技術開発を阻害する日本の社会制度

が面白いです。

松浦さんは『思考者』のタイプ5、対談相手のYさんは『慎重な人』のタイプ6と私は見ています。
この前提でお二人の対談を読むとまた違った楽しみ方ができます。
ちなみにタイプ6は日本人の国民性でもあるので、Yさんの意見は一般的な日本人の意見と見ても良いです。大きくは違わないでしょう。

松浦さんの発言で面白かったところをほんの少し抜粋してコメントします。

つまり、米国をはじめとして諸外国では、航空機だけではなくて自動車も自作できる社会制度があるんですよ。だから「空飛ぶ自動車」を作る人たちが現れるわけです。
(略)
バイクも、もっといえば電動自転車も無人のドローンも同じでしょう。ところが、これらも手軽に試作できる社会制度が日本にはありません。
私はこの問題の要素は「新しいものを拒否してでも、安心を求める私たち」「権限をどこまでも増やしていきたい官僚」の合作だと考えています。

タイプ6の日本人の観点から見ると、どちらも、自分達の安心・安全・安定を求めています。

一般人のタイプ6日本人は、安心・安全・安定が崩れる未知や混沌を嫌い、規制やルールを求めます。
また、官僚のほうでも、同様に安心・安全・安定が崩れる未知や混沌を嫌いますので、規制やルールを作ります。そしてそれはまた、官僚の力の強化にもつながり、自分の組織の安心・安全・安定を強める働きもします。
ある意味、タイプ6同士のWin-Winな関係ができています。

許認可権限を握っている官庁が、腕を切断される前に権限を一度手放せるかどうかが鍵でしょう。切断、つまり強権的に社会制度を変えざるを得ないとなると、社会的にどえらいコスト――下手するとかつての敗戦並みの――がかかることになりますから。
昭和30年代からの高度経済成長の背景には、敗戦で旧体制が解体されたということが大きく効いていると思いますよ。朝鮮戦争の特需があったとか、冷戦体制の中で日本は有利なポジションを得たとか、もちろん色々な理由はありました。

それらがあったとしても、当時は今に比べれば、はるかに物事が高速に進みました。敗戦で頭を抑える旧体制がなくなったから、みんな必死で自分の頭で考え、素早く行動できたんですよ。

タイプ6日本人は、自分で変化を起こすことができないんですよね。
だから、敗戦なり、明治維新なり、行くところまで行って、ご破算になった後のほうが動けるのですよね。
こういった、「もうどうしようもない」というような外部的要因に(結果的にせよ)頼ってしまう姿は、「タイプ6の依存」の一形態だと言えるものです。

松浦さんは、「社会的にどえらいコスト――下手するとかつての敗戦並みの――」なんて言っていますが、かかるでしょう。どえらいコストが。

今だって、出口戦略無く行くところまで行こうとしている政策を持つ国ですから。また、それを暖かい目で見守る国民がいる国ですから。

参考
日本とアメリカ(タイプ6とタイプ3)・目覚めの注意信号
日本の今あるイノベーション問題と、明治維新や戦後の復興との相違点( 前編)


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