日本人は積み上げた権利を簡単に手放しているように見える

前回の箭内昇(やない・のぼる)さんの、(記憶違いでなければ)たぶん、文章の話ですが、
私にはもう一つ、おぼろげに覚えている文章があります。

それは、箭内さんが世界を旅して会ってきた、国の無い人たち、もしくは他民族から支配されている人たちの話です。
こういった人たちに会って話して、箭内さんは自分の国があるありがたさが分ったと書いていました。

それで思うことは、日本人が他民族を住まわすことに意外と寛容だなあということと、何かあればアメリカにでも行って暮らせばよいと簡単に考えていること。
総じて言えば、積み上げた権利を簡単に手放すこと。
これは日本女性に対しても思っていて、子供に関する親の権利は日本では母親にあるという暗黙の了解があったわけです。奥さんが子供を連れて里に帰ってしまったとかあったわけです。これは日本男性も受け入れていた日本女性の権利だったわけです。そういうすでに得ている権利を国際条約においてあっさりと捨て去るあたり、海外“では”それが常識だからといって、よくもまあ積み上げた権利を簡単に手放すなあと思ってしまいます。

日本人はタイプ6の国民性で、通常のタイプ6は依存的で自ら独自の判断をすることはまずありません。
それで国際社会“では”という、「では」の常識に合わせているのでしょう。
他人に合わせていると、最後には自分が無くなっちゃうのに。

始めのほうで出てきた、何かあったら他国で暮らせば良いという態度も依存の一つです。
そういえば、日本はアメリカになれば良いなんて話をしている人もいます。あれも依存の一つです。まあ、アメリカになっても選挙権の無い自治領になるのでしょうが。あ、今がそうか。移住できない自治領だけど。

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