「日本人としての意識が強すぎない?」で思ったこと

エニアグラム視点での感想です。
「日本人」というくくりが強すぎる?|はてな匿名ダイアリー
において、

「日本って人口多いのに日本人としての意識が強すぎない?」ってアメリカ人に言われて答えに詰まった。中国人も「そうそう、そいういう国あまりないよね、都市国家みたい」って(略)

という話が出ていて何のことかと思って、その先を読んでいくと、

二人から話を聞くと、住んでいる都市によって法も違えば許されること許されないことが違うのは世界的には普通のことらしい。日本にも条例があると言い返してもそういうレベルではないらしい、日本でいう憲法だけが国全体で同じで法律は場所によって違うくらいの感じらしい。私が実家に帰っていいのかいけないのか国で決めて欲しいと愚痴っていたのはカルチャーショックだった、という。広い国に住んでいる二人からするとそういうことは国で決めることではないそうだ。「日本は狭いからね」と誤魔化すとそれも誤解で日本は長いのだからアメリカの北部と南部くらいの違いがあってもいいという。


「私が実家に帰っていいのかいけないのか国で決めて欲しいと愚痴っていた」
この部分に対する感想は、同じようなことを京都精華大サコ学長(アフリカ出身)が指摘しています。

『アフリカ出身・京都精華大サコ学長 コロナ問題でわかった「日本人のホンネ」 (2/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)』

興味深いのは、日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っていることです。

日本はエニアグラムのタイプ6の国だと言われています。
そして、通常の精神レベルのタイプ6は依存的だとされています。
ですから、「国からの発言を待っている」タイプ6は、通常のよくいるタイプ6としての動きとなります。

言われてみるとまず日本という単位でモノを考えることが染みついているのは正しいように思う。
アイデンティティが住んでいる土地より日本の優先順位が高いのだろう。

この発言には少し異論があります。

タイプ6の場合、
何か困ったことがあると、依存の連鎖が起きます。
地域で解決しそうになければ、国に頼ります。それで日本という国が前面に出ているのですが、
国で解決できそうになければ、世界もしくは海外もしくはアメリカにたよる動きが出てきます。より安定したところ(依存先)を探すということです。

これは、日本という国が何か政策を行おうとするときにも、同じ動きが見られたりします。
日本独自の動きがあってもいいところを、グローバルスタンダードなどと言って、世界に合わせようとします。悩むほど、迷うほどにこうなります。
タイプ6というものは、判断ができないほどに、より大きな依存先を探して、そこに依存するのです(というか、タイプ6は安心・安全・安定の外に自ら出て行く判断が嫌いです。だからこそ、安心・安全・安定を他所に探し依存的になるのです)。

※ 『AI教育重視の話から日本の人力飛行機の歴史を思い出した

そして、安心・安全・安定が好きなタイプ6日本人は、『一律(いちりつ)』を求めます。みんな同じことを求めます。これが行き過ぎると学校で茶髪の生徒の髪の色を黒に染めさせようとする動きとなります。

みんなが同じことに安定を見出しているのです。

だから、そんなタイプ6日本人は目立つことが嫌いです。皆と同じ、先頭でも末端でもなく、その中間を好みます。

※ 『伊藤祐靖の言葉から、日本の国民性な箇所を抜き出してみる

この文章へのコメントで面白いと思ったのは、「地域の独立性は、地方テレビ局の独自番組を見れば分かる」という意見でした。確かに、そういった面もあるとは思います。

ただ、本当に地域が独立していれば、福岡での外国語(の ひとつ)は韓国語であってもいいわけです。福岡以外であっても観光地であれば、中国語や韓国語が外国語であってもいいわけです。またブラジル人移民の多い地域であればポルトガル語が外国語で、企業もそれができる人材を積極的に採用してもいいわけです。
大学の入試試験における外国語のテストで、地域によって、英語以外のそういった外国語での試験を受けれるようにしてもいいわけです。

でも、現実はたぶん違いますよね。

安心・安全・安定を求めるタイプ6は、たったひとつの正解を求めます。聖杯だとか銀の弾丸と言われるものを求めます。
それで、外国語においてのそれは英語の一択になっています。
そこに先に挙げたタイプ6の一律癖が重なります。
皆が皆、外国語と言えば英語となってしまいます(個人的には一律一択ではなく、比率感覚・割合感覚が欲しいと思っています)。

ですから、日本においての地域の独立といったって大したものじゃありません。


最後に、この文章を書かれたかたは、タイプ6な感じのかたです。これはご本人がタイプ6なのか、日本文化の影響が強くてタイプ6的なのかは分かりませんが、タイプ6な感じのかたです。

海外に出たタイプ6は、安心・安全・安定のために、そこの集団の一員になろうとします。
すると本人の発言を聞いていると、表面上は日本人と意見を異(こと)にすることがあるので、タイプ6の日本人とは違うように見えることがあります。
それで本人も、(日本的ではない)自分はタイプ6では無いと思う人が出てきます。

このかたの場合も、「日本sugee的なものは苦手だしそういう感覚薄いと思っていたけど」と書かれています。

でも、そうではありません。日本であろうと、海外であろうと、所属する集団の一員として、そこからはみ出さないのであれば、それはタイプ6的な動きです。
もしもタイプ6であるならば、安心・安全・安定が崩れる議論を自(みずか)ら始めることも無いはずです。
さらに言えば、このかたは、集団の先頭には立ったことは無いし、立つ意志も無いと想像します。
無難に集団の中に包摂(ほうせつ)されたい。これはタイプ6の願いそのものです。

※『国際化社会を生きる中での「まなざしの地獄」


もちろん、タイプ6には良い面もあります。
所属する人々にタイプ6は(自分の求めている)安心・安全・安定を提供しようとします。
だからこそ、時間をかけながらも、日本は安心・安全になったのです(最近は安定が崩れていますが、それでも…)。

これらは、表裏の関係です。同じものを別角度から見ているのです。

2020/08/16修正
「第二外国語」と書いていた部分を「外国語」に変更しました。
自分自身の中で、書いている最中に「第二外国語」と「外国語」の意味が混ざっていました。
そこで、何も英語以外が(第一)外国語であってもよいとの思いから、第二という言葉を外しました。そのほうが意味が通じると思います。
本来、第二を付けるべきではありませんでした。
書き間違いに、気が付ていからの、修正が遅くなりました。
すみませんでした。

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