日大アメフト廃部反対の動きで思うこと
『アメフト関係者から〝日大の廃部反対〟の声 連帯責任で路頭に迷う部員を危惧』
日本はタイプ6の国で、通常エニアグラムのタイプ6はルールや規則や前例に依存して生きている。
それで、今までは部員が問題を起こしたら出場停止などの措置が取られ、それは「ルールだから」「常識だから」「いままでもこれからもそういうものだから」という感じで、そういった何かを理由にして判断してきた。
『DeNA・パットンが見る日本の野球文化 「これが日本のスタイルと言い聞かせよう」 | ベースボールチャンネル(BaseBall Channel)』から
理由は、考えない、それがルールなのだから、そういうものなのだからと思考停止で処理していく。
日大アメフト部が、今、薬物問題で廃部の危機になる。
これに対し選手や親は連帯責任を問題にし始めている。
思うことが2つある。
一つ目は、「果たして個人の問題か?」というもの、9年前から薬物に手を出していた部員がいたという話もある。こうなると日大アメフトの伝統になってくる。全部員の薬物検査はしたのだろうか?薬物に手を出していた部員がまだいる可能性も払拭できていない。
逮捕者一人と疑いのある卒業生一名の、「個人の問題」だと果たして言えるのだろうか?
思うこと二つ目は、タイプ6日本としての動きである。
エニアグラムのタイプ6は安心・安全・安定が重要なタイプで、いつもはそれを法律やルールや規則や前例に頼って生きている。
ところが時にこの法律やルールや規則や前例が自分に牙をむくことがある。これを守ると自身の安心・安全・安定が損なわれることがある。すると、タイプ6は、これらを無視し始める。
今回の日大アメフト部の部員やその親は、以前より、部活における連帯責任を問題視し、それを止めるべく活動していたわけでもないだろう。それまでは連帯責任をそういったルールだと受け入れていたのが、その連帯責任が自分に悪影響を与えるとなったときに文句を言い始めている。
タイプ6は安心・安全・安定が崩れた混沌を嫌う。
今回、連帯責任のルールを当てはめて廃部となると、120名が路頭に迷い、混沌が起きる。
今回の記事だって「大学側の手腕が問われそうだ」と書いて、その是非を言うことから逃げている。記事を書いている者も判断を避け、混沌から逃げている。
大学側も数名の影響であれば、ルール適応で済ます。だが、その影響が120名に及ぶと、その混沌の前で怯みだす。
それで、混沌が小さい方を選択しようとする。結果、ルールが曲げられ、新しい言い訳が表れる。
結局、タイプ6な日本にとって、ルールとは(「嘘も方便」の)方便なのだということが分かる。ルールも方便なのだ。
自分が安心・安全・安定ならなんだっていいのだ。
そこに背骨の通ったスジは無い。
そのようなことを今回思った。
蛇足的な追記
一方で、「わずか5日での処分解除に「廃部でしょ」とネット上では非難の嵐となっている」そうだ。
これは、ネット民には、その混沌が影響しないからだ。
だからタイプ6の特徴のひとつである
「他人が法律を破ったのに罰せられずに済んでいると非常に腹が立つ」
が出てくる。
そういうことだ。
ならば、彼らを日大の首脳部に招き入れれば事が解決するかといえば、さにあらず、
「なにか重大なことを決定しなければならなくなったら、私はたいてい他人に助言を求めるが、それがかなわなければ、どんなものでもいいから適用できる『規則』の中に答えを探そうと努めるだろう」
が始まって、
今回のように影響が120名にもおよび、関係者から非難や恨みが自分に向けられる状態ともなれば、
「私は優柔不断気味で、自分に任された決定があると不安になる」
が出てきて、たちまちこの判断から逃げることになるだろう。
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