タイプ6的責任回避が嫌だったりする
はてコメでは、
なんて言われています。
当人がタイプ6かは分からないものの
「当事者」であることから逃げ、
自分の外にあるものに理由を求め(依存して)責任を回避するのはエニアグラムのタイプ6的です。
タイプ6は日本人の国民性でもあります。
ちなみにエニアグラムにレベルという考え方を持ち込んだリソ&ハドソンの記述によれば、
レベルが下がってくると記述も変わってきます。
「自己への信頼は消え始めて」いるのです。
「通常のタイプ6は、自分自身で決定を下さずに」なんです。
そして、ここに書かれているように委員会や合議など、自分の当事者性を薄めることで責任から逃れようとするのがタイプ6的しぐさです。
他にもルールだから、規則だから、前例があるから、他の党だってやっているから、みんなそうだよ、と自分の責任を避ける行動を取りたがります。
たぶん、このツイートに対しての批判が起これば、上のようになっていくことが予想されます。
ツイート主は、自分はタイプ6ではないと言うかも知れません。
ですがタイプ6日本人の一員ではあります。
日本はエニアグラムのタイプ6の国と言われているので、タイプ6な日本人としてどのレベルにあるかという見方をしていくことも重要です。
そういった見方をした場合、決してレベルの高い行動ではないのですよね。
とは言いつつ、この行動は通常レベルのタイプ6の行動ではあります。
エニアグラムにおいて、通常レベルの各タイプなんてタイプは違えど大同小異このようなものではあります。
みんなそれぞれ一長一短だということです。
この前書いた「京都の嫌味」だって、決してレベルの高い行為でもありませんよね。そういうことです。通常のタイプは一長一短なのです。
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