完全一致でなきゃ嫌ですか?【追記】

作家(現代中国文学者・作家・日中翻訳家)の劉燕子 (りゅう・えんし/リュウ・イェンズ)さんが、こういう話をしていました。

いたるところで踏み絵を踏まされるんです。リベラルなら、安倍政権や原発や安保に反対するか。右翼や保守派なら、南京大虐殺や慰安婦問題を否定するか。いわばムラの理屈にフルパッケージで従わないと、ものを言わせてもらえないんです。

これって日本版の言論統制じゃないかしら。中国みたいに党の中央宣伝部が自由な意見の発表を制限しているわけではないのに、自分たち自身で勝手に「正しい言論」を統制するんですよ。そのやり方は目にははっきり見えなくて、すごく陰湿で……。どこに落とし穴や地雷があるのか。外国出身の私の目にはまったく分かりません。


日本はエニアグラムのタイプ6の国で、
タイプ6は安心・安全・安定を求め、それが行き過ぎると仲間内の完全一致を求めます。
それで減点思考で批判や非難をします。

それで、
なぜこの話を書いたのかというと、
これを書いている日のニュースにあった、立憲民主党の公認候補について、その人物の主義主張が違うことで否定的に扱っている人を複数見たからです。
完全一致を求め過ぎているような。

立憲民主党の支持者ってこんな感じ? それとも他所よそのグループが非難しているだけ? もしかしたら今の日本人が完全一致を求めすぎている?

例えば昔の自民党には、タカ派とハト派が同居していたわけです。
今だって自民党は矛盾したこをやっています。
例えば、この文章を書いている日に見たニュースには、
『コロナ行動制限「効果があったのか」 麻生財務相が苦言 - 産経ニュース』
なんてものがあって、つい最近、夏休み期間に強く行動制限を求めていた政府と矛盾したことを政府の中枢の人が言っています。でも自民党支持者は受け入れています。

まあ、今の自民党の場合は、リソ・ハドの言うところの

「良くも悪くも私の国(権威、指導者、信念)だ」というのが彼らの態度である。

になっているのでしょうけども。

ちなみに、タイプ6は減点思考でものを見ますが、自身の身近にあるものが減点思考で対処できなくなってくると、それを無視し始める傾向が出てきます。

立憲民主党の公認候補について、これを非難している人の属性が知りたくなってしまいました。


追記です。

私以外でタイプ6日本を書いている人の文章があって、それが参考になりそうです。
『 日本人の自信と自己肯定感の低さをエニアグラムの観点から考えてみた 』

より

つまり、人も自分も100点満点でなければ無価値。タイプ1もこの傾向はありますが、タイプ6のそれは味方と確信してる人こそ除外されますが、「満点から外れれば敵」という側面を含んでいるという点で、まだまだ面倒見のいいタイプ1との違いになります。

無論、味方であると確信を得てる間はまだいいです。タイプ6は味方には並外れて寛容なので、笑って許してくれるでしょう

が、問題は「この人は絶対に味方」と確信が持てなくなった時や、「この人がいなくても意外とやっていける?」と思ったとき。

そういう「味方」という強いバイアスが外れた瞬間……もしそのタイミングで1点でも減点されてしまうと、どんなしょーもない原因でも重く捉えて敵視すらあり得てしまうのです。

さて、重ね重ね言いますが、日本はタイプ6社会。「誰が味方か慎重に見極めねば……」とかやってる人たちが多数派の社会です。

行きつく先は、人の行いも自分の行いも重く捉える減点方式の監視社会。味方以外はとにかく敵である以上、少しでも外れた人への風当たりも強くなります。

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