Netflix「新聞記者」の話題から思ったこと

『【安倍晋三】Netflix「新聞記者」海外でも高評価 現実と同じ不祥事描写に安倍夫妻“真っ青”|日刊ゲンダイDIGITAL』
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/300079

ネットフリックスが全世界に配信中のドラマ「新聞記者」(全6話)

「新聞記者」は2020年の第43回日本アカデミー賞で最優秀作品賞を受賞した同名映画のドラマ版。映画と同じく藤井道人監督がメガホンを取った。米倉涼子が主人公の東都新聞社会部記者を演じるほか、綾野剛や横浜流星ら豪華キャストも目白押し。13日の配信開始から早くも、日本国内で視聴された「今日の総合TOP10」において、17日まで堂々1位を獲得する人気ぶりだ。

海外でも上位に食い込み、香港と台湾の「今日の~」で9位にランクイン(17日時点)。

英紙ガーディアンはレビューに星5つ中3つを付け、〈日本が国民の無関心によって不正の沼にはまろうとしつつある国だと示している〉と評価した。


作品は見ていません。

それで、最後にある英紙ガーディアンに書かれた「日本が国民の無関心によって(以下略)」、これも『不断』なのですよね。

この文を読んでいてなぜだか、映画監督、伊丹万作(伊丹十三の父親)の言葉を思い出してしまいました。

さて、多くの人が、今度の戦争(=第二次世界大戦)でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。

(略)私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

伊丹万作は、「無気力、無自覚、無反省、無責任」と書きましたが、そこに「無関心」を追加しても良いように思いました。

日本には、昔からこのような傾向があるということです。たぶん、ストレスがかかりその精神レベルが下がると出てくるマイナスな気質として潜んでいるということです。
そして今、この『凡庸な悪』の動きが日本をさらに悪くしているわけです。

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