晝馬氏が語る日本の科学、そして「暗黙知」と「形式知」

前回の文章で、晝馬(ひるま)さんとサイエンスの話を書いたので、
ここで、晝馬さんが日本の科学をどうとらえているのかを紹介してみたいと思います。

前回は、

「(欧米の科学者である)彼らが言う『サイエンス』は、日本で言う『科学』とは違うな」

と感じ、
一九六五年版の『エンサイクロペディア・ブリタニカ』で調べたら

「サイエンスとは、一体何が正しいのか、何が真実なのか、ということを追いかけるものである。その意味で芸術とか哲学とか、宗教とかいうものと同じく、絶対真理を求める『人の心の動き』であるから、多分定義を下すことは難しいだろう」

と書いてあったという話でした。

今回は、その続きのような話です。

 日本は明治時代に開国して以来、外国からたくさんの知識を持ってきましたから、使って便利なものが科学だということになってしまいました。そのため、絶対真理は一体どこにあるのか、あるいはそれは何だというようなことを追いかけるのは無駄であるという考えが支配的でした。

 それよりは、外国のサイエンスから生まれた科学をそのまま持ってくればいいじゃないか、しかも、科学をもっと技術のところまで展開したものを持ってきて、それで金儲けしようということで、一生懸命に努力してきました。

 言ってみれば切り花のようなものです。きれいに咲いた花を切ってきて花瓶に生けて、「咲いた、咲いた」とやっていた。種から蒔いて咲かせたり、あるいは同じ花でも別の土壌で育てたりしたらもっときれいに咲くのではないかといったことは考えませんでした。

 ある意味ではそれが日本人の性質に合っていたのは事実ですが、サイエンスも科学も同じと捉えていたために日本独自の新しい産業が生まれなかったのもまた事実です。

『思考の整理学』から(日本人の学びについて)
の中で紹介した外山 滋比古さんも同じような指摘をしています。
「明治以来、日本の知識人は欧米で咲いた花をせっせととり入れてきた。中には根まわしをして、根ごと移そうとした試みもないではなかったが、多くは花の咲いている枝を切ってもってきたにすぎない。これではこちらで同じ花を咲かせることは難しい」
と書いています。

日本の国民性であるエニアグラムのタイプ6は、思考のコピーに長けた性格タイプです。
咲いた花をコピーしてくるのは上手いのです。ですが、花を自ら作り出すのは苦手です。

今の日本においても、試行錯誤で花を作ろうとする人よりも、綺麗な花を確実に素早くコピーできる人のほうが評価されています。


晝馬さんは、野中郁次郎氏の「暗黙知」と「形式知」を用いて、こう語ります。

「暗黙知」は言葉では表現しきれない「感覚知」、
「形式知」は「言語知」

※ 『経営学者・野中郁次郎の性格タイプ

(略)歴史のある欧米の大学では、「暗黙知」を大学自体が各種分野で持っていて、次々と世代に応じたより深い「暗黙知」が保有されています。(略)
 また、研究者もこの点を重く要求され、真の後継者には表面的な研究でないものを求めているようです。しかしながら、外部の人たち、企業や外国よりの研究生には、「形式知」の伝授を主にしていると思われます。このように、欧米の主要大学などの研究機関は、「暗黙知」の保有・発展については大変な努力をしてきました。
 それに引き換え、日本の大学の大部分は、前述のごとく外国からの「形式知」の移入がもとになっているので、若い先生が欧米の一流大学でこの「形式知」の最新版を習得し、日本に持ち帰り面目を保っています。そして、しばらくのあいだはその分野の権威者として学生の上、社会に君臨しますが、残念なことに「暗黙知」の習得はできていません。そこで、時がたつに従い、また欧米に「里帰り」して新しい「形式知」を持ち帰らなければならなくなります。
「形式知」は誰でも手に入る知識ですから、その知識で競争しようとしても難しいわけです。


(略)簡単には言葉にできない、マニュアル化できないような「暗黙知」を大事に育て上げ、そしてその応用についても未知未踏の領域を開拓していく努力こそ、今、日本が危ぶまれている企業競争力を維持するためのカギではないかと、改めて確信しています。

私は晝馬さんをタイプ6だと思っているのですが、タイプ6でここまで言えるのはすごいことです。私は晝馬さんをレベルが高いタイプ6と見ます。

 日本がもっともよくなかったのは、欧米先進国の物真似をするのだったらトコトンまでやればよかったのに、きれいに咲いた花の部分だけをちょん切ってきたところにあります。
 美しい花を咲かせる根っこはどうなっているんだろう、種はどうやって取るんだろうというところまでは考えませんでした。だから、これまで一度も日本独自の新しい産業をつくり出せなかったのです。それが日本の国民性なのかという気もしますが、今ごろになってそこに気づき、また私が口を酸っぱくして言っても、「そうか」と言ってくれる人はほとんどいません。

「そうか」と言ってくれる人はほとんどいないのは、日本が依存体質なタイプ6だからです。言われたくないのです。言われると痛いのです。そりゃどの性格タイプだって、性格から来る問題点を言われると嫌でしょう。

でも私から見ると晝馬さんもタイプ6です。
ですから、日本も苦手なハードルを乗り越えて変われる可能性はあります。

「本当のことは何だ」ということを追求することです。要するにサイエンスのところまで真似れば、その中から日本独自の新しい産業が生まれたに違いないのです。

と晝馬さんは、語っています。
今の日本でこれができるかが問題なんですけどね。
ただ、「タイプ6日本人の中のタイプ6」である晝馬さんが、こういったことを言えるのだから、日本もサイエンスに向かうことができるのだと思っています。


晝馬さんは、

新しい産業は多くの場合、人間の夢や欲望から生まれてくるものなのです。

と書いています。

ただし、日本は、夢や欲望よりも安心・安全・安定ですからね。
日本の国民性は、安心・安全・安定を求めるタイプ6です。

たとえ、夢や欲望があっても、それで、安心・安全・安定をはみ出すことまではしません。

日本の優秀な若者がグーグルなどに就職していくという話を海外でしたら、「なんで起業しないんだ。なんでそんなに保守的なんだ」なんて言われるくらいですから。

※ 『日本の「起業したくない」話

日本人は、保守的なんですよ。安心・安全・安定の外には出たくはないのですよ。

とまあ、タイプ6日本としては、現状厳しいものは、あるのですが・・・。
あるのですが、それに苦言を言っている晝馬さんもタイプ6だと思うと、
希望だけは残っていると感じます。

追加して希望的なことを書くのであれば、
どうやら日本は、欧米に比べて、『思考者』タイプ5の変わり者を許容できるようですから。
だとしたら、日本の中で新しいものが起こる可能性は残ります。

※ 『イグノーベル賞の話を読んで』開催地のアメリカを除くと、世界一の水準だそうです。

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