炎天下のスポーツで思うこと

エニアグラムのタイプ6な日本人は当事者になることを嫌がるけど、
山形で部活を終えた中学生の女子生徒が熱中症で死亡していることを考えると
猛暑炎天下の夏の甲子園に代表されるスポーツでは、最悪死人が出てもおかしくはなく
関係各位、視聴者にいたるまで当事者となる。

特に指導層に問題があると思っている。

「日本軍は、計画がうまくいっている間は、アリのように非情で大胆である。しかし、その計画が狂うと、アリのように混乱し、立て直しに手間取って、元の計画にいつまでもしがみつくのが常であった。(略)」
という話がある。

甲子園に関して言えば、新聞社、NHKにも責任があると多くの国民は思っている。
責任を自覚しているのであろうか?
炎天下でのスポーツ問題に対して当事者意識を持っているのか?

よく「正しく恐れる」と言うが、
死者が出て壁にぶつかって、そこで初めて方向を変えるのではなくて、
事前に分かっている危険性を考慮して、正しく恐れて、
その上で今起こっている現状に対応して、物事を柔軟に変化させていけはしないものだろうか?

高野連の熱中症対策としてクーリングタイムなどの対応を今回している。それはとても良いことだと思う。
だが、2試合連続でクーリングタイム直後に体調を崩す選手が出ている。
こういった状況の先にある最悪を、正しく恐れて対応して欲しい。

日本の場合、「正しく恐れる」と言うと、「過度に恐れない」ことを指しがちとなる。未知を見るのが苦手で、決断力が無い日本人は、「過度に恐れない」ことで現状維持を選択したがる。
「計画が狂うと、アリのように混乱」するから、それを避けようと、計画通りに進めようとする。
それでも計画が狂うときがある。そうなると、「立て直しに手間取って、元の計画にいつまでもしがみつくのが常であった」となる。

これは、大坂万博が今そうなっているし、
マイナンバーもそうだし(河野太郎が、マイナンバー制度を始めたのは旧民主党政権だとして、野党議員の批判に「お前が始めたんだろ、と言い返したくなる」と語ったそうだが、ならば、お前が止めろよと言い返したくなる。なぜここまで批判が出ているのに元の計画にいつまでもしがみつく)、
ジャニーズ問題で対応できないテレビ局だって、
統一教会と仲良しのままな自民党だって、
計画なり、何かが狂ったときに対応できないのが日本というもの。

甲子園の熱中症対策でもそうなりかけている。

それで始めに言ったように日本人は当事者になりたがらないから、
たぶん、甲子園で死者が出ても誰も当事者になりたがらず、責任から逃げようとするだろうということが今から想像できる。

今すでに見えている最悪がある。
関係者は正しく恐れて当事者として行動して欲しい。

ちなみに、甲子園が目立つので私もそう書いてしまっているが、
炎天下や熱中症の問題は、予選や練習からある話であるし、
他のスポーツにもおよぶ話である。

政治では岸田首相の指導力が問題視され始めているが、
炎天下の日本で、各スポーツ関係の指導層の力量が問われている。

「有能な兵士、無能な指揮官」の日本は変わらずなのだろうか。

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