新福岡県立美術館プロポーザル・コンペの問題を読んだ感想

hirokazu suemitsu @h_suemitsu
【新福岡県立美術館プロポ】
昨日行われた新福岡県立美術館の公開二次審査。隈さん、青木さん、西澤さんらと並んでプレゼンできた貴重な機会でした。1800x1800の模型に、動画も求めるなど、とんでもない作業量だったし、1次も入れると5ヶ月近い長い戦いでしたが、ようやく終わりました。

結果、従前の予想通り隈さんになったけど、案もプレゼンもベストではなかった。福岡にとっては、今後の何十年を担うプロジェクト。隈事務所にとっては、one of themなのだろうが(結果聞かずに帰ってたし…)せめて、今後、本気の案になってほしいと切に願います。

一方、結果以上にプロセスが気になりました。透明なふりをしたとても不透明な審査でした。審査委員たちもしがらみがあるのだろうけど、若い人も多かっただけに、闇は深い。日本社会はいつまでこんなことを続けるのだろうか。若者いなくなるのでは?今の日本社会の縮図。

青木さんの案はさすがで、一次からのブラッシュアップが半端ない感じ。20年近く前、僕が修士1年の時に青森県立美術館のコンペがあり、あの時の審査委員は伊東さん。今の僕より若い青木さんを選び、二等になった藤本さん、千葉さんもその後大活躍するターニングポイントに

磯崎さんが若い才能を選ぶことをされていたから、磯崎さんに見出された伊東さんもその意志を継いでその後もアートポリスなど若手のチャンスづくりに尽力していた。今の日本に時代を切り裂く案を選び切れるだけの審査員がいない。そのことが今の建築界にとって大きな問題

右肩下がりでパイが少なくなる時、年長者がどう振る舞うのか。サステナブルな社会を考えるなら、我田引水でなく若い人にチャンスを与えなければ、日本社会そのものが沈没し、結果、年長者も不利益を食らう。年長者が自分たちさえ良ければと振る舞うのは、なんとも日本的

建築と日常/出版長島 @richeamateur
【メモ】新福岡県立美術館の審査員。設計者に選定された隈研吾さんとの関係でいうと、宮城俊作さんは複数の仕事で協力関係があり、小林正美さんは大学の同級生、中村拓志さんは事務所出身者、内田まほろさんは隈さんが外装を担当する高輪ゲートウェイシティ文化創造棟の準備室長、といったあたりか。

建築と日常/出版長島 @richeamateur
隈さんが建築業界の内外で圧倒的に顔が広いのは周知のことだし、隈さんに限らず建築関係の審査は多かれ少なかれどうしても顔見知り同士ということになってしまいがちだけど、であればなお、その部分で疑いを持たれてしまわないように厳密な審査の手続きがなされるべきだったのだろうと思う。

jun aoki @junaoki22
昨日、新築される福岡県立美術館のプロポーザル・コンペの2次審査があった。
残念だったのは、議論なく、審査員それぞれがつけた採点の集計で結果を決めたこと。
もちろん、立場が違えば、議論は難しい。

でも議論を尽くすことで、それぞれの意見も変わり、話し合わなければ到達できなかったひとつの総意に至ることができるもの。
少なくとも、そのことに期待することが「民主的」ということだろう。


とくに若い人たちに広く参加してもらえるように応募資格の敷居を下げた、と言う。
であれば、どのような議論がなされるものなのか、それを知ることが、若い人たちの能力の向上につながるはず。

今がそういう世の中でないのは、私の世代のこれまでの無作為にひとつの原因がある。
反省し、少しでもそういう世の中になるよう、私自身がいまいっそう努力しなければならないことを改めて痛感した。

ばばろあ@公務員建築職 @babaroa_tw
新福岡県立美術館のプロポ。
隈事務所が最優秀者に。
この結果から今回の審査員の経歴を改めて見ると、なんかモヤっとしますよね。
参加者には50万円が支払われるとの要項だけど、あの模型やプレゼンだと当然赤字だろう。
この規模になれば前泊対応だろうし、グループの旅費にもならないんじゃない?
(略)
僕もZoomで見ていましたけど、4社のプレゼンは、もはや基本設計業務レベルだったと思いました。
(略)
今回の福岡県美の公募型プロポーザルは、国交省の運用とは全く違うものです。(略)
「コンペ方式」は、最もすぐれた「設計案」を選ぶ方式に対し、「プロポーザル方式」は最も適した「設計者(人)」を選定するものです。
(略)
今回のプロポは、国交省の運用からすると詳細な描写、模型や動画など過度な要求であると思います。
また、ヒアリングにおいては、審査員から設計の詳細の質問もあるなど、設計競技の様相を呈していました。
審査会では「人で選んだ」との発言があったとされていますが、仮にそういった発言があったとしても、プロポーザル(国交省運用)の観点からみると、間違ってはいません。
ただ、今回の事務局からの要求物は、かなり過度なものであったと言えます。
そうであれば、最初から「コンペ方式」で実施すべきだし、2次審査に残った事務所に対しては、赤字とならないような報酬が必要であったと思います。まだまだ、全国的にもプロポーザルのコンペ化が進んでいる状況やBIM等のデジタル技術の普及状況を鑑みると、従来の選定方法によらない方法が求められています。
国交省や建築設計三会におかれましては、もう一度、運用方法についての議論が必要であると考えますし、私も含め、運営側も各提案者に対し、「設計案を作成していただいている」という考えをもって仕事に望んでほしいと思います。
あと、ちゃんと案を選んでほしいのなら、審査委員の中に20,000m2クラスの美術館を複数設計した方がいないと話にならないと思います。
(※ 今回の美術館は14,000m2、)

tezzo nishizawa @tezzo_n
コンペ案を作ることは(たとえ実現しなくても)とても楽しいもので、常に新しい知見も取り入れていかなければ戦えない厳しい世界でもある。だからそんな多くの創造的な行為にリスペクトを欠いた方法で審査されては、少なくとも次代の才能は離反していくのではないか、というのがまず思うことです。2/n

(好意的に言えば)巻き込まれてしまったかもしれないアート側の審査員はじめ、アートから一体建築界のこの状況がどう見えているのか、そして結果的に、新しいICOMの定義によるような包摂的で多様性を重視するはずの日本の美術館が、世界からどう見られてしまうのだろう、という危惧がふたつめ。3/n

副委員長が「最後は人で選んだ」とおっしゃいました。プロポは本来そういうものであるはずなので結論はそれで良しとして、ではそのために膨大な作業を強いるプロセスの必要があったのか、そして最優秀者のパフォーマンスのどこに選ぶべき人物を見たのかの論点がさっぱり分からなかった。9/n

圧倒的な案であれば風穴を開けられたのだろうか?そんな小さな希望を抱くことさえ奪ってしまうような閉鎖的な場について、同じく副委員長は「透明な審査ができた」とおっしゃいました。「若い建築家に門戸を開いた」ともおっしゃいました。アリバイにされたのか、と思うほどです。10/n

水谷元/建築家 @atelier_huge
福岡県立美術館のプロポについてのTLが荒れている。

せめて「人」ではなく「建築」で選んで欲しいものである。

「…コンペがあれば多くの人が討ち死にします。審査をやればたくさんの友人を失います。気苦労ばかりですが、<建築>に関わる何かが残る。それで十分です。可能性としての才能、それを見出すことが僕にとってコンペに審査で関わるに唯一の理由です。」日本建築思想史/磯崎新

審査員の隈さんとの関係性にあったかは無関係だと考えます。隈さんほどになれば知人友人が多数を占めるのは止むを得ません。問題は設計者選定プロセスとプロポーザルの趣旨とその透明性と妥当性です。審査員選定の問題点でいえば、社会的要請が強まる昨今、性別不均衡の方が私は気になります。

プロポーザルは能力や実績及び提案を”総合的”に評価して「設計者」(人・組織)を選定するものであり、コンペは「提案内容」を選定するものとする故は承知しております。プロポーザルに実施において、コンペレベルのクオリティを提案に過度に求める昨今の状況に関しては一貫して批判的です。

県民としての権利を行使して異議申し立てして良いのでは、さすがに。

関係者から問題提起があるだけまだマシなような気もしますが、たぶん私の理解以上に深刻な状況なのだと思います。
もっと素人にも分かるような説明が必要なようにも思います。
たぶん(というか絶対と言っていいほど)、福岡県民は動かないと思っています。
だから分かり易く説明する必要があります。それでも動かないだろうけど。
私から見た福岡は(と言っても福岡は広いので、福岡市を中心として見た場合)タイプ6(ウイング7)の県民性です。

エニアグラムのタイプ6は安心・安全・安定が大切で、それが崩れた未知と混沌を嫌います。
また、「混沌に対峙することを嫌う」の派生形で、判断と決断、特に決断を嫌います。
それで、横並び、事なかれ主義、専門家、法律、前例踏襲、合議による判断など、簡単に言えば、自分が当事者になることから逃げます。
タイプ6は依存的と言われています。

ちなみに、日本という国自体がタイプ6の国民性です。

一応、ことわりを入れておきますが、エニアグラムにおいては、どの性格タイプも光と影があり、それらは重なって存在しているものです。
タイプ6の場合は、安心・安全・安定が大切なので、状態が良ければ、周りにも安心・安全・安定を提供しようとします。
また信じられないことにタイプ6の美質は「勇気」だそうです。普段は当事者から逃げてるくせに。

「(福岡)県民としての権利を行使して異議申し立てして良い」
と書かれていましたが、
まず、内容を理解している人が少ないと想像し、
その上で、あえて未知や混沌に関わらないと想像できます。

タイプ6は「当事者になりたがらない」性格です。

それで、例えばこれで落選した人がザハ・ハディドさんだったらどうするだろうか? と考えてしまいました。
たぶん、記者会見をするだろうし、裁判だって起こすでしょう。
周りを巻き込み、声を大きくして本来の権利を勝ち取りにいくはずです。

これを問題にする建築関連のかたがたは、福岡県民に期待して依存して自分達はどこまで「当事者」になる覚悟があるのかな? とも思いました。

なにより当事者なかたが動かないでどうするのでしょうか?

先ほども書いたように日本は「当事者になりたがらない」タイプ6文化です。
ですから、自分が当事者になって動こうとせず、なにやら大岡裁きなり水戸黄門に依存したい気持ちは分かります。

でも、その依存心やあきらめを乗り越える必要があるとも思うのです。

(・・・と、当事者でもない者が何やら書いております)

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