も買いやしない」とおどけている。

「ユーモラス」「おどけている」は、タイプ5を連想させますが、彼女の他の名言などを読むとタイプ4な感じもしました。
今回は、あえて判別することはいたしません。



彼女のことをもっと知りたいと思ったのでネットで少し調べてみました。

ヴィスワヴァ・シンボルスカの名言

世界は残酷なところだが、他にもっと思いやりを持った人達を持つにも値する。

全ての始まりはつまるところ、ただの連続で、出来事という名の本はいつも半分開いたままだ。

『未来』という言葉を口にする時、その初めの音はもう過去のものになっている。

真実の愛を決して見つけられない人達には、そんなものなど存在しないと言わせておけばよい。彼らのその信念が彼らの人生を生きやすく、また死にやすくしてくれるだろう。

私は、詩を書かないというばからしさよりも詩を書くばからしさの方を好む。

『一目惚れ』

突然の感情によって結ばれたと
二人とも信じ込んでいる
そう確信できることは美しい
でも確信できないことはもっと美しい

以前知りあっていなかった以上
二人の間には何もなかったはず、というわけ
それでもひょっとしたら、通りや、階段や、廊下で
すれ違ったことはなかったかしら

二人にこう聞いてみたい
いつか回転ドアで顔を突きあわせたことを
覚えていませんか?
人ごみのなかの「すみません」は?
受話器に響いた「違います」という声は?
── でも二人の答はわかっている
いいえ、覚えていませんね

もう長いこと自分たちが偶然に
もてあそばれてきたと知ったら
二人はとてもびっくりするだろう
二人の運命に取ってかわろうなどとは
まだすっかり腹を決めていないうちから
偶然は二人を近づけたり、遠ざけたり
行く手をさえぎったり
くすくす笑いを押し殺しながら
脇に飛びのいたりしてきた

しるしや合図はたしかにあった
たとえ読み取れないものだったとしても
三年前だったか
それとも先週のことか
木の葉が一枚、肩から肩へと
飛び移らなかっただろうか
何かがなくなり、見つかるということがあった
ひょっとしたら、それは子供のとき
茂みに消えたボールかもしれない

ドアの取っ手や呼び鈴に
一人の手が触れたあと、もう一人の手が
出会いの前に重ねられたこともあった
預かり所で手荷物が隣り合わせになったことも
そして、ある夜、同じ夢を見なかっただろうか
目覚めの後すぐにぼやけてしまったとしても

始まりはすべて
続きにすぎない
そして出来事の書はいつも
途中のページが開けられている

出典 : ヴィスワヴァ・シンボルスカ『終わりと始まり(訳:沼野充義)』


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